[Mumbai 07] Dhobi Ghat, which is the same as before. The background continues to change.
1890年に設立されて以来、100年以上の歴史を紡いでいるムンバイ最大の洗濯場、ドービー・ガート。2011年には、「1カ所での手洗い洗濯場としては世界最大の人数が働いている場所」として、ギネスブックに認定されたという。
洗濯カーストに属する約200家族が、代々家業を受け継いでいる。主には、ヒンドゥー教のカースト制度でアンタッチャブル、スケジュール・カースト、ダリットなどと称されてきた、不可触民が出自の人々。
アンベードカルにまつわる書物を読み進めるほどに、その歴史のあまりにも重く残酷な闇の実態を知る。その目でこのドービー・ガートを眺めるとき、かつてとは異なる思いが沸き上がる。
2004年。初めてムンバイを訪れたときに撮った写真。以来、幾度となく、クライアントに同行して、あるいは一人で、ここに立った。
めまぐるしく変貌する背景と、変わらない前景。モンスーンの最中、どれほどに大変な仕事だろう。数日ぶりに雨がやんだ今日、たちまち干されている洗濯物。
灰色の中で輝く白い衣類が、不自然なまでに際立っている。
やせ細った猫らに懐かれて、心が痛む。
[Mumbai 09] ニューヨークにせよ、ムンバイにせよ、住んでいたころは「新しいトレンドをキャッチ」せねばと街歩きを楽しんだが、離れてみれば、昔から変わらぬ「懐かしい場所」ばかりを歩いてしまう。
ゆえに、変化し続けるカラ・ゴーダへ。
昔からアートギャラリーなどがあり、文化イヴェントが行われるエリアだった。1年ほど前から街の様子が劇的に変化。古びた商店の隣に、新しいブティック。
新旧混沌。貧富共存。清濁混在。雲泥、ピンキリ、振り子は上下左右にぐるぐると。
踏み込んで、中に入らなければわからない、その奥。
昔のカラ・ゴーダを知る人には、きっと驚きの光景。
[Mumbai 10] ランチは、かつてよく訪れていたお気に入りのグジャラーティ・ターリー(定食)の店、SAMRATに行こうと思っていた。しかし、新しい店を試してみるべきだと気持ちを切り替え、ホテルを出る前に、ネットで下調べをしておいたのだった。
目に留まったのは、カラ・ゴーダにあるオーガニックの食材を使った健康志向のレストラン。
ここもまた、外の喧噪とは裏腹に、すっきりしすぎるほどすっきりとした清澄な空気が漂う店内。
読み込むべき「資料」のような メニューを眺め、お勧めの料理をいくつか尋ね、エナジーボウルというサラダを注文。オーガニックの素材には、ひとつひとつに、(O)と明記されている。ヴィーガンメニューや乳製品を使わないメニューもある。
プネやナシックなど近郊農家から取り寄せたオーガニック野菜を使っているというサラダ。これがもう、驚くほどにおいしかった。本当はヘルシーなスムージーも人気らしいが、朝食をしっかり食べていたので、サラダだけで十分だった。
マンハッタンにいるような錯覚に陥りつつ、しかし一歩、外に出ればここはインド。ともあれ、バンガロールの近所にも、こういう店があればいいのにと思う。
[Mumbai 11] I had the “chai break” at the Yazdani Bakery. This place is also familiar to me. The bakery was opened in 1953 by Meherwan Zend, a Parsee baker. The name Yazdani originates from the town of Yazd, which is the capital of the Yazd Province in Iran, and a hub of Iranian culture.
The building was a Japanese bank that stood there through World War II. Today, the three brothers and a son run the bakery. I know 2 brothers and a son, but brothers are now very old. I met younger brother in this time. I showed my weblog which I wrote in 2004. He was very impressed by the photo!
そしてやはり、思い出の詰まったヤズダニ・ベーカリーへ。1953年創業のこの店。イラン出自のパルシー(ゾロアスター教)家族が経営している。この古びた三角屋根の建物は、20世紀初頭、日本の銀行だった建築物だ。
今日、8カ月ぶりに訪れたら、前回、車いすで出勤していた長男ではなく、次男が店番をしていた。
2004年に初めてムンバイを訪れ、タージマハルホテルに泊まって翌朝。カメラのバッテリーチャージャーのコードがないことに気づいた。ホテルから、カメラ屋さんを求めて街をさまよい歩いているときに、パンが焼けるあまりのいい香りに吸い寄せられたのが、この店との出会いだ。
そのときの旅記録以来、過去のブログのあちこちに、この店の写真が散らばっている。
2004年の写真は次男。以来、彼とは店以外でも、NCPA(ムンバイのコンサートホール)などでも何度か顔を合わせた。それ以降は、長男が主に店番をしていたので、彼に会うのは本当に久しぶりのこと。
iPhoneで過去のブログをたどり、彼の写真を見せたら大感激の様子。写真を眺めながら、わたしの手を握り、自分の心臓に手を当てて、じっと離さない。このあたり、長男とそっくり。
同じ場所で撮影しましょうと声をかけたら、よたよたと立ち上がり、しかし元気さをアピールしてくれた。
勧められたアップルパイを食べながら、これから先はもう、安否を確認するために、足を運ぶようなものかもしれない、とも思う。
……いつまでも、お元気でいてほしい。
足が悪くなり、もうお店には出ていないらしい、お兄さん。8カ月前が最後となった。
[Mumbai 12] At the end of the day, I went to the Japanese graveyard opposite the hotel as usual. It was built in 1908, and this graveyard contains ashes of Japanese traders and prostitutes from Japan. Japanese soldiers who became war prisoners of during World War II are also enshrined. The name of a young women and girls engraved on the grave stone inscription.
Because of the torrential rains of the past few days, the surroundings of the grave were submerged, so the family members of the tombs were evacuating to their relatives' house. Immediately after I visited, they came back after a couple of days. It was a good timing!
一日の終わり、いつものように、ホテルの向かいにある日本人墓地を訪れた。今から110年前、1908年に建てられたこのお墓については、過去にも幾度となく記録してきた。
当時、日印は綿の交易が盛んで、今よりも遥かに多い、数千人の日本人がムンバイに住んでいた。墓碑銘に刻まれた名前に、若い女性や子供が多いのは、主には当時、この地で身を呈して働いていた「からゆきさん」たちが眠っているからだ。からゆきさんとはなにか、を知らない人は、ぜひとも調べて欲しい。
また当時、綿貿易ビジネスに命を賭した駐在員も多く、彼らの中にはマラリアなどの熱病で落命した人もいたという。第二次世界大戦時に捕虜となり、マハラシュトラ州にある収容所で落命した兵士たちの英霊も祀られている。最後に葬られたのは、1977年、当時25歳だった日本人男性らしい。
このお墓は、近くにある日本山妙法寺が管理しているようだが、実際に墓守をしているのは墓の一隅の小屋に住む貧しい一家。仏教徒に改宗した、かつて不可触民だった人たちだ。おばあさんを筆頭に、息子夫婦と孫娘が暮らす。
花を買おうと思っていたところ、路上に花売りの少年が来たので、彼から買った。あまり鮮度は高くないが、彼の暮らしの、少しでも足しになれば、その方がいい。
花を抱えて墓地を訪れれば、あたりは葉っぱや梢が散乱し、かつてなく荒れ果てている。墓守一家の小屋は無人で、祠の鍵もしまっている。まさか、一家は引っ越してしまったのか。それともおばあさんが亡くなってしまったのか。
いろいろと悪い想像をしながらも、落ちていた帚でお墓の周りを掃いていたところ、数分もしないうちに、大荷物を抱えた一家が戻って来た。
なんでもここ数日の豪雨で、このあたりはすっかり水没してしまったので、親戚宅に身を寄せていたのだという。大学に通っているお嬢さんも、今は夏休みなの、と、笑顔を見せている。みんな元気そうでよかった。
それにしても、いいタイミングであった。
祠は、相変わらず殺風景すぎるほどの小屋。大雨で石碑に覆い被さるようにたゆんだ枝も気になった。今年は110周年記念。日本人有志の力で、もう少し、なんとかできないものかと思う。
ちなみに前回残して来た日本のお線香。使われている形跡があった。どなたか、お参りにいらしているのだろう。よかった。
1年ぶりのムンバイで、100年前の日本人を思う。(25-May-2013)
濃密な1日を終えて、ディナーはホテルのダイニングで夫とともに。
3泊4日ながらも、意義深い時間を過ごすことができた。