エクサンプロヴァンスで束の間の一人旅を味わったあと、TGVでパリに帰って来た夕べ。9時過ぎにホテル「ル・ムーリス(Le Meurice)」へ戻ったら、夫の会社関係者とその伴侶たちが、ダイニングルーム“Le Dali”(ル・ダリ)で夕食をとっているところだった。わたしも一旦、部屋に戻り、合流させてもらう。
ほどよく冷えたシャンパンで乾杯し、木の実があしらわれたカボチャのスープ、そして羊肉のグリルを味わう。季節感浅いバンガロールから訪れた身に「秋の味覚」は切実に迫る。思えば午後、エクサンプロヴァンスのカフェで食べたモンブランも、秋のデザートだった。
そして今日。夫は終日ミーティングで、夜は会食。わたしは夜、パリ在住の友人に会いに行くが、それ以外は久しぶりに移動のない、のんびりとした一日を過ごす。
1815年創業。パリ最古のこの名門ホテルには、まつわるストーリーも多々ある。綴りだすときりがないので割愛するが、ともあれ、ベッドの寝心地のよさは、特筆すべきであった。
朝食が供されるのは、“Restaurant Le Meurice Alain Ducasse”(レストラン ル・ムーリス アラン・デュカス)。ヴェルサイユ宮殿の「平和の間」を再現しており、パリの重要文化財に指定されているという。
フレンチブレックファスト、アメリカンブレックファスト、ヘルシーブレックファストの選択肢から、卵料理がつくアメリカンを注文。
テーブルには「本日のメニュー」も提示されているので見たところ……OKONOMIYAKI。お好み焼き!?
「キャベツとエビとヤムイモが入った日本のクレープ」との但し書きがある。さらには、「戦後、米のない時代に人気となったメニュー」との説明が! 諸々の違和感が拭えず、思わず笑ってしまう。なにゆえ、このヴェルサイユ宮殿を再現した恭しきムードのダイニングで、お好み焼き? おもしろい。
欧州に来ると、小麦粉と乳製品の多さを痛感するが、今朝もまた改めて。インドもまた、小麦粉(特に北インド)、乳製品が多用される食生活だが、当然欧州とは仕上がりが異なる。パンはどれもおいしそうだが、いくらなんでも多すぎる。
風味と旨味がぐっと封じ込められたバター。滑らかなヨーグルト。そして数々のペイストリー。自家製のピュアなフルーツジャムもまたおいしい。エッグベネディクトはプレゼンテーションも上品に美しく、しかしお味はまあ、普通。
ともあれ、優雅な気分でゆっくりと朝食を楽しむことができた。さて、午後からはどこへ出かけよう。
※参考:「ル・ムーリス(Le Meurice)」に関する記述が丁寧な日本語サイト。(←CLICK!)
セーヌ川を渡り、オルセー美術館の傍を通り過ぎ、目指すは、ロダン・ミュージアム。
〈哀れなる哉、イカルスが幾人も来ては落つこちる〉
友人の勧めで訪れたロダン・ミュージアムで、羽根が溶け落ち墜落するイカロスの姿を見、記憶の奥底から浮かび上がって来たことば。
高校2年のとき、読書感想画の題材に選んだのは、梶井基次郎の『Kの昇天』だったということを、何十年ぶりかに思い出した。今、調べてみたところ、上記のことばは、フランスの詩人、ジュール・ラフォルグの詩「月光」の中の一節を、梶井基次郎が引用していたようである。
上田敏の邦訳したラフォルグの詩集『海潮音』も、高校時代に読んでいたから、多分、双方から、記憶に刻まれていたのだろう。
ロダンの彫刻に、特に関心を持っていたわけではないのだが、麗しく剪定された樹木の向こうに『考える人』を認めた瞬間、その雰囲気に魅了された。
ルーブルやオルセーなどは過去、何度か訪れているし、昨今ではもう、溢れ返る旅行者の海の中で、自分がどれほど作品を集中して見られるか、まったく自信がなかった。できればこぢんまりとした美術館などを訪れたいと思っていたところに、そこは理想的な場所だった。
ニューヨークのフリック・コレクションを思わせる規模のロダン美術館。18世紀に建築された貴族の館であるビロン館を、オーギュスト・ロダンが買い取り、晩年の10年間をアトリエとして使っていたという。
太陽の光がほどよく差し込む館内。年代別に分けられた作品の展示ほか、思いがけず、ゴッホの『タンギー爺さん』もぽつんと飾られている。ロダンは当時、親交のあったアーティストと作品を交換したり購入したり、していたのだという。ジャポニズム満開のタンギー爺さんの背景もまた、興味深く。
降り注ぐ陽光に包まれて、ベンチに腰掛け、ただもっとゆっくりと過ごしたいと思いつつ、ミュージアムをあとにした。
ミュージアムを出て、街を散策しながらセーヌ川沿いへ。朝食がヴォリュームたっぷりだったので、遅めのランチはサラダですませることにした。
既述の通り、今や(いったいいつからかは不明だが)フランスでも米国のシーザーサラダが一般的。かつては、フランスのサラダといえば、ニシソワース(ニース風サラダ)だったのに。
というわけで、懐かしのニシソワースを注文。食べている間じゅう、なにか足りない、なにか足りないと思っていた。食べ終わったころ気づいた。アンチョビーが入っていない!
絶対、忘れられている。もっと早く気づけばよかったと後悔しつつ、もういいや、と諦めるアンチョビー好き。無念。
ニューヨーク時代の友人と再会。1996年の渡米当初、一時期、現地採用で働いていた日系出版社の同僚だったRYOKOさん。
まずはメトロで彼女の家まで。アペリティフをいただきつつ、彼女のハズバンド(フランス人)と3人での会話も愉し。
10年前と、ほとんど変わらぬ雰囲気の彼女と、ベイビーから少年になったレオくん。かわいい。
前菜のサバのたたきも、メインの鴨のグリルも、殊の外おいしくて、感動!
心がこもった、やさしい味がする。
夕べの“Le Dali”(ル・ダリ)でのディナーよりもむしろ、わたしには、口に合う。
一昔前まで、フレンチと言えば胃に重たいクリーミーな料理が際立っていた気がするが、昨今はそうでもないようだ。
デザートまですっかりおいしく味わった。
時代はどんどん、移り変わっている。