夫の出張は今日で終了ゆえ、朝食までは優雅ホテルのダイニングで。
昨日の「本日のメニュー」は「OKONOMIYAKI」だったが故、別のメニューを注文したが、今日は卵料理だったので試してみた。
小さなストウブに、マッシュルームとタマネギの風味が利いた卵。おいしい。
夫が頼んだスクランブルエッグとスモークサーモンは、ヴォリュームが多すぎると思う。
日本で海外旅行情報誌の編集をしていたころ、全幅の信頼を寄せていたのは、ミシュランの地図と、ミシュランのグリーンガイドだった。
ドライヴ取材では、ミシュランの見やすく機能的な地図に、どれほど助けられたかわからない。山のように買い揃えた当時の地図は、今でも手元にある。
地図を眺めているだけで、たちまち、ドライヴルートの光景が浮かび上がって懐かしい。
昨今、ミシュランといえば「星付きのレストランガイド」であるところの赤い本が有名だが、わたしはこのグリーンガイドに、本当にお世話になった。ニューヨークに移住してからも、英語版を購入して旅の際には活用したものだ。
実は日本語版は、限られた年数しか、発行されていないはずである。
ゆえに、このグリーンガイドは1991年発行という古いもの。それでも、歴史や街の成り立ちなどを知る上では、今でもとても、役に立つ。歴史的な観光地は、ほとんど今でも残っているから、パラパラとめくるだけでも、得るものがあるのだ。
ミーティングを終える夫と、唯一ゆっくり過ごせる一日だからと、延泊を決めていたのだが、今日からファッションウィークが始まったとあって、パリのホテルは軒並み満室、値段は倍近くにも跳ね上がって世知辛い。
パリ最終日は、サン=ジェルマン・デ・プレのホテルを予約。夫がランチ・ミーティングを終えたあと、移動することにした。
昼ごろまでコンコルド界隈を散策。喧噪を逃れて入った、ひとけのない聖堂の麗しさ。
思えば、24年前の欧州3カ月放浪旅では、行く先々で教会の中に入り、木の椅子に腰掛けて、一人茫漠の思いに浸ったものだ。
夫とパリを訪れるのは3度目だが、毎回、一度はこの界隈に宿泊している。町の散策が楽しいエリアだ。
それにしても、そこかしこ、驚くほどの旅行者、人の渦。
今回のパリでは、サーヴィス業の英語対応が格段に上がっていること、人々が親切なこと、食のグローバル化が進んでいることなどが極めて印象的だった。
ゆえに、敢えてフランスの食を試したく、遅めのランチはガレット(そば粉のクレープ)を頼んだ。チーズの上にラタトゥイユが載ったもの。
クレープの起源はブルターニュ地方で生まれた、このそば粉のガレットだという説もある。ブルターニュからパリに出稼ぎに来た人々が、発着駅であるモンパルナス駅に店を出し、それがパリで人気となり、やがてそば粉ではなく小麦粉で作られるようになった。
わたしが食べたクレープの中で最も心に残っているのは、グランマルニエ(オレンジのリキュール)とコアントローのクレープだ。今から15年前の2003年、夫と南仏を旅したとき立ち寄ったグラースで、ミモザ祭りに出かけた。南仏とはいえ2月は寒く、凍える中、1枚ずつ頼んだのだった。
などということもすべて、ホームページにアップロードしているので、すぐに検索できるのだった。ブログ誕生以前のアナログ的ホームページだった。アップロードは今よりずっと手間がかかったが、よくも地道に記録していたものだ。
怒濤のように記録をアップロードしているが、旅先だと目に留まるあれこれが新鮮であり懐かしくもあり、留めておきたい衝動が普段にも増して加速する。未来の自分に過去の記憶は財産。今日の記憶もたちまち過去になる。
というわけで、久しぶりにシテ島のノートルダム大聖堂。ここもまた、観光客の海だ。聖堂内は過去に何度か入ったことがあるので、列に並ぶことなく、再びサンジェルマン・デ・プレに戻る。
ショーウインドーを眺めながら散策。日仏交流160周年記念にちなんで、パリの随所で見かける日本。プロレタリアな小林多喜二の『蟹工船』も。
旅行ガイドブックの専門店も! ゆっくり入り浸りたかったが、夫が「トイレに行きたい!」と急かすので、やむなく退散……。
夕食は、シーフードのタパス・バーへ。まずはほどよく冷えたロゼで乾杯。5月の英国コッツウォルズで、フランス産のロゼを味わって以来、このごろはロゼもお気に入りとなった。最近の欧州ではロゼの人気も高いとのこと。
小皿料理をあれこれと注文。
タコとジャガイモのサラダ、イワシのグリル、サーモンののり巻き、ムール貝、子牛のカルパッチョとカニとフォアグラのマリネ、など。多彩な味を少しずつ味わうのは楽しい。新しい日本料理がブームだとすでに何度か触れたが、日本料理以外にも、日本の食材が使われている。
この店は日本食を扱っている訳ではないのだが、テーブルには醤油が置かれているし、ユズの風味や抹茶のパウダー、海苔なども使われている。
インドの高級スパイスブランドが、2年ほど前からユズのエッセンスを販売しはじめていたし、最近話題のアジア料理店1Q1@バンガロールの「YOJINBO(用心棒)」という名のカクテルも、ユズ風味が爽やかだった。ゆえに、欧米でも認知度が高いのだろうと思っていたが、すでに浸透している様子である。
街角のハードリカーショップのショーウインドーを見たら、日本のウイスキーの下に、バンガロール産アムルートが数種類!
アムルートは何種類もあるのだが、ほとんどが輸出用。一番人気のAMRUT FUSIONも、最近では入手困難につき。こんなところで出合うなんて。バンガロールにも需要があるのだから、もっと卸してほしいものだ。トムズ・ベーカリーのアルコール販売コーナーのお兄さんに、「入荷したら連絡してね」と伝えているが、忘れられているだろうな。
昼間の刺さるような人ごみと喧噪は、しかし夜になるとたちまち表情を変える。
街全体が色を落とし、碧く青い空があたりをやさしく包む。
夜のパリといえば、ブラッサイ。若いころ、写真集を買い求め、見入ったものだ。
ブラッサイと親交のあった岡本太郎が、彼の写真集を日本の出版社から発行させるべく仲介したようである。
ブラッサイが、夜のパリを「取り憑かれるように」撮り続けた理由が、しみじみと滲んでいるパリの夜。
モノクロにすれば、むしろ饒舌になる夜のパリの、断片。