◎母の家は、福岡市東区名島にある。わたしが子どものころに住んでいた家とは異なるが、わたしが育ったのは、東区の名島、千早、香椎界隈。 18歳までのわたしが凝縮されているこのあたり。特に香椎や千早駅の周辺は、昨今、再開発も目覚ましく、昔日の面影がない場所も多々あり。
◎千早にあるオーガニック食品店に立ち寄り、そこに隣接するレストランでヘルシーなランチを食べる。心身によい食事ができる店の存在は、さりげなく、ありがたい。
◎母が一足先に帰宅したあと、わたしは千早から香椎まで歩く。歩く途中にも、ごみひとつ見当たらない、清潔で、きれいで、淡々とした街並に、窒息しそうになる。いつものことだ。幼少時からの、土地と自分との、相性の問題。無論、東京でも、同じような閉塞感に滑り落ちてばかりいたのであるが。
◎気がつけば、足が香椎参道へと向かっていた。そうだ、香椎宮へ行ってみよう。最後に訪れたのはいつだったろう。大学時代だっただろうか。いずれにしても、30年以上ぶりだ。古くから皇室との関わりも深い香椎宮。古代は「霊廟」として、仲哀天皇や神功皇后の神霊を祀っていた。
◎大樹が連なる参道を歩くうちにも、少しずつ、呼吸が楽になり、気持ちが和らいでゆく。参拝し、七五三のお詣りをする家族連れを眺め、境内を散策する。鮮やかな秋晴れ。
◎小学校5年のとき、ここへ写生に訪れたことを思い出す。教室を出る前に、お気に入りだった白地に紺のチェックのスカートに墨汁をこぼしてしまい、一生懸命洗ったけれど、灰色に染まってしまった悲しみ。楼門を描き始めたものの、難しすぎて、しかし途中で放り出すこともできず、自分の選択を恨んだ。
◎先生との軋轢。クラスメイトとのトラブル。根性が悪い自分。「自分には問題がある」と残念にも自覚していた、子どものころの、重い記憶が鮮やかに蘇ってくる。
◎やれやれ、何十年も経ったというのに……と思いながら歩いていたら、池のほとりで、鳩や鯉に餌をやっていた女の子に声をかけられた。
「この鳩、わたしの家で飼ってたんです。でも、病気になったから、香椎宮にもらってもらったんです。今は元気になって安心しました」
「そうなの? 鳩を飼ってたの?」
「インコも飼ってます。猫も飼ってます」
「動物が好きなのね。わたしもネコ4匹、飼ってるよ! 写真、見る?」
「写真見せて見せて! あ、かわいい!」
「かわいいでしょ。インドのネコだよ。わたしインドに住んでるの」
「インド? どうしてインドに住んでるの?」
「わたしの夫がインド人だからインドに住んでるの。あなたはお名前なんていうの?」
「◯◯ユウです」
「ユウさんはいくつ?」
「いくつに見えますか?」
「う〜ん。小学校2年生!」
「あたりです!」
「鯉、たくさん泳いでるね」
「オスの鯉は、絶滅危惧種なんです。メスは大丈夫です」
「詳しいね。どうやって調べるの?」
「歴史図鑑を読むのが好きなんです。動物の歴史です」
ユウさんは、とても自由で、楽しそうに見えた。知らない大人に話しかけることにも、とても慣れている様子だった。しばらくの間、二人で動物の話をして過ごした。
「毎日ここに来るの?」
「はい。わたしのうちはすぐ近くだから。5時になったら帰ります」
「じゃ、わたしはもう帰るから。気をつけてね。バイバイ!」
◎子どものころに、好きな本を選んで読むことが、どれほど大切なことかということを、わたしは大人になって、だいぶたってから、痛感した。背伸びをして、面白いとは思えない文学作品や、課題図書を読んで、そつなく読書感想文を書いていた小中学生のころの自分。
◎今の日本の子供たちは、どういう本を読んでいるのだろう。ユウさんのように、好きな本をとことん読める環境は整っているのだろうか。いろいろと、思いを馳せるにテーマは尽きず。
◎母校である香椎高校の横を通過する。気がつけば、校歌を口ずさんでいる。たった3年間だったのに、なんと濃密な3年間だっただろう。大人になっての3年は、あまりにも無為に過ごしているように思える。もっと大切に、歳月を過ごさなければ。