そもそもは、YPOフォーラムのメンバー8名でのダラムサラ旅3泊がメインで、うち3名はアムリトサルを加えての4泊となっていた。
そこに我が夫を含むメンバーの伴侶ほか、数名の親しいYPOメンバーが、アムリトサルとダラムサラ、それぞれわずか1泊ずつの滞在のために訪れたのは、ほかでもない、デッキーの計らいで、ダライ・ラマ法王14世にお目にかかれることになったからだった。
ダライ・ラマ14世は、ここカルナータカ州、バンガロールから車で数時間のバイラクッペと呼ばれるチベット人居住区を毎年訪問されており、その際、バンガロールにも滞在される。
講演会なども実施されており、アルヴィンドは昨年も会場でお会いしていた。しかし今回は、ダライ・ラマ法主公邸、すなわちチベット亡命政府の拠点において、直接、お会いできることになったことから、急遽、限られた周囲の人々も誘われた次第である。
ただお会いした、ということだけではない。諸々の背景を学び、自分なりに思い巡らせ、このような機会を得られたことの意味を、きちんと考えたいと思っている。
4歳のときにダライ・ラマ法王14世と認定され、1959年に、チベットという母国を奪われインドのダラムサラへ亡命して政治難民となられてからの足跡の、ごくごく断片を見知るだけで、途轍もない重みを感じる。
アムリトサルのワガ・ボーダーでは、インドとパキスタンの国境を目の当たりにして、イスラム教とヒンドゥー教の軋轢を思った。ゴールデン・テンプルでは、印パ分離独立に伴い、2つの聖地を国境で分断された、スィク教徒の歴史に思いを馳せた。
そしてダラムサラでは、中国に故国を奪われ、世界に散らばるチベットの人々の苦悩の歴史と現在を思う。
四方を海に「守られた」島国である日本を祖国に持つ者には、国境のせめぎ合い、領土の奪い合いを肌身に感じる歴史的経験、精神的土壌がない。
しかし、旅を重ね、島国を脱し、異国に暮らす歳月の中、無数の人々の、無数の過去に触れるにつけ、今なお続く軋轢の、戦いの、理不尽に溢れた現実を身近に感じて、打ちのめされる。
ダライ・ラマ法王14世と、友人ら15人との写真の中でも、一番、好きなのはこの写真。デッキの夫、アミットが、法王のお話を聞きながら、涙を流したところ、法王が「どうしたんだい、子供みたいに」と微笑みながら、彼の髭を軽く引っ張るように、撫でているところである。
わずか5分ほどであったが、法王は、わたしたちからの質問に対し、やさしく道を説いてくださった。わたしは背後に立っていて、よく聞き取ることができなかったのだが、「インドにはすばらしい、古代からの叡智がある」「モダンな価値観とのハーモニー(調和)を重んじることが大切」……。
といった言葉が、心に刻まれた。調和。
わたしたちが、首にかけているのは、カターと呼ばれる白いスカーフ。これは、「自分の心からの敬意を表すという挨拶の印」だという。このカターに加え、前日購入していた3種の数珠(ビーズ)を持参。わたしもまた、ありがたくも法王に触れていただく。
白いビーズは星月菩提樹の数珠で、わたしのために。茶色いゴツゴツとした金剛菩提樹で作られた数珠は、夫のために。茶色い滑らかな紫檀(ローズウッド)で作られた数珠は、わたしの身の回りの人のために。それぞれの数珠は108つ。煩悩の数が繋がれている。
紫檀の数珠は、賜った加護を分かち合いたく、ほどいて一つ一つにし、飾り紐のようなものをつけて、望む友人知人らにお渡ししようと思う。
中国によるチベット弾圧の歴史。1950年から1979年までの間に、120万人以上のチベット人が処刑や餓死で犠牲になったという記録もある。1959年、ラサを追われ、インドへ亡命したダライ・ラマ法王14世の半生。もっともっと、学んで知識を深めねばとの衝動に駆られる。
ロイヤル・ファミリーであるデッキの母方の一族。高僧だった彼女の伯父は、デッキの祖母の目の前で殺害された。自分の息子を眼の前で殺されるむごさ。
祖母らは使用人の服装をして、命からがら国境を超えた。デッキの父は、チベット人としてはほぼ唯一、欧米留学の経験があるアカデミックな人物でもあり、インドに亡命したチベット人たちの暮らしを築き上げるのに、尽力されてきた。既述のカルナータカ州のバイラクッペをチベット人の居住区に整えるに際しても、彼女の父君が多大な貢献をされたという。
デッキの父は、彼女が子供のころ、中国の手に渡ったチベットを訪れたところ、3年間も拘留されたという。彼女やご家族の、そのときの苦悩を思うと、胸が押しつぶされるような思いだ。
分乗しての帰路の車中、わたしはアミットとアルヴィンドと同乗したのだが、アミットとインドの歴史の話をし、また身近に、この国の歴史と現在が迫ってきて、胸がいっぱいになる。
インドの初代首相がネルーではなく、史上最強のネゴシエーターと言われたパテルだったら、中国のチベット侵攻を見逃さなかったのではないか。そんな話も今回、耳にした。一つ道を踏み違えたために起きた悲劇は、しかし延々と、受け継がれていく。印パ問題にせよ、チベット問題にせよ。遍く世界中に溢れる、国家間の軋轢。
図らずも、我が家にはチベット関連の書籍や絵画などが少なからずある。今から10年前、九州国立博物館で開催された「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」を訪れた際、その展示に心を打たれ、重厚な写真集を購入したのだが、これは本当にすばらしい。
この巻末の地図を見れば、資源も豊かに、さまざまな川の水源を擁するチベット。軍事的な要衝地として重要な場所であるのに加え、さまざまに価値が高く、国が奪われてしまったことにも、深く納得する。
書きたいことは尽きないし、書いているうちにも感極まるし、けれどこの稀有な経験と今の思いは、きちんと残しておきたいしで、まだまだ渦巻く。
とりあえずは一昨日、教わった瞑想をして、わたしが今すべき仕事(原稿の締め切りが目前!)に、気持ちを移そう。
こんな経験をさせてくれた友人、デッキとその夫アミットに、心から感謝する。本当にありがとう。