インドという国は、数千年規模での人間の歴史が、現在のライフに溶け込んでいる。違和感なく、途絶することなく。インド全土に散らばる世界遺産の数々は、特別に指定されている場所を除けば、連綿と生活の場であり、日常の祈りの場であり。
仏教が生まれた国にも関わらず、ヒンドゥー教やイスラム教の勢力に凌駕され、駆逐され、仏教は廃れてしまったインドであるが、全国各地に仏教遺跡は「息づいて」いる。
アジャンターやエローラのような有名な遺跡だけではなく、ほかにもヒンドゥー教の寺院やモニュメントに取って代わられた場所が無数にある。あるいは打ち捨てられて、忘れ去られ、仏教遺跡が夢のあと……も多分無数に。昨年、ナーグプルを旅し、佐々井秀嶺上人が「発掘」したマンセル遺跡を目の当たりにしたときの衝撃はまた語るに尽きず、諸々が脳裏を巡る。
今回のムンバイ旅、目的はU2のコンサート。しかし夫はムンバイでの打ち合わせの予定を入れていたので、妻もともに3泊4日で滞在することにしていた。2008年から2009年の終わり、すなわち、ちょうど10年前の今ごろまで、我々夫婦は2年間に亘り、ここムンバイとバンガロールとの二都市生活を送っていた。住まいは南ムンバイの南端、コラバ地区のカフパレード。タージマハル・パレスホテルがあるエリアだ。
ムンバイへは、その後も、わたし自身のビジネスで、あるいは夫の出張に便乗して、何度となく来ている。
普段ムンバイ来訪中は、空港から南ムンバイに向かう途中にあるパレル界隈に滞在し、日本人墓地を訪れ、更に南下して、フォート地区やカラゴーダに立ち寄り、最後には南端のタージマハル・パレスホテルに行き、Sea Loungeの窓辺の席でくつろぎながらコーヒーを飲むというのが定番だ。
しかし今回は、ライヴ会場から近い北ムンバイ、バンドラ・クルラ・コンプレックスにあるホテルに滞在している。昨日は、終日ホテルでくつろいだが、さて最終日の今日はどうしようかと地図を広げる。いつも南に向かっているので、未踏の北に行ってみようと目を走らせると、サンジャイガンジー国立公園内にある「カンヘリ洞窟(Kanheri Caves)」が目に留まった。
紀元前100年頃から11世紀にかけて、すなわち今から2000年〜1000年前に構築された仏教の遺跡だとのこと。ユネスコ世界遺産に指定されているアジャンター石窟寺院と同じころに、同じようなコンセプトで作られた、石窟寺院であるようだ。
もんのすごく古いものが、保護されるでもなく、さりげなく、ごろごろとしているインド。軽々と、悠久の旅に出かけられるインド。ここでも間違いなく、遺跡が雑に扱われているのだろうな……と思いながら、タクシーを手配し、北へ向かうこと約1時間弱。あっというまに国立公園に到着だ。Aadaarカード(国民IDカード)を提示してインド人料金で入場。入り口で、見取り図を撮影し、見学の参考にする。
特に下調をしておいたわけではなく、軽い気持ちで来たのだが、どうやら洞窟は102もあるらしい。その大半は、修行僧が暮らし、学び、瞑想するための僧院だったという。これもまた、アジャンター遺跡と同様である。
仔細を綴ると尽きぬが、案の定、打ちのめされた。
石仏の、穏やかに力強い存在感。2000年前に生み出された仏陀の手に触れる。彩色の名残を目にする。
入り組んだ石段を歩きつつ、暑いし疲れるしで、102の洞窟すべてを、もちろん見て回るつもりはなく、ただ、なんとなく歩いていたところ、隣の洞窟から旅行ガイドが観光客に説明する声が聞こえてきた。
「これは日本語なんですよ」
ん? と思って隣、90番の洞窟へ行ったところ、旅行者から「あなたは日本人ですか?」「これは本当に日本語なの?」と尋ねられる。
指差された壁を見れば、「南無妙法蓮華経」と記されているではないか!
わたしと、わたしの父方の祖母、父、そして日蓮宗、ムンバイの日本山妙法寺、そしてナーグプルに至るまでの「奇縁」については、これまでも幾度となく記して来た。
20世紀初頭、藤井日達上人が、ムンバイに日本山妙法寺を建立された際、ここにも立ち寄られたのだろうか。
カナダから来たという一行に、南無妙法蓮華経や日蓮宗の意味などを説明する。なんと、いいタイミングで出会ったことかと、お互い、喜び合いつつ、軽く世間話をする。今回わたしはU2のコンサートのために、ムンバイに来たのだと伝えたら、
「僕たちも、U2のコンサートに来たんだよ! しかも彼女は、彼らのムンバイ公演を実現させたエージェンシーのスタッフなんだよ」とのこと。
南無。その語源はオーム。
法蓮華経の蓮。麗しい文字。夫の名前、Arvindはサンスクリット語で「蓮」を意味する。
途中で警備のお兄さんに、訪れるべき洞窟の番号を尋ね、修行僧たちの「教室」だった場所などにも訪れる。パーリ語(南方仏教の聖典で使われている言語)が刻まれた岩もあった。暑い中、石段を上り下りしつつ、疲労困憊しながらも、都合2時間も見学したのだった。