アルヴィンドとわたしがニューヨークで出会ったのは1996年。そのころ、ロメイシュ・パパもまた、後妻となるウマと出会っていた。いつだったか、パパと話をしたとき、二人のなれそめを尋ねた。パーティの席で出会い、意気投合したという。パパは右手の人差し指と、左手の人差し指を立て、近づけながら、こう言った。
「ロンリー・ハートと、ロンリー・ハートが出会って、恋に落ちたんだ」
わたしと夫は、出会って結婚するまでに5年かかった。周囲が反対するどころか「促していた」のに、夫自身が「僕はまだ若い」と決断を先送りし続けたのが原因だ。一方、パパもまた、ウマとの再婚に至っておらず、わたしたちの結婚式の半年前に結婚した。
インド移住前のわたしは、インドのことを何も知らなかった。当時の「一般的なインドの慣習」に照らせば、国際結婚はもちろん、婚姻前のカップルの同棲は、常軌を逸していた。またパパの世代で、死別後、再婚するというケースも稀有だった。
わたしがパパと初めて出会ったのは1998年のニューヨーク。パパと握手をしたとき、その柔らかな感触が、アルヴィンドと同じで驚いた。初めて3人で外食に出かけた場所は、ピータールーガー・ステーキハウス。インドでは牛肉が食べられないからと、パパのリクエストだった。
パパは朝な夕なに、ABBAのCDを聞き続けた。そしてわたしが知る限り、都合4回、ブロードウェイ・ミュージカルの『CHICAGO』を見に行った。揺るぎなく、きれいな女性が大好きなパパだった。
家族で国立公園へ行った時のこと。展望台にたどり着いた直後、わたしは急ぎトイレを目指した。列に並んでいたところ、パパが来たので、やむなく「お先にどうぞ」と順番を譲った。その直後、わたしの後ろに「きれいなお姉さん」がやってきた。話しかけるパパ。そして、非常に切羽詰まっていたわたしを尻目に、「お先にどうぞ」と自分の前に、彼女を促して話を続けるパパ……。決して、ぶれない。
温厚に見えるパパだが、若かりしころは、アクティヴでチャレンジャーだったという。
「僕が若い時はね、なんでも一度はやってみたんだ。スポーツなら、サッカーもバスケットも、レスリングもボクシングも、フェンシングも、何もかも。どれが自分に向いているかどうか、試してみなきゃわからないからね!」
全て試した結果、自分に向いているものは、なかったらしい。
高校生のころ、スィク教の友人に、デリーから約500km先にある故郷のアムリトサルまで自転車旅行に誘われたという。二人は「普通の自転車」に乗り出発した。途中で疲れたので、自転車に乗ったままトラックの後ろにつかまり、引っ張られながら移動したが、夜、足がパンパンになり、お尻が猛烈に痛くなり、自転車に乗れなくなってしまった。
「結局、彼とはそこで別れて、僕はトラックをヒッチハイクして戻ったんだ。あれは命がけだったなあ。でもそれだって、経験してみなきゃわからないでしょ?」
秀逸なのは、英国の大学留学時のエピソード。学生有志と「欧州から陸路でインドへ戻るツアー」を実施、いくつもの国境を超えて、デリーにたどり着いたという。わたしは、波乱に満ちていたであろう旅の体験を聞きたいのに、パパが話すことと言えば、いつも同じ。
「女子がシャワーを浴びる時は、僕たちが塀の向こうからホースで水を出してあげて、男子がシャワーを浴びる時は、彼女たちが水をかけてくれたんだよ!」とうれしそうに話すのだ。
「アフガニスタンの宿のトイレで用を足しているとき、便器にお尻がハマって抜けなくなっちゃってさ。スウェーデン人のガールフレンドに助けてもらったんだけど、便器は割れるし、お尻に怪我するしで、大変だった」
また、お尻ですかい!
そのスウェーデン人の彼女と、十年ほど前、旅先で再会したパパ。旅に出る前は、
「このことはウマには秘密なんだけど、僕、昔の彼女に会うんだよ!」
と、うれしそうに話してくれたのだが、帰国後のパパにその件を尋ねたところ、言葉少なに語るのだった。
「ミホ。彼女は別人だった。見る影もなく太って、おばあさんだった……」
パパ、それは彼女に失礼だよ。パパだって、十分、おじいさんだよ! と笑いながら突っ込んだものである。
インド移住直後、わたしはライフスタイル調査の仕事でデリーへ飛んだ。パパの紹介で、クライアント女史と共に、パパの親友であるマハラジャの末裔の家庭を訪問した。当時、わたしはパパのことを、アメリカンに「ロメイシュ!」と呼んでいた。それを聞いた親友氏。こっそりとわたしを呼んで、「インドでは、義父のことはパパ、と呼ばなきゃだめだよ」と忠告してくれた。
その直後、パパもこっそりとわたしを呼び、「ミホ。ここでは僕のことをパパ、と呼んだ方がいいよ。もちろん、ミホの本当のパパは、ヤスヒロだけだけどね」と耳打ちされたのだった。
義父の呼び方、だけではない。インドのことを何も知らず、「嫌がる息子を説き伏せて、嫁は積極的にインド移住をしたのだ」と言わんばかりの、押し付けがましくも自由奔放な嫁を、歓迎してくれたパパ。……思い出は尽きない。
パパ、本当にありがとう。
I made a photo album in memory of my father in law Romesh Malhan. I chose the background music from his favorite musical, favorite musician, and one of my favorite songs. Hope you enjoy the journey for 10 minutes with us.
義父ロメイシュのライフを10分間のスライドショーに託した。急逝に伴い、葬儀に来られなかった親戚や友人たちとも、思い出を分かち合えればと思う。
バックグラウンド・ミュージックは、パパが好きだったミュージカルのChicagoからI Move On、ABBAのThank You for the Music、そしてわたしの好きな曲のひとつ、ルイ・アームストロングのWhat a Wonderful Worldを選んだ。
ところで、今回デリーへのフライトは、往復路、VISTARAのフライトを選んだのだが、着陸時に "What a Wonderful World”が流れてきて、泣けた。
ちなみに途中、アルヴィンドの両親の結婚式、そしてわたしたちの結婚式の写真を1枚にセットしているページがある。ほとんど同じアングルなのだが、共通点はそこだけではない。
わたしたちの結婚式は、蒸し暑さ絶好調の7月のデリーだった。さらに追い討ちをかけるように、火を焚く儀式の最中、火中にハーブのようなものや、ギー(精製バター)を注ぐのであるが、まさに「火に油を注ぐ」状態で炎燃え盛り、暑さと意味不明さで、わたしは笑いが止まらなくなっていた。
そんな矢先、ふと夫の足元を見たら、靴下を履いているではないか! 参列者、みな裸足で儀礼に望んでいるのに。靴下を見て、ますます笑いが止まらなくなっていると、アルヴィンドが「花嫁はこういうとき、神妙な顔をするものなのだ」と忠告してきた。
いつだったか、パパの結婚式の写真を見て、目を見張った。パパもまた、靴下を履いているではないか! 実に似た者親子である。
ほかにも、突っ込みどころ満載のエピソードが潜んだスライドショー。パパは本当に、話題性に富んだ人だった。