日本は、食品添加物王国だ。世界基準では群を抜いて、多くの添加物が認可されている。もちろん、その全てが否定されるものではない。しかし、全てが健康的だとは到底、言い切れない。
なるたけ自然に近い食材を調理して食するのが理想的だが、それが難しい環境にある人も多いだろう。
さあれば、せめて原材料に使われている添加物の「素性」を知り取捨選択するのが賢明だ。
以下の動画では、超不健康生活を送っていた時代から、現在に至るわたし個人の経験を織り交ぜ、過去50年間で激変した日本の食生活について言及している。
ぜひご覧いただければと思う。なお、動画の後半部分は、その原稿を動画の下部に転載しているので、そこに目を通していただいてもいいかと思う。
以下、参考までに、一昨日届いた食品添加物評論家安部司氏の食品講座担当者から届いたメールより一部転載する。
* * *
「(以下引用)自炊は手間です。前回のメルマガでもお伝えしましたが毎日メニューを考えて、買い物行って料理して後片付けも・・となると非常に手間です。
これを朝・昼・夜と毎日3食。365日毎日続けることは非常に大変なことなんです。
特に一人暮らししている方や共働きされているされている家庭では、肉体的・精神的な負担が大きく完全自炊は非常に困難と言えます。
では、極端な話、一切自炊をせずに外食やお惣菜・お弁当だけで過ごしたらどうなるか。
安部先生によりますと、自炊しない成人男性が摂取する添加物は1日500~800種類だそうです。3食の他にお酒やジュース、デザートにお菓子も含めるとそれぐらいになってしまうそうです。
500~800種類摂取していると思うと、それだけで「怖い」と思うかもしれませんが、もっと怖い事実があります。
現在認可されている添加物が数千種類ありますが、その一つ一つの安全性は国の安全基準によって認められています。
しかし
・添加物を複数同時に摂取したときの安全性は未知数であること(組み合わせが無限であるため精査しきれない)
・日本の食の安全基準は海外と比べて非常に低い
ため、食べているものが「安全だ」とは言い切れないのが現状なのです。かといって、毎日自炊することも時間的余裕がないため「安全かどうかわからない食べ物」を私たちは食べてきました。
私たちは「体に悪いもの」は食べませんが「体に悪いかもしれないもの」は食べることができてしまいます。
どのぐらい「悪い」のか、わからないまま日々の食を摂るのではなく、きちんと理解することで、味覚破壊、ガン・生活習慣病といった病等、食がもたらす様々なリスクを最大限減らすことができるのです。
ご存知かとは思いますが、食はそれぐらい健康に、大きな影響を与えるものなのです。
そして繰り返しになりますが今後の食に対する価値観は大きく変化していきます。今までは忙しくてもお腹を満たしてくれる食が重宝されていましたが、今後は、「時間」というものをより豊かにする食べ物が重宝される時代に代わっていくでしょう。
家族と食卓を囲む時間、大切な人と1~2時間かけてゆっくり話をしながらするランチ、そうした価値観の基盤にはいつだって健康があります。
今の生活が10年続いたとしても、健康だと思えるかどうか。
子供に、孫に誇れる食生活を送っているか。そうした視点で食を見直す時期が来ているのだと感じています。」
★日本の伝統食を常備せよ!(2) 食品添加物を控え、一汁一菜を基本にした食生活を。(下部に後半の文字原稿を記載しています)
●戦後の高度経済成長と日本の食文化の変遷
日本人以外の友人知人らから、折に触れて「日本食は、健康にいいよね」と、言われる。褒められるのはうれしいが、複雑な思いが心をよぎる。確かに昔ながらの日本の家庭料理は、とても健康的だと思う。
さまざまな魚介類に、旬の新鮮な野菜。天日塩や味噌、醤油、醸造酢など天然の調味料。梅干しや漬物などの発酵食品。伝統的な製法に基づいた日本の料理は、日本の気候や風土、日本人の体質や生活習慣に適したものであった。天然の発酵食品などは、天然の旨味と滋味に満ちている一方、製造に時間がかかり、大量生産ができないという難点もあった。
第二次世界大戦後の高度経済成長期、日本には、米国を中心とする欧米の食文化が怒涛のように流れ込んできた。また、日本独自のインスタント食品や加工食品も次々に開発されていった。それは同時に、食品添加物が激増する契機でもあった。
1964年(昭和39年)、東京オリンピックが開催された。有色人種の国家がオリンピックの主催国となるのは、史上初のことであった。またこのオリンピックは、日本が世界へ向けて、敗戦からの復興をアピールする象徴的なイヴェントでもあった。東京オリンピックを契機に、高度経済成長は益々加速し、日本人のライフスタイルは目まぐるしく変化した。食生活についても、例外ではない。
1970年(昭和45年)の大阪万博もまた、日本人のライフスタイルや食生活を変化させるべくきっかけとなった。ファストフードのケンタッキーフライドチキンが日本に進出。名古屋に1号店を開店した。
翌1971年(昭和46年)には、日清がカップヌードルを発売開始。これは日本の、いや世界の食生活に大きな影響を与える出来事だった。
1971年はまた、日本におけるマクドナルド元年でもあった。東京の銀座三越に1号店が開店したのだった。
加工食品の普及に伴い、台所の家電も変化を見せはじめた。1950年代後半から普及し始めた、電化製品の三種の神器、すなわち白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫に加え、電子レンジや、大きな冷凍庫を備えた冷蔵庫などが市場に出回り始めた。
電子レンジは調理時間を短縮し、冷凍庫は食品の長期保存に貢献。利便性が向上した分、人々が「鮮度の高い旬の食べ物」を口にする機会が減り始めた。
加工食品やインスタント食品の台頭は、同時に防腐剤や香料、人工着色料、化学調味料といった食品添加物を増加させることにもなった。
食品添加物の代表格といえば、グルタミン酸ナトリウムを主成分とする化学調味料。昨今ではうまみ調味料とも呼ばれ、「調味料(アミノ酸など)」と記されている。欧米ではMSGと呼ばれ、忌避される傾向にある添加物だ。
化学調味料は手軽に料理に旨味を加えられるとして、瞬く間に日本の食卓に浸透した。
MSGを含む食品添加物は、当然ながら人体に悪影響を及ぼさないものとして認可され、使用されているわけだが、しかしわたしを含む一部の人にとっては、アレルギー症状を引き起こす原因となる。著しい喉の渇き、皮膚のかゆみや発疹、眼球の火照り、視覚障害など……。摂取量や体質によっても症状は異なるようだ。
●24時間営業のコンビニエンス・ストアが一般化。個人商店、専門店の減少
日本におけるコンビニエンス・ストアのパイオニアである米国発祥のセブン・イレブン1号店が日本にオープンしたのは、1974年のこと。「朝7時から夜11時まで営業」に因んでの7ELEVENだったが、翌年には24時間営業を開始する店舗が見られはじめ、現在に至るまで、コンビニエンス・ストアといえば24時間営業が基本となった。
日本式のコンビニエンス・ストアは、台湾やタイ、韓国、中国などにも影響を与えてきた。コンビニエンス・ストアの拡大はまた、店頭に置かれる「自動販売機」の爆発的な普及にも貢献。「利便性重視」の飲食傾向に益々拍車がかかった。
かつては、町村の中心部にある商店街には、豆腐店、米穀店、酒店、鮮魚店、精肉店、八百屋、漬物店、和菓子店、パン店……と、個人商店がひしめき合い、日々、店の人と交流を図りながら、新鮮な素材を購入し、夕餉の準備にかかっていた。
共働きが増えたなどの社会的背景もあり、人々は食品をまとめ買いできるスーパーマーケットを利用するようになった。特に一人暮らしの生活者にとっては、コンビニエンスストアは不可欠な存在となっていった。
●1971年から25年以上もの間、「自然塩」の製造が禁止されていた!
ところで「塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法」(略して塩業近代化臨時措置法)というのをご存知だろうか。1971年に施行されたこの塩業近代化臨時措置法。民間企業が日本の海水から塩を製造することを禁止するものだった。
理由の一つは、「イオン交換膜製法」なるものが編み出され、大量の塩が作られるようになったこと。また、日本の工業化推進のためでもあった。海に面した広大な塩田は、工業用コンビナートに好適な立地だったからだ。
1971年、わたしが6歳のときから、1997年、日本を離れた翌年31歳になるまで、日本では、古来使われてきた海水による塩の製造が、禁止されていたのだ。わたしにとって、日本の塩とは、日本専売公社(現日本たばこ産業:JT)が国内需給確保を目的とし、イオン交換膜製法によって製造していた人工の「食卓塩」であった。
古来、日本人が口にし続けてきたところの天然の塩には、本来人間にとって必要なミネラルが含まれている。一方、イオン交換膜製法にて、廉価に大量生産される「食卓塩」は、鋭い塩味がするだけで、まろやかさや旨味がないのはもちろん、ミネラルが含まれていない。ちなみに「アジシオ」とは、化学調味料でコーティングされた塩のことだ。
では、当時から、スーパーマーケットで見かけていた「伯方の塩」というのは、なんだったのか。ウィキペディアの記事が伯方の塩サイトを的確に要約している。
1971年(昭和46年)4月に成立した「塩業近代化臨時措置法」により、従来日本人が行っていた流下式塩田製法が全廃され、イオン交換膜製塩への切り替えが起こり、製塩業は化学工業化された。1806年から続いていた伯方島の塩田も1971年(昭和46年)12月に廃止となり、松山市でこれに疑問を持った菅本フジ子、西本友康らによって自然塩存続運動が起こる。
菅本らが塩田製塩の存続を訴え、5万人の署名を集めて関係各省へ訴えた結果、1973年(昭和48年)、日本専売公社は「メキシコ・オーストラリアから輸入される天日海塩を用いること」などを条件として塩田製法を用いた塩の販売が認可され、「伯方の塩」が生まれた。
なお、塩専売法は1997年(平成9年)に廃止され、日本においても海水からの塩の直接採取が認められるようになった。
塩の取りすぎは高血圧の原因になると言われて久しい。しかし調べてみる限り「天然の塩」を取りすぎて高血圧になるとの記述は見当たらない。ちなみに「減塩」とうたわれた商品は、塩を減らしてなお味をよくするため、別の食品添加物が使われているケースもあるとの話もある。
とはいえ、現在は海が汚染されており、海の塩も、作られる場所や製法、銘柄によってクオリティは変わるだろう。一概に自然塩がいいと言い切れないところが、難しいところだ。
●おいしく空腹を満たせれば、何でもよかった若かりしころ
中学生になってからは、わたしは常にお腹を空かせていた。部活でバスケットボールをしていたこともあり、男子並みの旺盛な食欲だった。弁当を持参していない日は、4、5種類の菓子パンを一気に食べたりしていた。また週末には2、3種類のカップ麺を一度に食べることもあった。ポテトチップスやかっぱえびせんの一袋一気食いは当たり前。500ml瓶入りの甘い炭酸ジュース一気飲みも日常だった。
大学を卒業し、東京で働き始めてからの20代の生活は、不健康の極みだった。薄給のうえ、過酷な労働。今でいう「ブラック」な職場環境の中で、ゆっくり食事をする暇もない。コンビニで買う、添加物にまみれたおにぎりやサンドイッチ、野菜が少ない弁当、安い中華料理店の食事などが食生活の中心だった。
一方で、1日1箱のタバコを吸っていた。眠気を覚ますために、時任三郎の24時間働けますか「リゲイン」だの、タモリの「ユンケル」だのといったアンプル剤を常飲していた。
こうして思い出しながら書いているだけで、具合が悪くなってくる。当時のわたしは、慢性的にお腹を下していた。それでも若かったから、凌いでいけたのだと思う。今、あのころと同じ食生活をしたならば、1日で体調を崩すだろう。
●日本を離れて……。結婚後に目覚めた食の重要性に対する認識
30歳になったわたしは、ニューヨークへ渡った。一人当たりのポーションが日本よりもはるかに多い「アメリカン・サイズ」を食する日々。気がつけば数カ月のうちに5キロ以上も増量していた。その体重は以降10年間、増えることはあっても、減ることはなかった。
36歳で結婚後、ワシントンD.C.に住む夫と暮らし始めるようになってようやく、わたしはきちんと料理をしはじめた。近所に良質の食材を扱うホールフーズ・マーケットがあったのも幸いだった。一般のスーパーマーケットよりは割高だが、明らかに肉や野菜のクオリティが高い。違いを知ることで、良質の食材を食することの大切さを実感した。
わたしが40歳の時、我々夫婦はインドへ移住した。当時のインドは、加工食品やインスタント食品が今よりずっと少なかったのが幸いした。自然の素材を使っての調理が日常化したのだ。日本食を作るときには、年に一度訪れる日本やニューヨークで調達する日本米や調味料などの食材と、インドで購入する新鮮な食材を用いている。
やがて、アーユルヴェーダの理念に触発され、冷凍食品や食品添加物を含む加工食品を口にする機会が激減した。オーガニックの食材を日常的に購入し調理するうちにも、徐々に身体はデトックスされていった。アーユルヴェーダのトリートメントのおかげで、中学時代から患っていた腰痛から解放された。病気になりにくく、年齢の割に安定した体力を維持できるようにもなった。
●なるたけ、自然に近い昔ながらの食べ物を
もしもわたしが日本に住み続けていたならば、MSGアレルギーになることもなかっただろうし、特に敏感になることもなく、食品添加物の含まれた食事をしていただろう。
利便性や廉価さ、華やかさを重視した食生活は、選択肢のひとつとして、もちろん在ってしかるべきだと思う。インスタント食品やファストフードを否定するつもりはない。しかし、それが中心の食生活は、心身に悪い。
防腐剤がたっぷり使われたものを食べるよりも、「腐りやすいものを腐る前に食べる」ことのほうが、はるかによい。
ややこしい料理を作らずとも、ごはんに味噌汁、野菜など、昔ながらの、素朴ながらも健康的な「一汁一菜」で、十分なのだ。おかずがないときは、おにぎりに梅干し、卵焼きでもいいと思う。インスタント食品を食べ続けるよりは、多分ずっといい。
前回の動画でもご紹介した「まごわやさしい」の食品を意識するだけで、健康状態は大きく変わると思う。
わたしはおにぎりを食べると、力がわいてくる。味噌汁を口にすると、ほっと五臓六腑に染み渡る。そして胃腸の具合が悪いときに救われるのは、梅干し。梅干しは、日本のスーパーフードだと切に思う。あくまでも、添加物の入っていない、できれば手作りの梅干しに限って、であるが。
「一汁一菜」を基本にし、折に触れて、足りない「華」となる料理を食すればいい。そしてとても忙しい時や、食材がないときなどに、非常食としてのインスタント食品を摂取すればいい。そのような食生活を心がけていれば、多分、病気になりにくく、心身が健やかでいられると思うのだ。