ロックダウン68日目。軟禁生活70日目。今は6月1日月曜日。すでにロックダウン5.0、アンロック1.0というフェーズに入っている。日々、気持ちがまとまらないまま70日間。1日しか外に出ていないという異様な状況にも、慣れている。さて、今日から何がどうかわるのか、それもわからない。
ロックダウンがフェーズ4.0に入り、世の中が徐々に動き始めたかに見えたが、ロックダウン当初からの、都市部の出稼ぎ労働者の問題は、悪化の一途をたどっていた。数百キロ、場合によっては千キロ以上もの距離を、徒歩で帰宅する人たちの姿は、メディアでも取り上げられた。
もう、都会には住みたくない。たとえ状況が落ち着いても、故郷で暮らす方がましだ。そう考える人たちが、膨大な数の人たちが、今、国中を移動している。
1947年8月15日にインドとパキスタンが分離独立した際、ヒンドゥー教徒はインド側へ、イスラム教徒は西パキスタン、東パキスタン(現バングラデシュ)へ、大移動した。
「一千万人」を超える人たちが、それぞれの「神」に身を委ねて、ひたすらに歩いた。歴史上最大規模のエクソダス、大移動である。
それに次ぐエクソダスが、今、このインドで起こっている。一体、何人の人たちが、移動しているのか?
そしてその道中、疲労や飢え、事故などで落命する人が続出している。引き止める行政もあるようだが、帰郷したいという思いの方が、勝る人たち……。
彼らの労働力が損なわれたあとの都市部がどうなるのか、ということを思わないでもないが、そんなことよりも、彼らの命運である。日々、過酷で悲劇を伴う彼らの隊列の、状況のニュースを見るにつけ、やりきれない。
一部鉄道が稼働し始めた今、今度は列車で帰郷すべく、日々、無数の出稼ぎ労働者とその家族たちが、駅の周辺に集まる。
我が家の近くにも鉄道駅があり、警察が用意された施設に、乗車前の移民たちの集合施設がある。彼らのために食料を届けるべく、周辺住民らが協力して、大規模な配給施設を整えている。先週から、わたしもその活動に参加している。
わたしの住むアパートメントコンプレックスの住人によるWhatsAppグループで、協力者を募るメッセージが届いたので、即座に返信した。
まずは指定された通り、チャパティを3枚ずつ3セットを寄付するところから始めている。その他に、水やスナックなど、道中で摂取する食糧を。もちろん、そのときどき、余裕があればたくさんの寄付をしても構わない。
「チャパティがうまく焼けてこそ、インド人の嫁」と、誰に言われたわけでもないが、いや言われた気もするが、ともあれ、滅多に焼かぬので、未だに下手くそな我であるが、この際、チャパティ作りの腕前を上げるべく、精進しようと思う。
形は悪いけど、気持ちはこもってるからね。奮発して上質のギーを塗ってるからね。などと、1日3人、わたしのチャパティを食べる人の無事の帰郷を祈りつつ。いや、誰ものも、安全を願いつつ。
そもそも社会問題が炸裂しているインド。移住当初の2005年から、目に見える貧困を、傍観するのが辛く、看過できず、自分の気持ちに折り合いをつけるためにも、一人で慈善活動をはじめ、その後ミューズ・クリエイションを立ち上げて、微力ながらも地域社会への貢献を続けてきた。
ポストCOVID-19の、自分がやるべきが明確に見えず、靄の中を歩いているような気持ちでいる今。情けは人のためならず。今、目の前にいる人のために、どんなにささやかなことでもいいから、自分にできることを、とりあえずはやらねばと思う。
この帰郷の波は、まだ数週間続くだろう。やがてわたしのチャパティ作りの腕前は「さすが、インド人の嫁!」と言われるくらいに、上達するだろう。今はまだ不揃いだけれど、手早く、まん丸に作れるようになるはずだ。
最後に直火で「ぷ〜っ」と膨らますのが楽しい。うまく膨らんでこその、「熟練の技」である。
チャパティは、ゲートのセキュリティオフィスへ持って行く。そこに集荷の車がやってきて、配給場所に運ばれる。
人々に配給されている様子なども、WhatsAppで共有される。
わたしは今、自分がインドに暮らし、インドから世界を見つめることができる人生を、とても味わい深いものと実感している。