米国で起こっている暴動、その端緒となった事件の残酷さ。そして、閉塞感の炸裂。鬱憤の爆発。この世界で、心穏やかに未来を見つめることが、どれほど至難の技かを痛感する日々。
この「異様な世界」に突入して、時間の感覚が歪み、思考は乱れ、価値観は揺らぎ、見えたようで見えず、定まったようで定まらず、力を得た気がして、実は無力で、大海に漂流しているかのような、覚束なさ。
折に触れてインドの友らとミーティングをする以外、ほぼ無口なわたしに比して、夫は毎日、打ち合わせをしたり、講演を聞いたりと、相変わらず社交的だ。ここにきて、年末年始のデトックス、アーユルヴェーダグラムでの1週間と同様、わたしの内向の本質と、夫の外向の本質が、改めて明らかになる。
放っておけばいつまでも、一人でいてしまえるわたしにとっては、猫らの存在が殊の外、大切だ。
ところで、ミューズ・クリエイションは8周年を迎えた。思うところを書き留めておきたいが、思うところが多すぎる。
何のやる気も出なかった夜、チーム・ハンディクラフトの素材箱から、残りの毛糸を取り出して、「アクリルたわし」を編むことにした。著しい油汚れなどを除いては、洗剤を使わずとも、食器類がきれいに洗えるエコロジカルなものだ。
かつてメンバーが作ってくれたものを含め、これまでいろいろな形を試してきたが、「丸くて、目が詰まっていて、シンプルなもの」が一番使いやすいとの結論に達し、大中小、用途に合わせて、まるで信号機のような3枚を編んだ。自己流で適当なので、網目などは不揃いだが、なにしろアクリルたわし。ほどけなければ、ノープロブレムだ。
せっせとかぎ針を動かすわたしを見て、夫。
「ミホ、猫の帽子、作ってるの?! ラスタカラーでかわいいじゃない!」
そんなわけ、ないやろ!
家庭内異文化間コミュニケーションも25年目。四半世紀が流れても、未だ、読めない。