今朝、我が母校で教鞭をとる高橋氏から、「国際ビジネス専攻入門」という1年生の授業で、坂田の半生(はんせい/はんなまではない)を語るYoutube動画(その①)を使ってくださったとのこと、メッセージが届いた。そこには、学生80名からの、びっしりと文字が詰め込まれた感想のファイルが添付されてきた。
それを読んで、とてもうれしくなった。元気が出た。
以前にも記したが、わたしの話は長いし濃い。著名人でもない一個人の自分語りは、なかなか関心を持ってもらえないだろうとの覚悟はしている。それでもこれまで、実際にわたしのセミナーを受けた学生たちの中には、感銘を受けてくれる人が少なからずいた。だから、たとえ少人数でも、目に止まってくれればとの思いで、動画を作っている。
やってみて初めてわかることだが、動画作りとは、かなりの手間がかかるものだ。録画と、編集それぞれに、思い通りにはいかないし、あれこれ盛り込んだり、手を加えたりしたくなって際限がない。かなりの根気と熱意が望まれる。
たとえ少人数でも、実際のセミナーは「誰かに向かって」話しているから、そのときどきで手応えを得られるが、動画は「スマートフォンに向かって」話しているがゆえ、完全なる独り言。最近はそれにも慣れたが、しかし簡単にできることではない。苦心して編集し、アップロードしても、マイナーな動画ゆえ反応が極めて少ないから、モチベーションを保つのにも根性を要する。
かくなる背景があるからこそ、80名の後輩たちが、わたしの言葉をそれぞれに、しっかりと受け止め、自分の経験に重ねて、これからに生かそうとしていることがわかり、本当にうれしかった。
これまでに、大学時代までと、東京の20代、ニューヨークでの30代前半、3本の半生動画を上げてきたが、今回、授業で使われたのは最初の子ども時代から大学時代までのもの。
あくまでも人生の序章にすぎないが、しかし子ども時代のコンプレックスや、うまくいかなかったこと、人前で話すのが苦手で、挫折が多かったことなど、自分の体験をありのままに語っていることもあり、多くの学生たちが、共感を覚えてくれたようだ。
また、大半の学生が「記録を残すこと(日記、ジャーナルなど)」について感銘を受け、自ら実行されようとしていることがわかった。留学制度を生かそうとか、教職課程を取ろうと思うとか(わたしは途中で放棄したことを後悔していると語っていた)、もっと積極的に話そうと思うとか、囚われずに世界を見たいなど、今後の自分の在り方を見直す契機にしてくれた学生もいる。
「最初は、50分もあるのか、だるいなと内心思っていたのですが、気軽に動画を見ることができました」とか、「正直50分の動画を見るということでめんどくさいなと思っていましたが、お話はとても面白く50分間あっという間で全く苦痛ではなかった」という率直なコメントも、むしろ参考になる。
ちょくちょく、「マルハン」をして、「マルマン」(文具かよ!)とか、「マルタイ」(ラーメンかよ!)になっているところに突っ込みつつも、18歳の心に届くメッセージを発せられて本当によかった。
思えば、以前、母校で講演した際の感想文を通して「ローコンテクスト文化」とか「ハイコンテクスト文化」というコミュニケーション環境の概念を知ったが、今日は「計画された偶発性理論」などという言葉も知った。今後、わたし自身が国際関係の理論を学び、その上で学術用語と自分の経験を結びつけながら語ると、もっと説得力があるかもしれない。
「自画自賛」めいた内容に思われるかもしれないが、自分の経験が若い世代の少しでも役に立つと思えばこそゆえ、アピールしておく。
すでに熟成された大人はさておき、これからの未来を模索する若者たちには、反面教師も含めて参考になる点が多い「体験談」につき、自分に自信が持てなかったり、将来が見えずに戸惑っている人たちにこそ、見て欲しいと思う。自分の世界観を押し付けるわけではない。あくまでも、こういう考え方や物の見方があるのだということを、知ってもらえればと思う。
思い当たる若者がいたら、シェアしていただければ幸いだ。さて、次の「結婚/911/ワシントンD.C.編も、そろそろ作らねば。