今日は、8月15日。インドの独立記念日。1947年のこの日、インドとパキスタンは、分離して独立した。インド人の多くはこのことをして、「パーティション」と呼ぶ。独立は同時に、分断を意味した。
🇯🇵同じく、8月15日。日本の終戦記念日。1945年のこの日、日本は敗戦した。この2つの8月15日が同じであることは、偶然ではない。意図されたつながりがある。
ということを、過去何年もに亘り、セミナーで語り、インターネットでも記してきた。のちほど発掘して、ここにも転載したい。
折しも日本はお盆のころ。仏教行事である「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の起源もまたインド。サンスクリット語の「ウランバナ(倒懸:逆さ吊り)」という語に由来する。地獄の世界で逆さ吊りにされる死者への供養だという説もあるとのこと。
まさか、我々の先祖が地獄で逆さ吊りにあっているとは思わないが、今朝は玄関の「八百万(やおよろず)の神」コーナーに、家族・親戚の遺影を集めて、お香を焚き、夫とともに手を合わせた。
1週間前、夫の誕生日に贈った花、贈られた花の、まだ元気な花だけを集めて、ひとつのアレンジメントに。長持ちしてくれている。
左上には「ポータブル伊勢神宮」。上部には印度菩提樹(ピーパルツリー)の下で瞑想する仏陀。その下の中央にはガネーシャ像。かつて隣家にあったピーパルツリーから我が家におちてきた葉っぱをお持ちである。
右横に小さくある「招き猫」は、一時帰国時に日本の友人がくれた、「招き猫発祥の豪徳寺」もの。
そして昨年、ダラムサラでダライ・ラマ法王14世にお目にかかった時、触れていただいたカター(白い布)や数珠。
その他、サンダルウッドのサラスワティや、わたしが自分で描いたゼンタングル風の「オーム」や、ラジャスタンの人形や、博多の張り子の虎(ラジャスタン人形と調和している)や、もうなんやかんやが一斉に、ご先祖を祀ってくれているので、きっと我が家は安泰だ。
南無妙法蓮華経やら、般若心経やらを唱えつつ、時折チベットの鐘(ティンシャ)をゴ~ンと鳴らせば、家の空気が凛として浄化されるかのようだ。
あなたにも、幸多かりしことを願って。
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
(新約聖書:コリント人への第二の手紙 第四章 16-18節)