彼とお会いしたのは、2018年2月、ラジャスターン州のジョードプル。
毎年2月に開催される音楽祭、"World Sacred Spirit Festival Jodhpur” を訪れたときだ。彼は行きの飛行機で、わたしの席の後ろに座られていた。独特の風情がある老紳士だと思った。
ホテルで朝食をとっている時、「行きのフライトで一緒でしたね」と声をかけられた。そのときの会話で、彼がインドにおけるコンテポラリーダンスの第一人者、アスタッド・デブー氏であり、この音楽祭にてパフォーマンスをすることを知った。
デブー氏は、大阪万博の際にインドのパヴィリオンでダンスを披露したという。その後も1年間、日本に暮らしたという親日派で、日本語もかなりお話しになる。山本寛斎のファッションショーの演出に携わったほか、日本でも数々の仕事をしていたとのこと。
「親日家」ゆえに、わたしに声をかけてくれたのは、間違いなかった。この国に住んでいると、「日本人だ」というだけで、人々から、よくしていただいているということを、しばしば、思う。
音楽祭が終わった翌日、マハラジャ主催のプライヴェート・パフォーマンスに招待してくださった。場所はマハラジャの住まいとホテルとが一体化した、タージ系列のウメイド・バワン・パレス。
わたしたちはその数カ月前にもジョードプルを訪れ、このホテルに滞在した。圧倒的な壮麗さと寂寥の漂うホテルだ。映画『Viceroy's House/ 英国総督 最後の家』の舞台にもなった。
ロイヤルファミリーと、ごく限られたゲストだけが観客の、それはそれは、贅沢なひとときだった。
アスタッド・デブー氏とは、帰りの空港でもいっしょになり、言葉を交わした。それからも、Facebookを通して、時折ことばを交わしあっていた。サリー姿のわたしの写真を、よく褒めてくださった。
最後にやりとりをしたのは、8月28日。ロックダウン下、「ムンバイの自宅で一人だ」という一文が胸に刺さった。夫の方には、ダンスカンパニーへの寄付を募っている旨、連絡が届いていた。
ロックダウンに入って以降、ダンサーたちの仕事は当然、激減していて、彼らのことを心配していた。わずかながら、支援させていただいたものの、気持ちが晴れなかった。
10月26日にメッセンジャーで届いた写真を受け取ったのが最後だった。これまで目にした、数ある彼の写真の中で、わたしが一番好きなのは、この夕映えとキューポラだ。
73歳。急性硬膜下血腫でお亡くなりになった。
目を閉じれば、くるくると舞いながら、昇天されている様子が目に浮かぶ。
心より、ご冥福をお祈りします。
"World Sacred Spirit Festival Jodhpur”。
すばらしい世界です。