🥕産地直送の野菜。食品添加物がほとんど含まれない、素朴な食事。ごはんと具沢山の味噌汁。決して派手ではない。しかし、「大地の味」がする「ごはん」が、とてもおいしい。
1996年に日本を離れて27年。米国在住時の若いころは、一時帰国のたび、昼夜、予定を入れて、友らと食事に出かけたものだ。
しかし年々、そんな無理がきかなくなった。特にインド移住後、40代の半ばあたりで化学調味料 (MSG) のアレルギーを発症するようになってからは、外食が減った。頭痛やほてり、極め付けは「閃輝暗点」という視覚障害に見舞われたのが原因だ。
🥕10年ほどまえ、デング熱に罹患した。その際、フルーツジュースやスープなどで全身がデトックスされていた。そして、回復の直後に訪れたニューヨーク。食欲が回復したこともあり、1日目はステーキを楽しんだ。しかし、翌日、お気に入りの一風堂に行き、とんこつラーメンを食べたときに、事件は起こった。
レストランを出て10分ほど歩いたころ、異様な喉の渇きを感じ、同時に視界がちらつきはじめた。頭痛が起こりはじめ、数分後には、視野の中心が見えなくなった。最初はコンタクトレンズにゴミが入ったのかと思い、確認したが、裸眼でも同様だ。
最初はおかしいな……くらいに思っていたのだが、五番街のユニクロに入った時には症状が悪化し、値札の文字が見えなくなって焦った。急ぎ大量の水を飲み、カフェでしばらく休んだ。それから数時間かけて、状態が緩和したが、あれこれ調べるに、それは間違いなくMSGアレルギーだった。
食品添加物が多い加工食品や味の濃いものを食べると、たちまちお腹の調子が悪くなることから、日本帰国時の外食が年々難しくなってきた。食べたくても食べられない。しかし、日本滞在中に添加物を避ける食生活は不可能。昨日はたこ焼きを食べて、少し身体を慣らした。おいしかった。ただし水分は多めに摂取した。
🥕今日は終日、実家で過ごし、家の片付けなどをする。母は84歳。週に一度はダスキンさんにお掃除をお願いしているとはいえ、細かなところは行き届かない。
今日は冷蔵庫の掃除などをする。自分の気持ちも、すっきりする。
それにしても、だ。わたしの人生において、いくつかの使命があるとするならば、その一つは間違いなく、「掃除」だろう。ニューデリーでも福岡でもバンガロールの2軒の家でも、なにかしらしょっちゅう、掃除をしている。
面倒だと思う。しかし、掃除をすることが、若い頃よりも「意味のあること」に思えている。身の回りを片付ける。清める。掃除には、その人の人生が映し出される。生き様さえ、見える。
掃除には知恵が映る。
掃除には哲学があり、美学があり、理想がある。清めることで、得られる心の清澄。達成感……。
🥕ところで、実家の冷蔵庫は今から約25年前に購入したものだが、質がよい。パーツを取り外し、汚れを洗い落としながら思う。冷蔵庫に限らず、日本の家電は、昭和後期、すなわちバブル経済時のころのもののほうが、今よりも高品質なのではないか。
丈夫で長持ちは需要がないから……とは、よく聞く話だが……。なんなのだろう、世の趨勢とは。掃除をしながら、日本ブランドと製品力の変遷について、思いを馳せる。
🥕多々良川沿いの丘の上に立つ実家のバルコニー。玄界灘に沈む夕日の麗しさ。夜、玄関を開けば、煌々と満月。寒さに身震いしつつ(想像以上に寒くて混乱中)、仰ぐ夜空麗し。
🇸🇪1枚目の写真の花瓶は、1991年、スウェーデンを南部のマルメからストックホルムまでドライヴ取材したとき、コスタ・ボダの工場で買ったもの。ガラス王国と呼ばれるその一帯には、いくつものガラス工房が点在する。あの儚い夏の情景が、懐かしく蘇る。
https://museindia.typepad.jp/2018/2018/09/05.html
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。