✨インドに移住する前までは、わたしは、東京でも、米国でも、ジュエリーには縁遠いライフを送っていた。ファッションにしても、ジーンズにTシャツが定番で、おしゃれに関心がなかったわけではないが、さほど投資もしていなかった。
しかしながら、インドに移住し、サリーを通してテキスタイルの豊かさを学び、ジュエリーを通して装飾品の伝統や文化を知った。単に身体を「飾る」という目的にとどまらぬ、金銀に込められた歴史。いにしえからインド亜大陸に暮らす先住の部族民(Tribe)の多くは、財産(銀の宝飾品)を「身につけて」暮らしてきた。ジプシー、遊牧の民らもまた、衣類や宝飾品に全財産を託して、方々を流浪してきた。
1947年のインド・パキスタン分離独立の際、パキスタン側からインドに流入して来た人たちは、まさに「着のみ着のまま」だったことから、女性が身につけていた金銀の宝飾品を元手に、命を繋いできた人も少なくない。……と、このあたりの話題についても、とめどないので割愛。
✨わたしは、インド人男性と結婚し、家族からバングルやネックレス、イヤリングなどを受け継いだ。そもそも「銀よりも金」さらには「黄色がかった金」が好きだったわたしにとって、22金のそれらは、自分の好みにピッタリだった。幸い、夫の母や祖母が選んでいたのは、典型的なインドの大ぶりでゴテゴテとした宝飾品ではなく、いずれも上品でシンプルなものばかり。ゆえに「平たい顔族」のわたしが身につけても違和感がない。
インドに移住した当初、プライヴェートで、あるいは出張で、ムンバイやデリー、ときにはチェンナイに赴いた。そんな折、目にとまったジュエリーを少しずつ購入していたのだが、偶然にも気に入ったものは、Amrapaliというブランドのものだった。最近でこそ、ジュエリーを買うことはほとんどないが(指も首も数が限られているので、そんなには要らない)、日本からの旅行者にはお勧めしてきた。というのも、Amrapaliは、22金に貴石(プレシャス・ストーン)が施されたの豪華で高価なジュエリーだけでなく、銀に18金をコーティングしたファッションジュエリーや、銀のTribeシリーズ、廉価ながらも美しい半貴石(セミ・プレシャス・ストーン)を使ったものなど、選択肢が幅広いからだ。バンガロールにも専門店があるほか、Raintreeなどのブティックでも扱われている。
✨この日、YPOスピーチセッションのあとのプログラムに、偶然にもAmrapaliミュージアムのツアーが組まれていた。前のめりな女性たちに対し、ジュエリーの買い物に付き合わされるのではないかと懸念する男性たち。しかし、そんな男性の心配は無用であった。蓋を開けてみれば、そこは二人の創業者がインド各地で収集してきた宝飾品を展示する、純然たるミュージアムだったからだ。
Amrapaliの歴史は、1970年代半ばに遡る。二人の男子大学生 Rajiv AroraとRajesh Ajmeraは、インド芸術の真髄を探求すべく、インド全土を巡る旅に出た。彼らは、部族民が身に着けるユニークな宝飾品や、バザールなどで物々交換されていた品々の虜となった。旅を重ねるなか、二人の関心は、装飾芸術への情熱へと昇華、Amrapaliの創業に至った。1枚目の写真は、創業一族と共に。向かって、わたしの右の男性がRajesh Ajmera氏で、左の女性がCEOであるAakanksha Arora氏だ。
2018年にオープンしたこの博物館の展示品は、インドの部族民のライフを反映するものをはじめ、宗教的な意味合いを持つもの、権力や地位、財力を象徴するものなど、インドの多様性が詰め込まれている。これらのコレクションは、学者やデザイナーなど、多くの人々の研究や調査の対象にもなってきたという。
✨部族の女性たちの足首を「飾る」というよりは「筋肉養成ギプス」状態の銀製アンクレット。軽いものでも2キロ程度もあるというどっしりとしたそれら。イヤリングもネックレスもノーズリングも、四六時中、身につけていれば慣れるのだろう……という域を超えて、重すぎる。しかし、そこに古来からの歴史やライフの習慣が反映されているのだ。インドの神々が刻み込まれた純金の髪飾りの圧倒的な存在感。虫眼鏡を使わなければ見えないほどの精緻さ。ちなみに拡大写真は、わたしの好きな神様、サラスワティ。弁財天の起源となっている女神だ。
✨2013年に”Tribe Amrapali”が誕生して以来、ソーシャルメディア上でも、かなりの重量感あるシルヴァー・ジュエリーが目に留まってきたが、それがAmrapaliの原点であったのだということも、この日、初めて知った。お土産にいただいたペンダントがまた、シンプルに意味深長で、とても気に入った。詳細は、別の機会に記したい。
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