土曜の夜。久しぶりにホワイトフィールドへ。バンガロール東部郊外の新興エリア。しばらく見ないうちにも、この界隈は開発著しく、初めて訪れた19年前の面影は皆無だ。
ニューヨークでの経験上(火災&911)、高層ビルディングは個人的に苦手なのだが、久しぶりに高い場所へ至ると、その眺めの良さに見入る。デカン高原の涼風が心地よい。
夫の友人夫妻のホームパーティ。彼らとは十数年前から、夫の母校であるMIT(マサチューセッツ工科大学)の同窓会で何度か顔を合わせてきたが、ゆっくりと話す機会はこれまでなかった。
ゲストの大半が海外在住経験のあるNRI (Non Resident Indian) 。妻がフランス人、米国人、そして日本人(わたし)……と、国際結婚のカップルも見られる。わたしたちも移住当初は、このようなバックグラウンドの友人たちが多かったが、最近はすっかり、インドのコミュニティに染まっていた。
久しぶりに、ニューヨークやワシントンD.C.、ボストン、そしてカリフォルニアのベイエリアの話に花が咲く。ベイエリア(シリコンヴァレー)は、前世紀終盤からインド人居住者が多く、米国のIT産業を支えてきた。インド移住直前の数カ月間、わたしたちが住んでいたサニーヴェールに住んでいた人もいて、懐かしい情景が蘇る。
ワシントンD.C.から西海岸まで約4,000マイル(約6,500km)ドライヴで移動した時の話、深夜のルート66沿いのモーテルに泊まり、夕飯が「バーガーキング」か「お客のいない裏寂れたチャイニーズブッフェ」という究極の選択肢だったときの話、モニュメントヴァレーの迫力……。記憶が芋づる式に蘇る。
南仏アビニョン出身の女性とは、プロヴァンス地方の魅力を語り合い、地中海沿岸のドライヴや鉄道旅の記憶が溢れ出る。夫がわたしのモンゴル旅の話をはじめ、その無謀な冒険を面白おかしく話し出す。1992年。北京からウランバートルまで36時間の列車旅。宿の予約もせず、行き当たりばったりの無謀旅。よく無事だったな、自分……と、思い出すたびにしみじみと。
20代、30代の頃の、数えきれないほどの旅の思い出が、わたしの心身&魂に蓄積されていて、今の坂田マルハン美穂を醸成していることを改めて思う。
昨今のわたしは、時間の概念は「発生したことの順序」で刻まれる規則正しいものではないことを身を以って実感している。記憶は、経験の印象の強さ、鮮烈度に従い突出する。特筆すべきではない芒洋とした日常は記憶の底に沈み込み、浮上することはない。鮮烈な経験が多いほど、それらが競い合うように浮上して、結果、思い出が「芋づる式に蘇る」ことになる。そこに、時間の経過は関わらない。
どんなに時が流れても、有意義な経験、善くも悪くも強い衝撃を受ける経験は、常に身近だ。ゆえに、これからも、善き経験を重ねていきたいと、改めて思う。
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