4月30日。グループツアーの5日目にして最終日でもあった。ナイル川を挟んで首都カイロの西側に隣接するギザの町にあるピラミッドやスフィンクスを見学したあと、ホテルに戻る。
友人らとともに、ホテルのジュエリーショップで買い物などをし(この話題は別途記す)、最後のパーティで主催者やスタッフらを労い、またしても賑やかな夜。
すでにこの日の便で帰国した人もいれば、数日間延泊する人、他の国を経由して帰る人などさまざまだ。わたしたちはもう1泊、予約を入れていたのでホテルでのんびりと……と言いたいところだが、最後の最後まで、予定を入れていた。
5月1日午前10時。夫が旅の前にあらかじめ予約していたツアーガイドの女性とホテルのロビーで待ち合わせ、オールド・カイロへ赴く。もう、エジプトのなにもかもがオールドすぎて、このオールド・カイロがどの程度のオールドなのかが訳がわからないのだが、古代エジプトよりは新しい、古代ローマの面影を残す世界が広がっている。
ここでわたしたちが訪れたかったのは、コプト地区にある教会。中でも、イエス・キリストの家族が数カ月滞在したとされる教会を訪れるのが主目的だった。
コプト教とは、西暦42年ごろ、当時のエジプトの首都アレクサンドリアに立てられた「アレクサンドリア教会」が起源だという。創建者は、聖マルコ(「マルコによる福音書」を、西暦70年頃に記述した福音書記者)。
インドのケララ州に、聖トマスによってキリスト教(シリア正教/シリアン・クリスチャン)がもたらされたのは西暦52年ごろ。エジプトから遅れることわずか10年後と、非常に近い時期にキリスト教が伝播している。今回の旅を通して知っただけでも、インドとエジプトの共通項は多々あって、その点においても興味深さが尽きないのだが、言及していると「研究」になってしまうほどの深みなので、割愛。
エジプトは9割がイスラム教徒、1割がキリスト教徒とされているようだが、それはあくまでも公称。アスワン、そしてカイロでのガイドの話を聞くに、実際にはキリスト教の信仰者はもっと多いのではないかと察せられる。
見どころのインパクトとしてはピラミッドやスフィンクスの方が大きいが、写真が擁する情報量は圧倒的にオールド・カイロが多い。のちに振り返りたいものが多いので、なるたけ多めに残そうと思う。
②③マル・ギルギス(Mari Gerges)の駅の前にあるローマ時代のバビロン城塞(Fortress of Babylon)。崩壊しつつもその姿を残すバビロンの塔。1世紀に建立。
④⑤カイロ発祥の地、オールド・カイロ。夫とガイド女性、そして猫が立っているのが、エジプトで最も古い道だというマル・ギルギス通り。この周辺に複数の教会をはじめ、コプト博物館、シナゴーク(ユダヤ教会)などがある。
⑥猫が覗き込んでいる深みが、建設された当時の地上の高さ、だったとのこと。
⑦⑧途中で休憩したカフェ。ターキッシュ・コーヒーがおいしかった。
①⑨⑩オールド・カイロの情景
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