昨日金曜は朝より新居入り。片付けなどをして、午後、来訪者を迎える。大学3年生のチネケ千慶(ちせ)さん。昨年末より大学を休学し、お父様の母国であるナイジェリアにて3カ月ほどインターン生をしていたという。その後、数カ月前に1週間インドに滞在した際、この国にも関心を持ったという。
日本への一時帰国から戻った直後の今月中旬、彼女からメッセージが届いた。ミューズ・クリエイションでインターンをさせてほしいという依頼だったので、いつもの如く、まずはオンラインでミーティング。彼女と話をしたうえで、3週間の短期間ながら、坂田のもとで研修&修行をしてもらうこととなった。昨日は初日のオリエンテーション。諸々語り合ううちにも、瞬く間に時間は流れる。
最後は「月光ライブラリ」にて、わたしが手がけた雑誌やガイドブック、リサーチの資料、旅の記録など、さまざまな「紙」を見てもらう。ここに来る人の多くは、この空間を楽しんでいる。それぞれに、関心のある「紙」は異なれど、パソコンのモニターやスマートフォンの画面を触れるのでは決して得られない「時の経過の温もり」を、月光ライブラリでは楽しむことができる。
チネケさんが読み入っていたのは、1985年、わたしが初めて渡米して1カ月間ホームステイした時のスケジュールノートや、大学時代に記していた夢日記、1986年に大学祭実行委員をつとめたときの、プロジェクトのファイルやカタログなど。そこに、ポエムな走り書きなども残されていて、昔だったら恥ずかしくて人に見せられたものではないのだが、今となってはもう、鮮やかながらも前世の記憶。
チネケさんと同じ年ごろのわたしがそこにいて、言葉を紡いでいる。今のわたしの言葉よりも、共感する点もあるかもしれない。
「このころからインドに興味があったんですか?」
と、彼女が尋ねるので否定したが、大学祭のパンフレットの冒頭にあるわたしの言葉がインド的だという。
「わたしたちは、プロセスに賭けています。そしてこれはあくまでも、ひとつの表現に過ぎません。わたしたちは広がり続けます。二つの瞳と、自分の中のコスモスと共に。」
確かにな〜。思えばこのころは、わたしの中でスピリチャルが炸裂していた。エネルギーも炸裂していて、田舎の大学で、前例のない破天荒な大学祭を実現したのだった。どう破天荒だったかは、語ると長くなりすぎるので割愛。その後、母校にて講演をする機会などがあったときに、当時の大学祭の在り方が語り継がれ、継承されてきたときいた。
心理学やら夢分析やら、なんやらかんやら、背伸びしてあれこれと関心を持ったものだ。究極、自分の中のコスモス(宇宙)を見つめていた。まさに真我。精神世界を彷徨ってもいた。
それにしても、この写真はなんなのだ。敢えてのTシャツ&体操座りか。しかもタイトルが「あいさつ」。
それはそうと、このパンフレットの手作り感が、いい味出してる。実行委員の一人だった友人の恭子が、まさに「切り貼り」して作ってくれたもの。バブル経済に突入していた当時は、アメリカン・ポップアートのリヴァイヴァルが流行っていて、村上龍だの鈴木英人だの……ああ、綴るに尽きぬ懐かしさ。『コインロッカー・ベイビーズ』に痺れたものだ。主人公らに自分たちの個性を重ねたりして語り合うなど。ああ、しかしストーリーを全然覚えてない!
日本近代文学研究者で、特に夏目漱石研究の大家でいらした佐藤泰正学長のことば「大学祭によせて」もまた、なんとも含蓄があって胸に迫る。
〈正しく強く生きるとは銀河系を自らの中にあると意識してこれに応じていくことである〉
〈まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空に散らばろう〉
宮沢賢治。たまらんな。
ただ、わたしはこの大学祭のテーマを「COSMOS(宇宙)とのコミュニケーション」としたかったのだが、学長の指摘で「COSMOS(宇宙)へのコミュニケーション」となったのは、未だに納得できない。
その意味を、今更、考えている。
ことば。ことば。ことば。
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