穏やかに静かな日曜日。父の日。夫とふたり、今は亡き、父と義父に、手を合わせる。
我が父、泰弘は2004年5月に、義父ロメイシュ・パパは2020年1月に、この世を去った。
パパの急逝は、わたしたちにとって、非常に衝撃的な出来事だった。まだまだ元気でいてくれると思っていた。
そして直後のCOVID-19パンデミック。死を悼みつつも、パパをきちんと弔い、遺灰をヤムナ川に流すべく旅に出られたことは、ささやかな慰めだ。
それまで精神世界にも宗教にも、ほとんど関心を持っていなかった夫が、パパの急逝を契機に、大きく変わった。そのことについては、折に触れて記してきた。妻は極端を懸念するが、これもまたひとつの転機にて。
昨夜、夫とふたりで庭を歩きつつ、改めて福岡から東京へ飛んだ朝のことを、夫に話した。空港への道すがら、車内で妹とふたり、「父に感謝だね……」と話していたまさにそのとき、信号待ちの前の車のナンバーが、父の誕生日である7月2日を示していた。
妹にはしばしば起こる現象だと聞いていたが、わたしは初めて目の当たりにして、驚きつつも笑えた。父の、存在のアピールのあからさまなことに。その隣を見れば、8839。母サンキューと言っているのだろうとも思った。
その話をしつつ、夫に、「パパもひょっとすると、存在をアピールしてくるかもしれないよ。パパの誕生日は……」と言いかけて、ハッとした。
パパの誕生日は、3月9日。
8839。
すでに、アピールしてた〜!
「母サンキュー」じゃなくて、「パパ・サンキュー」だったの〜!?
面白い。実に面白い。このことを父の日に、わたしに思い返させるあたりも面白い。パパは、わたしの両親のことも、そして伴侶を亡くした母のことも、本当によく気遣ってくれていた。
わたしの日本家族を守ってくれることは、すなわち、わたしやアルヴィンドを守ってくれることにもつながる。福岡まで、様子を見にきてくれているのだろうな……と思う。
父よ。パパよ。ありがとう。これからも、しっかりと、見守りよろしくお願いします。
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