季節外れの台風的な風雨に見舞われた一昨日&昨日の福岡地方。一部でJRが運休したり、県内で避難勧告が出た地域もあるなか、20名を超える方々が足を運んでくださった。まずは、ゲストならびに関係者各位へお礼を申し上げます。
🇮🇳
わたしにとっては、親戚のような存在の美砂さんと、半年前の一時帰国時に会った際、「何か一緒にやりたいね」と話したことが契機だった。彼女は今年8月、福岡市東区西戸崎に「アレナプルクナ」という旅をテーマにしたギャラリー&ブティックを開業。今回、第一回目のイヴェントとして「旅する朝活セミナー」を企画してくれた。
パリ在住歴の長い美砂さんは、帰国後もフランスに関わる仕事を続けられている。そんな彼女のご友人をはじめ、DJの相越久枝さんによるcrossfmでの告知を聞かれた方、また元バンガローリアンで、ミューズ・クリエイションのメンバー、さらには我が友人知人やソーシャルメディアをご覧になられた方々が足を運んでくださった。
熊本から、台風の影響で、途中で何度も止まるスローな新幹線で駆けつけてくれた方もいて、申し訳なくもうれしかった。
会場が使えるぎりぎりまで2時間弱、毎度のごとく、熱く語る。自己紹介に始まり、インドの多様性や地理的な基本情報、シルクロードを経て日本にもたらされた布の歴史、明治時代に日印貿易の契機となった綿、インド独立運動と手紡ぎ手織り布との関係など……を、極力わかりやすく説明。その後、具体的に、インド各地のさまざまなテキスタイルの歴史や特徴などを、豊富な写真をもとに説明する。
持参したインドのサリーの1枚は美砂さんに着付けたほか、何枚かを直接、手にとって見てもらう。また京友禅サリーも広げ、その美しさを見ていただく。
終了後は参加者を募り、館内にあるあるホテル・ニューオータニのレストランでランチ。雰囲気もよく、セミナー後の歓談には非常によい環境。大雨に見舞われたものの、極めて濃密で有意義なセミナーだった。参加された方々にも満足していただけたようだ。インドに対する関心を強めていただけて、本当によかった。
🇮🇳
半年前も記したが、わたしと美砂さんとのご縁を綴っておく。
美砂さんのお母様は、飯塚にて、我が両親の出会いのきっかけを作ってくれた方。美砂さんのお母様のお兄さんが、我が亡父と高校時代、親友だった。
美砂さんとは、子どものころに顔を合わせたことはあったものの、きちんと話をしたのは、大人になってから。
1992年、東京。わたしの父から彼女の母親の手に渡っていたらしき、わたしが自費出版した『モンゴル旅日記』。それに影響を受けたという彼女も、東京に住んでいたことから、わたしが当時暮らしていた世田谷区用賀の古びたアパート(竹陣荘!)に遊びに来てくれた。デザインやファッション関係の仕事をしていた彼女はその後、パリに移住。
1994年、パリ。フリーランスのライター兼編集者として1993年に独立したわたしは、「1年のうち9カ月休みなく働き、3カ月まとめて休暇を取る」という目標を掲げていた。それを有言実行。1年目はパリの美砂さんの家を訪ね、旅の起点として数日間、滞在させてもらった。彼女は、わたしのモンゴル旅日記に影響を受け、モンゴルからシベリア鉄道の旅を敢行していた。
1995年、パリ。フリーランス2年目のわたしは英国での3カ月の語学留学のあと、パリに2週間近く滞在した。そのときもまた、彼女の部屋に居候させてもらった。
1996年、ニューヨーク。わたしとアルヴィンドが出会って直後のころ、彼女もたまたま、3カ月ほど、ニューヨークに滞在していた。その数年後にも、ニューヨークへ遊びに来た彼女と会った。
2012年、バンガロール。すでにフランスを引き払って日本に帰国していた美砂さんが、妹の美陽さんと二人でバンガロールへ遊びに来た。たまたま我が家に立ち寄ったその日は、我が夫の40歳の誕生日会を「1日遅れ」で開催していた。驚くことに、美陽さんは、その日が40歳の誕生日だったので、一緒に祝福した。
人生の節目節目で、お会いする機会があった彼女。今回も、わたしの人生の大きな節目となるころに、このような機会が実現できて、本当にうれしい。
🇮🇳
この先の縁や機会は、来るのを待つのではなく、自ら作るべく動く所存につき。わたしのプレゼンテーションの資料は日本語と英語を合わせると、種類も豊富に20テーマほどをクラウドにアップロードしている。プロジェクタで投影できる壁さえあれば、いつでもどこでも語れる。
次の一時帰国からは、プレゼンの機会を積極的に設けていこうと思う。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。