わたしは大学時代、文学部日本文学科を専攻していた。古事記や日本書紀、万葉集などの授業も受けていた。受けていたはずなのに、何一つ、大切なことを覚えていない。なにをやっていたんだか。
しかし、今のわたしが大学生に戻ったとしても、多分、積極的に勉強しないだろう。やはり、今世と同じように、遥か彼方の海外へ旅立つことを夢想するだろう。歳を重ねて、海外生活が長くなったからこそ、日本の魅力を客観的に眺められる。
故郷界隈の魅力を発掘しようと思える。
今更ながら、福岡で育ったことを、幸運に思える。幸運……という表現は適切かどうかわからぬが、少なくとも、面白い。
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今日は、主に自転車で、壱岐島の中心部を巡った。宿の女将は帰国子女で、英語も堪能。夫も交えて、昨夜も今朝も、そして今夜も、会話を楽しんだ。千葉が出身で、かつては外資系企業に勤務していたという彼女。とても気さくに、アットホームなこの宿の背景や、壱岐の魅力を語ってくれる。そして、サイクリングルートのアドヴァイスもくれたのだった。
若いころから温泉が好きで、温泉ソムリエの講習を受けるなどしていたところ、この旅館の三男であり料理人である平山氏と巡り合われたという。10年前に壱岐へ移り、子宝温泉の効能そのままに、双子を含む3児の母となられ、数年前に女将を引き継いだ。
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他の観光名所に比べれば、圧倒的に旅行者が少なく、魅力に溢れているこの島。神々に守られ、食の自給自足が完結していて、島の人たちは満たされている。そのせいか、積極的に旅行者を招き入れようという風潮は、あまり強くない……という女将の話を聞きつつ、妙に納得する。
「インドは、呼ばれた人が行く」……という表現がある。当時のわたしは呼ばれたつもりはなかったが、20年後の今、まちがいなく「呼ばれていた」と確信する。
それは、わたしのカルマだった。
わずか2日間の滞在で、わかったようなことを書くのは憚られるが、しかしこの島こそもまた、「壱岐は、呼ばれた人が行く」場所だとの思いを強くする。夫も、わたしも、今こそが、来るタイミングだった。
福岡から船でわずか1時間。もっと多くの旅行者が来ても不思議ではない魅力が詰まっているにも関わらず、ひっそりと静かに、平穏が保たれている。この島は、神々によって守られているのだなということが、わずかな時間の滞在でも感じられた。
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壱岐は、起伏に富んでいる。電動アシスト付きの自転車でなければ、とてもサイクリングはできない。しかしわたしも夫も、普通の自転車しか乗ったことがなく、最初は少々戸惑った。思った以上の急勾配もあり、アシストがあってもかなりの脚力を要する。
それでも、絶景を眺めながらのサイクリングは爽快で、風が強く、寒いにも関わらず、3時間あまりを楽しんだ。昨夜、資料を眺めつつ、どうしても行きたいと思った場所を訪れた。
とりあえず、行程を記しておく。写真の順番も、以下の通り。それぞれの場所の歴史と物語が非常に深く濃いので、説明はしない。
①熊野神社(わたしが一番、心を打たれた神社。泣けた)
②住吉神社(夫婦楠の前で、たまたま旅館に泊まっていた男性に会い、夫婦の写真を撮ってもらった)
③月讀神社
④国片主神社
⑤鬼の窟古墳
⑥双六古墳
壱岐に呼ばれたい人のために、多めに写真を載せておく。これらの写真を見て、何かを感じたならば、それはもう、きっと呼ばれているのだと思う。
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