季節外れの好天に恵まれてはいたものの、ソウルもまた、暦は晩秋。陽が暮れるのは早く、午後3時を回ったころには、すでに夕暮れの気配だ。日没前にできるだけ、街の情景を脳裏に刻んでおきたく、仁寺道ギル(道)を歩く。ここは昔ながらの骨董品店や茶具店、陶磁器店などと、現代的なブティックやアートギャラリー、飲食店などが混在して調和する、魅力的な通りだった。
今回の韓国は、グループ旅ということもあり、また日本への一時帰国中という立て込んでいた最中につき、ほとんど下調べをせず出発してしまった。丸1日は自分一人で過ごそうと思っていたので、アマゾンでガイドブックを注文していた。
今回購入したのは、出発前日にぎりぎりで届いた昭文社のガイドブック。大学卒業の直後に上京し、旅行誌の編集者として働き始めたわたしは、当時から、本来、地図の出版社である昭文社のガイドブックを、比較的、信頼してきた。とはいえ、日本を離れて28年余り。現在の状況はわからないが、「紙の地図」が好きなわたしは、数あるガイドブックから選んだ。
さすが昭文社。付録として街歩き地図がついていた。この地図をじっくりと眺めたうえで、最後の1日をこのエリアで過ごすことに決めたのだった。既述の通り、月曜日だということもあり、訪れたかったミュージアムが休館だったのが残念だったが、その分、リアルに人々と触れ合う機会を得られた。
伝統絵画に引かれてドアを開けたギャラリーは、韓国伝統文化大学校(Korea National University of Culture Heritage)の卒業作品展だった。受付に座っている女学生2人に声をかければ、彼女たちも、自身の作品を出展しているという。学生たちは半年から8カ月ほどかけて、作品を仕上げたとのこと。いずれの絵画も、力強く見るものを引きつける。
朝鮮の王朝の様子を描いた屏風もあれば、仏陀の生涯を描いた絵もある。二人に、自分の作品の前に立ってもらい、写真を撮らせてもらった。絵の具は天然の染料をも用いているようで、青い色はラピスラズリだという。
絵に記された書も、自分でしたためたという。若い世代には、ハングル語しか読めない人も多い中、彼女たちは稀有な存在だろう。「韓国伝統文化大学校」そのものがまた、興味深い。
ちなみに、韓国における漢字とハングル文字を巡る歴史にもまた、紆余曲折のドラマがある。第二次世界大戦後、漢字が使われなくなった背景のひとつに、日本統治時代の余韻を払拭するため……という事実もあるようだ。しかし、この芸術の街を一隅を見る限り、漢字が随所に残されていて、ハングルのフォントの多様性もまた、興味深い。
路地を入ったところに、地図で見つけて行ってみたいと思っていた「耕仁美術館」があった。古い家屋を改装して作られたギャラリーが点在する、情趣に溢れた空間だ。ここのギャラリーでも、アーティスト男性ご本人から声をかけられ、言葉を交わす。
この海は釜山だろうか……と思いつつ眺めていたら、やはりそうだという。新旧が混在するソウルの街並みの絵もまた、心ひかれる。わたしが日本人と知って……だろうか。それとも偶然だろうか。バックグラウンドミュージックに、坂本龍一の『ラストエンペラー』(同名映画のサウンドトラック)が流れてきた。わたしの大好きな旋律!
映画の内容を思えば、もう、なんとも言えぬ感傷がこみ上げてくる。
初めての土地なのに、なんなのだ、この心が揺さぶられる時間の連なりは! 単に、歳を取ったせい?! またしても、目頭を熱くしながらギャラリーを出れば、目の前には「ハルモニ(おばあさん)の味」で評判の手作り大振り餃子の店があった。
急激に空腹に襲われ、餃子3種盛り(豚肉、キムチ、マッシュルーム)を注文。とても大きかったので、食べきれないと思ったのだが、結局、おいしくて完食した。ホテルに帰るのが惜しく、陽が暮れてもなお、うろうろと散策し、最後の1日を楽しんだのだった。
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