先週は、我が夫の母校であるボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)の集いがあり、わたしも催しに同席した。2011年に、夫がバンガロールにおけるMITクラブを創設。我が家で開催した第一回会合を皮切りに、これまでもさまざまな催しに参加してきた。夫と出会って29年。互いの人生を取り込みながら、紆余曲折と波乱のなかにも、豊かさな経験を享受する歳月だ。
わたしが初めてMITを訪れたのは、2000年。卒業年(夫は1995年)に合わせて5年に一度開催される一大同窓会(リユニオン)に、わたしも同行したのだ。数日に亘っての多彩なプログラムには、卒業生だけでなく、その家族やパートナーも参加できる。あのときの経験、学び、衝撃は、今でも忘れられない。世界を牽引する人々を生み出す大学の力を目の当たりにした。
今回は、MITの南アジア・リユニオンの集いで、関係者がボストンはじめ、各地から集った。
今回の主目的は、2023年、バンガロールに誕生したSGB / Science Gallery Bemgaluruにおいて、「MITと南アジア」の展示会を実施すること。カルナータカ州政府を筆頭に、IITベンガルール(インド工科大学バンガロール校)など、バンガロール拠点のアカデミック組織や団体によって構築されたこのSGBには、MITも関わっているという。
夫は数日間に亘って催しに参加していたが、わたしもそのうちの2日、同行した。先週の金曜日には、市内レストランで開かれた集いに参加して人々との社交を深め、日曜日にはSGBへ。インフォシスの初代CEOであるNarayana Murthyのスピーチを皮切りに、関係者らのトークのあと、MITがインドに与えた影響についてをまとめたヴィデオが上映された。Youtubeにも公開されているので、関心のある方にはぜひ、見ていただきたい。
インドが1947年に英国統治から独立した直後、ネルー首相はじめ国を牽引する人々が、IIT(インド工科大学)を創設した背景には、MITの存在があることはよく知られている。特にIITカーンプル校の設立に大きな影響を与えた。その具体的なストーリーをも知ることができる、非常に興味深いヴィデオだ。
🇮🇳Revolution on the Ganga - The Making of the Technological Indian
🇯🇵書きたいことは募るのだが、今日のところは日本に関わるストーリーを。今から150年前、2人の日本人がMITを卒業していたというのだが、その二人の出自が、なんと福岡藩の出身なのだ。
去年は卒業150周年ということで、日本のMIT会でも関連の催しが開催されており、サイトにも詳細が記されていた。
「1874年にMITを卒業する初めての日本人となった本間英一郎氏は、福岡藩士・本間源水の子として生まれ、藩命により土木研究のためにMITへ留学。マサチューセッツ工科大学土木工学部を卒業し、帰国後は海軍省を経て、工部省鉄道局や、鉄道各社にて技師長、社長顧問、取締役などを歴任し、日本の鉄道の発展に大きく貢献されました」とのこと。
何より興味深いのは、時代背景。明治維新の真っ只中。明治政府が発足したのは1868年。日本が激動の時代を迎えたその時期、彼らは渡米し、1870年、開校まもないMITに入学。そのときには「武士(サムライ)の出自」だったが、在学中に「四民平等」が発令されて、多分、ステイタス変更。いかなる混沌の波が彼らを襲ったことだろう。帰国後の彼らの日本近代化への貢献や、数奇な人生にも心惹かれる。
今からちょうど120年前には、日本人女性も卒業している。
SGB含め、諸々、興味深く書きたいことは尽きないが、これからアーユルヴェーダのトリートメント。関心のある方は、ぜひ関連記事をご覧いただければと思う。参考までに、諸々のリンクも貼っておく。
🚀SGB (Science Gallery Bengaluru)
【過去のブログ記事】
◉MITの学長招いて月下の宴@キルロスカ邸。作家ラマチャンドラ・グハや元宇宙飛行士のラケーシュ・シャルマ氏とお会いする(2007)
◉MITクラブ結成。我が家で第1回会合を開催。夫と出会って広がりゆく我が人生。(2011)
◉無常と効率の祖国/夫が創設したバンガロールMITクラブと、キルロスカ邸でのパーティ(2011)
◉インターンでインド滞在中のMIT学生らと語る夜。(2013)
◉MIT同窓会の夜。七夕、出会い18周年記念の夜。(2014)
◉MIT(マサチューセッツ工科大学)インターン生を囲んでの同窓会@4P’S
◎マサチューセッツ工科大学の同窓会に同席して(2000年6月執筆のメールマガジン)
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