震災から3カ月がたち、しかし、「復興」という言葉を目にするにつけ、違和感を覚える。
地震や津波など、天災の被害に遭われた方々に対して、その言葉が使われることにはまったく異議はないのだが、こと原発となると、話は別だ。
復興もなにも、災害は現在進行形。状況が好転する見込みがあるとの記事を目にすることはできず。
今日は日本各地で脱原発のデモが行われていることだろう。
わたし自身、この3カ月の間に、思うところは一定せず、意見が翻りがちなところもあったが、今は「脱原発に向ける動き」を支援する気持ちしか、ない。
村上春樹氏が、スペインのカタルーニャ国際賞を受賞された際に、行ったスピーチの全文がネット上に掲載されている。
それを読んで、強く共感を覚えた。
村上春樹氏の小説に関しては、人それぞれに異なる感想を持たれるだろう。
ともあれ、彼の翻訳された書籍は、世界各地の人々に読まれている。これまでもフランツ・カフカ賞やエルサレム賞などを受賞。
世界の人々に向けて、言葉を発する立場にある、数少ない日本人のひとりだと思う。
その彼が、平易な言葉で、素朴に、真理を説いているスピーチには、『非現実的な夢想家として』というタイトルに、謙虚すぎる印象を受けた以外、心より、敬意を覚えた。
ややこしいことではない。本当に、人として、素朴に。「無常」と「効率」。
さて、昨夜は、夫が主催したMITクラブ@バンガロールの集いに出席すべく、キルロスカ・グループ(財閥)のヴィクラム・キルロスカ邸へ赴いた。
向こう一年は、ヴィクラムがクラブのプレジデントをつとめることになったとのこと。
今回は、米国在住インド人のデッシュ・デッシュパンデ氏夫妻がボストンから来訪していることから、夫は彼に講演を頼んでいた。
デッシュは米国で非常に有名な実業家であり、MITほか、さまざまな組織のボードに籍を置いている。オバマ政権の革新戦略にも携わっているとのこと。
時折、蛍が舞い飛ぶ、なんとも風情のある様子。
しかしながら、話の内容。
難しすぎて、わからん。
耳を傾けていても、まったく内容が頭に入ってこないのだ。
こういうとき、実に情けないものである。
子供の時から、ちゃんと英語をやっときゃよかったよと思う。
尤も、英語がきちんとわかっても、内容が難しすぎてついていけんということも考えられるが。講演のあとの質疑応答も活発。
大学生だというヴィクラムの愛娘も、難解な質問をしている。ついていけん。蛍でも眺めるしかなかろう。
このところ、夫からも、
「英語の家庭教師をつけて勉強し直すべき」
と言われている。ちょっと考えねば。
このMITクラブの発足にあたっては、彼は懸命に動いていたこともあり、さまざまなメンバーから声をかけられる。
毎度のごとく「あなたもMIT?」と尋ねられ。
夫婦揃って米国の大学を出ているカップルが多い中、「バーンズ&ノーブルのスタバで相席になって知り合った」という、ドラマのようだがどこか安っぽい出会い方をしている人は、ほとんどいない。
デッシュからは、
「今回は、招いてくれてどうもありがとう」
と、わたしは何もしていないのだが、お礼を言われ、
「すばらしい講演でした。こちらこそ、ありがとうございます」
と返す自分の虚しさよ。
彼も、彼の奥さんのジャヤスリーも、本当に物腰がやさしく、まったく奢ったところのないご夫婦。
ジャヤスリーの妹の夫が、バンガロールきってのIT企業インフォシス・テクノロジーズの元CEOナラヤン・ムルティ。
現在、ナラヤン・ムルティのご子息の結婚式イヴェントが行われており、夫婦揃って故郷のカルナタカ州に戻って来ているのだとか。
実は、ジャヤスリーのお兄さんだか弟さんが日本人女性と結婚されていて、その方も米国から来ているとのこと。
「アルヴィンドの奥様が日本人だとわかったら、彼女も連れて来たのに……」
と、とても残念そうにおっしゃるのだった。
カクテルの後は、食事も用意されており、円卓にて語らいながら。ヴィクラムは近々、娘とともに日本へ赴くという。
ヴィクラムはトヨタ・キルロスカ・モーターの副会長でもあることから、日本へは幾度となく訪れているとのこと。娘は大人になってからは初めてとのことで、とても楽しみにしているようだ。
年々、パーティでサリーを着ている女性が減っている。
今回も、ジャヤスリーとわたしと、もう一人の年配女性だけがサリー。
外国人なのにインドの伝統服を敢えて着るのは「どこか変わり者」な印象を与えるような気がしないでもないが、今更そんなことを気にしてもいられない。
目立つ。という意味では、効果的である。
移住当初は、わたしがサリーを着ることをあれほどいやがっていた夫だが、ここ数年は軟化。
「あなたの奥さんはサリーを上手に着ておられますねえ」
などと言われるのを、悪くなく思いはじめているようだ。
なによりだ。
今年卒業したばかりという、初々しい青年たちも参加していた。
わたしも若いころに、海外留学をしたかった。
日本語だけでなく、英語でもすらすらと文章を書けるような力をつけたかった。
今からそれをやる根性なら、ない。
などと、思い巡らす夜である。
■MITの学長招いて月下の宴@キルロスカ邸(2007/11/23)
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