インドの伝統衣装であるサリーへの関心を端緒に、これまで20年余り、インドの伝統的なテキスタイルに親しんできた。あくまでも、「サリーが好き」だという嗜好の域だったテキスタイルへの関心。2年半前に「京友禅サリー」を通して日本の着物世界を垣間見、1年半前の一時帰国時に立ち寄った中古着物店で伝統的な着物のすばらしさに衝撃を受け、関心は益々高まった。
学びの過程でありながら、この1年半、いくつもの展示会やトークを実施した。機が熟すのを待っていては人生が足りないので、動きながら学ぶ。軌道修正しながら進む。大切なのはプロセス。過程。気づけばテキスタイルを通しての活動は、我がライフワークの一つとなりつつある。もちろん、わたしは専門家ではい。その立場をわきまえつつ、自分が経験した範囲内で、ストーリーをシェアしている。
インドのテキスタイル。歴史はインダス文明時代に遡る。数千年前の技術が今なお変容しつつも引き継がれている様子に感嘆する。陸をたどり、あるいは海を渡って、地球の随所で発生してきた人間の手技の匠に心を動かされる。極東の島国、日本に、大陸の技がたどり着いて育まれ、極まる浪漫に思いを馳せる。
過去数十年。テクノロジーの絶大なる進化で、人類史上例を見ない豪速で、我々の生活環境は変化している。テクノロジーの恩恵を受けつつも、しかし自分の手を使うこと、脳みそを使うこと、工夫をすること、試行錯誤することは、益々、大切になるだろう。
人間の手作業を尊重し、維持し続けることは、時代の流れに逆行することではない。人間が、人間であるために、絶対的に守られるべき「砦(とりで)」だと思う。そもそも、便利が過ぎると楽しくない。創造の喜びがない。疲労のあとの達成感がない。
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先日、The Registry of Sareesを主宰するAllyに声をかけられ、オフィスを訪れた。The Registry of Sareesは、手紡ぎ、手織りテキスタイルの研究機関だ。詳細は、当該サイトをご覧いただきたい。また、わたしが以前訪れた展示会の記録も写真とともに残しているので、以下、添付する。
The Registry of Sareesの同じ建物内に、同団体の商品販売部門であるYaliが併設されている。バンガロールの老舗サリー店、Mysore Saree Udyogとのコラボレーションにより生まれたという、手織りのテキスタイルによる衣類が並んでいる。
ここには若きスペシャリストたちが在籍し、テキスタイルの研究やファッションデザイン、あるいは展示会のデザインなどを手がけている。どれもが創造性に満ちていて、本当に興味深い。これまで幾度となく記してきたが、インドは若者人口が多いこともあるけれど、祖国の伝統を学び守り発展させようとする若い力が随所で萌芽していると感じる。日本の若い世代(年齢問わず、能動的に動く世代)の人たちに見てほしい……と、いつものごとく思う。
インド亜大陸では5000年も前から、綿が栽培されてきた。写真にある茶色い綿は、染めたのではなく、もとから茶色い種なのだという。触ればふわふわと、子犬のようだ。英国統治時代、廃絶された種の一つだとのこと。当時、綿といえば「白」が主流になっていた。先日、MAP (Museum of Art & Photography)で開催されたテキスタイルのシンポジウムでは、ほんのりと赤いコットンの存在を知ったが、茶色もあったのだ。
実は、1980年代に農学研究者が、シードバンクにあった数百年前の種をパラッと蒔いたところ、気づけば発芽していて、茶色い綿花が育ったという。しかもその農学研究者の名前が「Khadi」だというのだ。
蘇った茶色いコットンは、染められることなく織られ、濃厚なミルクティーのような自然の風合いの布に姿を変える。背後にあるクッションがそれだ。このコットンを用いた衣類は、インディゴ(藍)のシャツなどと並んで、Yaliでも販売されている。
そのほか、マイクロスコープで布の表面を見せてもらい、細かな紋様に感嘆したり、金糸の造形(細い糸の周囲に超絶細い金箔が巻かれている)に驚嘆したり……。諸々、書きたいことは尽きず。
さて、この日、Allyから招かれた背景には、近々ムンバイで開催される催しへのご協力がある。ご縁は連なり、経糸(たていと)、緯糸(よこいと)、織りなされてゆく。この件については、長くなるので、後日改めて記したい。
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