季節の変化緩く、一年を通して暖かいか暑いかのバンガロールの、盛夏は4月から5月にかけて。
わたしが知るここ10年間のこの街は、年々、樹木が伐採され、建築物が増え続け、気温は上昇傾向にある。我が家はそれでも、エアコンディショナーなしに、天井のファンだけで凌げているのは有り難く。
先週あたりまでは、日本の桜の時期に合わせるかのように、街路にはピンク色の木の花が咲き乱れていた。
「ピンク・テコマ (PINK TECOMA)」、あるいは「ピンク・トランペット」と呼ばれる花で、この時節の街路をやさしく彩る。また、同じようなトランペット状の木の花で、黄色い「テコマ」や、薄紫色の、やはりトランペット状の花をつける「ジャカランダ」も、開花している。
盛夏となるころ、まるで炎のように中空を染めることから、日本語では「火焔樹」と呼ばれている「グルモハル」の花も咲き乱れることだろう。
ここ数週間は、差し迫った仕事もなかったことから、家の片付けも積極的に行っている。2年に一度ほどはやっているはずの、各部屋のクローゼットの掃除だが、徐々に、不用品が増えて行き、大掃除を必要とさせられる。
何年間も着用しない服は、寄付に出す。小物やバッグ類にしても然り。寄付を受け止めてくれる人たちがいるのは、ありがたいことだ。処分することの罪悪感が軽くなる。
インドに移住した当初、しばらく自家用車を買わず、タクシーサーヴィスを利用していた。そのときの専属の運転手のことばが、いまでも忘れられない。
お洒落好きの20代半ばの青年ラヴィは、しばしば、新しいシャツを着ていた。決して高価そうなものではないが、しかし清潔感があり、そして感じのよいシャツであった。
あるとき彼に尋ねた。
「いったい何枚、シャツを持っているの?」と。
すると彼は「12、3枚です」と答えた。
そんなはずはない。もっとたくさん持っているでしょ? と問うたところ、彼はこう答えたのだった。
「僕は毎月、新しいシャツを2、3枚新調します。そのときに、古いシャツを2、3枚、貧しい人たちに寄付するんです。だから、常に同じ枚数しか持っていません」
爽やかすぎる彼の言葉に、衝撃を受けた。
古くなった衣類を後生大切に持っていたがる夫に話したところ、まったく感銘を受けてくれず、軽くスルーされたのは残念な限りだったが、ともあれ、彼の「衣類観」には、学ばされるべきところがあると、大いに感心したものだ。
にも関わらず、ついつい、溜め込んでしまう。さほど服を買っているとは思えないのに、気がつけば、増えている。身軽に生かねば。
クローゼットの空間が広いほど、その余白に気持ちの余裕が結びつく。
心を鎮めるためにも、片付けは、大切。
ところで今日はグッドフライデーにつき、インドは祝日だ。週に一度のミューズ・クリエイションの集い、サロン・ド・ミューズは、昨日、すませた。
来週の火曜日は慈善団体訪問につき、各チーム、その準備なども行った。
この時節、人の入れ替わりが殊更に多く、見送る人あり、迎える人あり。
この3年足らずで、のべ100名を超えたメンバー。このごろは20代のメンバーも増え、常に年齢層も幅広く、各チームの人数のバランスもよく、調和できているところが、いつものことだが、不思議で、面白い。
昨日は、久しぶりにスイートポテトを作った。芋きんとんなら、数年前の正月に作ったが、お菓子としてのスイートポテトを作ったのは、高校時代の「スイートポテト・タルトレット」以来ではなかろうか。
インドにもサツマイモはある。なんとなく「簡単だしな」との思いで作ってみたのだが……。簡単には違いないが、手間がかかってしまった。
インドのサツマイモは形状がすさまじく歪んでいる。皮を剥きにくい。更には、非常に灰汁が強く、手がべたべたとさえする。人間が食べるために作られた農作物というよりは、「どこぞの山奥から掘り出して来た原生の芋」という風情だ。非常にワイルドである。
随所に傷などがあるため、厚めに皮を剥いたあと、サイコロ状に切って、しばらく水にさらす。
この段階で、「なんか、手間かも」と思う。
水にさらしたあと、今度はたっぷりの水で茹でる。ちなみに、日本の調理サイトなどを見ると、「電子レンジでチン」が主流だが、わたしはほとんど電子レンジを使わない。蒸すか茹でるかする。この芋は灰汁が強いので、茹でることにした。
その間に、オーガニックの無精製砂糖、やはりオーガニックのバター、そして新鮮な生クリームを準備。味のアクセントに、ラム酒につけておいたレーズンも入れることにした。
タルト生地を焼くのは面倒なので、胚芽入りのビスケットをビニル袋に入れて伸し棒で叩いて粉砕。粉状になったものに溶かしバターと生クリーム少々を加えてしっとりとさせ、焼き型の底に敷く。
茹で上がったサツマイモ。これを裏ごす。2割ほど裏ごした段階で、とてつもなく、面倒臭くなる。簡単だけど、すごい手間。なにしろ1キロ以上のワイルドなサツマイモ。25人分ほどのお菓子である。
額に汗を浮かべつつ、芋を必死に裏ごす女。いったい朝からわたしは、何をやっているのかと自問せずにはいられなかった。が、裏ごされた芋は滑らかにやさしく、クリーミーでさえある。
それに砂糖やバター、生クリームなどを加えて味を整える。味見をすれば、非常においしい! レシピでは卵黄を加えることになっているが、これはしっかり焼き込まずに、表面を焼くだけなので、加熱不足になることが心配だったことから卵は入れなかった。それでも十分においしかった。
この日ばかりは、みなにも押し付けがましく、
「これ、手間かかったから、しっかり味わって食べてね」
と強要せずにはいられなかった。
ミューズ・クリエイションのティータイムにおける手づくり菓子は、ロンパールームにおける牛乳である。というのが、我がコンセプトだ。
なぜか、実力以上に、おいしそうに感じさせるところが、ポイントである。
もちろん、みなに食べろと強要しているわけでは決してない。欲しい人だけが取る、というシステムにつき、手づくり菓子が苦手な方でも、ノープロブレムだ。
ちなみに使用しているオーガニックバターはこれだ。風味がやさしく、新鮮だ。インディラナガールのFRESH EARTHで購入している。もちろん、一般のスーパーマーケットに売られているAMULやニルギリスのバターも愛用している。
ちなみに多くの日本人にとって、インドのバターは「味が濃厚で癖がある」とされているらしいが、わたしはその癖あるバターも好きである。料理に使うと、こくが出て、がっつりとした隠し味になる。それは最早、隠し味とは呼ばないのかもしれないが。
育ちすぎた椰子の葉の葉陰となって、生育不良だった芝生だが、数カ月前に大量の葉を伐採し、太陽の光をたっぷり浴びられるようになって、元気を取り戻しつつある。もっとどんどん成長して、「芝刈り」をさせてほしいものである。
さて、明日土曜日は、ミューズ・リンクスのライフスタイルセミナー「入門編」を実施する。平日版は何度か実施したが、週末のセミナーは今年に入って初めてだ。毎年、年初は立て込んでいて、後半に集中しがち。そろそろ実施をと思っていたところに、セミナーの依頼があった。
週末のセミナーは、コーヒーブレイク(おやつ休憩)のほかにも、終了後の懇親会(という名の、小宴会)もある。
セミナーの資料の準備などは早めにすませているので、今日は専ら、おやつの準備。明日の午前中は、懇親会の際の食べ物の準備を。というわけで、自分でも、コンセプト不明のセミナーだが、なにかしら、食べて飲んでを楽しんでいれば、会話も弾むというものだ。
ともかくセミナー自体は、広く浅く、ときに深く、非常に広範に渡る内容を、数時間でぎゅっと凝縮してお伝えするので、みなさん脳みそがいっぱいいっぱいになること請け合い。即ち、休憩の飲食物は重要なのである。
というわけで、わたしもまた、明日が楽しみだ。
夕暮れ時、急に強い風が吹いて来た。庭に出れば、ブーゲンビリアの花が降ってくる降ってくる。
花をそのまま朽ちさせるのが惜しく、拾い集めて水に浮かべる。
昼間は珍しく、外出することなくずっと寝ていたNORA。そしてROCKYは、庭ではしゃぎつつ、ひとときを過ごす。
夫はといえば、朝からずっと、電話ミーティング。
ここ数年のうち、彼が投資に関わった2社が、折しもここ数週間の間にIPO(新規株式公開/上場)することになり、立て込んでいた。
いずれも数十億円、2社合わせると100億円ほどの投資をした会社である。数字だけを聞くと、わたしのような職業の者には、最早、胃が痛くなるような金額であり、責任の重さにストレスで押しつぶされそうになるところだが、夫はと言えば、ずいぶんと、クールだ。
10年前、インド移住前後、インド人なのにインドの洗礼にやられまくっていたころと比べると、彼もインドの荒波に揉まれたせいもあるのか、精神的に打たれ強くなり、とても成長したと思う。
悠然とさえ、している。昔は、仕事の愚痴をよく聞かされたが、このごろは、それもずいぶん減った。思い返せばこの10年、本当にいろいろなことがあったものだ。
「大丈夫?」
と尋ねる頻度も、思えばずいぶん減った。
我が夫ながら、大したものだと、このごろは切にそう思う。
自分自身の責任を、負担として負いすぎない。多くの日本のビジネスマンが、仕事のストレスで参ってしまうのとは裏腹に、インド人特有の、精神構造をそこに見る思いだ。
ちなみに電話をしている関係者数名は、みな4連休を利用しての休暇中。一人はケララのリゾート、クマラコムのホテルから、もう一人はジョドプールの宮殿ホテル、ウメイド・バワン・パレスに滞在中だとのこと。
にもかかわらず、朝からずっと、ひっきりなしに電話でのやり取り。
夫はといえば、「彼ら、ずっと部屋にこもって、気の毒だよね〜!」と、笑っている。本当にお気の毒ではあるが、なにしろデッドラインが目前で、こればかりは数年に一度の一大事につき、さすがに後回しにはできない仕事らしい。
そもそも、そのような状況下でもしっかり休暇を取っているところが、味わい深くもあり。ご家族もまた「お父さん? いなくても大丈夫」とばかり、滞在を楽しんでいるかもしれない。
ともあれ、夫はといえば、眉間に深〜いシワを寄せながら、なにやら厳しい口調で深刻にやりとりをしておきながら、電話を切るや否や、まるでテレビのチャネルが切り替わったかのような素早さで、甘い声色で以て、
「NORAチャーン! オイデ!」(←なぜか日本語)と言いながら、NORAをなでなでして構ったり、
「あ、MOCHAに餌をやりに行かなきゃ!」と階段を駆け下りて、餌が入った箱を片手に外へ出かけたりする。
彼の在り方に、学ぶところ多いなと思う今日この頃。
国際結婚。なかなかに、奥深く、日々是発見、である。
精神的に圧迫感を与えがちな鬼嫁にできることは、「手料理と健康管理」に尽きる。この2本は、これから先も注力していくべき、我々人生のテーマだ。
よく食べ、よく笑い、よく眠る。
それさえできていれば、人生、なんとかなる。
さて、妻はそろそろ夕飯の準備をいたしましょう。