「三寒四温」というよりは、「三寒四暑」と呼びたくなる、この時節のニューヨーク。毎年、冬と夏が行き来するから、服装に難儀している。到着した翌日は真夏のファッション。昨日はパシュミナのストールを羽織る。
セントラルパークの朝。夫は毎朝、ジョギングに出かけた。わたしは、緑の一隅で、先日から習い始めたばかりの太極拳の基礎運動のあたりを、復習する。
ヨガのようにマットを準備したり、平坦な地べたがある必要がなく、いつでもどこでも身体をほぐせるのが魅力。
鮮やかな羽根色の小鳥たちが舞い飛ぶ様子を仰ぎ見ながら、その向こうに広がる青空の突き抜ける爽やかさに深呼吸。
この花、甘酸っぱくも芳しい香りを放ちながら、なんとも言えず幸せな気分を誘っている。ライラック、だろうか。
住んでいたころは、マンハッタンに数軒しかなかったLe Pain Quotidien。今や街の随所で見かけるベルギー発のカフェ・ベーカリー。
ホテルの部屋で朝食を食べるようになる前までは、この店が我々の定番だった。ヘルシーな食材の素朴なメニューが安心させてくれる。
セントラルパークの中にも店舗ができていたとは、知らなかった。ここはドッグランに近く、犬天国。
かわいい犬ら。この犬たちはセントラルパークを自由に駆け巡ることができて、幸せだ。
NORAとROCKYは元気かなあ。
猫は散歩できないけど、こういうところを走らせてやりたいなあ。でも一瞬で見失うが最後、決して見つけ出せないだろうなあ。
ドライヴァーのアンソニーによると、ROCKYは今のところ、庭から脱出せずにいるらしい。脱出経路の一つを絶って来た。NORAは少しも顔を見せないらしい。彼が訪れる朝と夜は、お出かけ中らしい。ごはんは食べているみたいだけれど。羽根伸ばし放題なのだな。
わたしがデング入院中は、ほとんど家にいなかったらしいが、わたしが退院した翌日は、書斎で、ベッドルームで、わたしとずっと一緒にいてくれた。無愛想だけど、いい子なのだ。ううぅ。猫らに会いたい!
こんな気持ちになるなんて、1年前のわたしからは想像もできないことだ。
If you build it, he will come.
平日の朝の公園は静かで、広大なこの公園の、ひとけの途絶えた場所では、ここが摩天楼のまっただ中であるということを、忘れさせられる。もっともっと、森の奥深く……という場所さえも、この公園にはあるのだ。
ランチタイムは、数年ぶりにPORTER HOUSE。数年前までは毎年のように訪れていたステーキハウス。ところが胃腸力の低下を実感した数年前からは、敢えて来なくなっていた。
今回、入院中にどうしても「がっつりステーキ」が食べたくなり、来たのだった。ディナーは野菜や果物中心の軽めを心がけているので、敢えてランチタイムである。
しかし、このランチタイム、が、失敗の原因だった。
わたしは、エイジド・ビーフかなにか、上質のステーキをシェアして(大きすぎて一人では食べられない)、あとはベイクドポテトとアスパラガスのグリルなどで十分だと思っていたのだが、夫は、ランチメニューのステーキがいいという。シーザーサラダも食べたいし、デザートのチーズケーキも食べたいからと。
そちらの方が一見、ヴァラエティ豊かでお得に見えるけれど、でも、わたしは質のいいビーフが食べたい。フレンチフライもデザートもいらない。シーザーサラダは食べたいけど。
普段、食に関してだけは、意見が分かれることがほとんどないのに、このときは波長が合わず。しかも、わたしときたら、不覚にも引き下がってしまった。
デング熱の後遺症か。
オーソドックスなシーザーサラダが、懐かしい。米国に暮らし始めた当初、これが気に入ってよく食べたものである。特にアンチョビー入りがうれしかった。あいにくこれには入っていなかったが。
うれしそうにはしていますがね。見るからにパンチの効いていないビーフに納得していません。
明らかに中途半端な肉!
おいしいにはおいしいが、望んでいた味とは違うのだ。
と夫。な、なにをぬかす!
「だ・か・るぁ・いっただるぉぉ〜おぅう!」
と、心中でシャウトしつつ、その、中途半端な感じの肉を食す。この牛肉なら、BAMBURIESのフィレ肉を自分でステーキにした方がよっぽど、自分の好みだ。
無念すぎる。
なにがうれしくて、マンゴーシーズンのインドからやってきた人間が、アメリカでマンゴーソルベを食べるかな、という話だ。
おいしかったけれど。
チーズケーキはリッチ過ぎてハイカロリー過ぎて、食べきれません。一応、味見はしたけれど。
おいしかったけれど。
エスプレッソを飲んで、心を鎮めよ。この蓋付きのデミタスカップがかわいらしい。
五番街で軽く買い物。その前に、「医堂」で指圧のマッサージ。なにしろデング以降は、身体をほぐすことなく、長時間フライトを経て来ている。肩や背中の凝りも著しく、旅の途中には、いつも訪れるところの日本の指圧マッサージ。かなりリラックスできるのだ。
その後、SAKS FIFTH AVENUEへ。ここもまた、毎年のように立ち寄っては、ドレス(日本でいうワンピース)を買い求める。インドにはないタイプの服を。3階フロアに、超高級ブランド過ぎない、そこそこ手頃なブランドのドレスが多彩に揃っているのだ。
顔なじみの売り子のおばさま、色白ではあるがインド的ムード。いつも「北インドの人なのだろうなあ」と思いながら見ていたのだが、今回初めて、彼女がわたしのバングルに気づいて声をかけてきた。
わたしが義母(さらにはその母)から受け継いでいるゴールドのバングルと似たものを、彼女も身につけていたのだ。そこで、わたしがインドから来たということが彼女にもわかり、しばしの世間話。
彼女の出身はカシミール。1983年に米国に移住して以来、デリーには何度か訪れたが、故郷のスリナガルには一度も戻っていないという。
「英国のせいで、わたしたちは故郷を喪った。何もかもを、失ったの」
パーティション(印パ分離独立)のこと、3度の印パ戦争のことを哀しげに、しかし、前世の物語でも話すかのように、軽く語りながら、服を丁寧にラップして、袋に詰める。
ニューヨークとは、こういう街。
遥か遠い昔から、世界のあちこちから、人々が、
夢を求めて、
夢を喪って、
命をかけて、
命からがら、
豊かさのために、
生き延びるために、
飛ぶようにして、
這うようにして、
たどりつく場所。
あとは、自分次第。
寛大で、冷たい。
暖は自分でとれ。とばかりに。
この日のランチは、ここ数年の訪問時には必ず立ち寄っているTelepanへ。アッパーウエストサイドのレストラン。夫が特に気に入っている。
指定農園の厳選された野菜だけを使っているとのことで、ともかくは素材の味が生きた、素朴な料理が美味なのだ。
やはりプレフィックスのランチがお得かつヴォリュームもほどよく、おいしい。デザートなしの2コースメニューを頼むことにした。
夫は魚のグリルを、そしてわたしは……。
またしても、肉! どうしても、ポーターハウスのステーキが不完全燃焼過ぎた。この肉の下には、たっぷりのホウレンソウのソテーが敷かれていて、ポテトもクリーミー過ぎず、すべてがほどよい。
ビーフも柔らかくジューシーで滑らか。量もほどよい。本来ならば、もう少し脂身が欲しいところであるが、米国のビーフは脂肪が少ないのが一般的でもあり。
これはこれ、である。
ソースの風味もよくて、満足のランチであった。
ブライアントパークの南で、話題のブルーボトルコーヒーを発見。試してみることにした。
1杯ずつ丁寧にドリップされるコーヒー。わたしはこの日お勧めだった、スリーアフリカンズ、というブレンドを。
丁寧に入れられただけあり、風味がしっかりとしていて、温度もほどよく柔らかだ。今度は違うローストを試してみよう。
さて、本日金曜日は一旦、このマンハッタンのホテルをチェックアウトして、フィラデルフィアへ向かう。
本来は、アムトラック(鉄道)でフィラデルフィアへ向かい、2泊3日、夫のMBAのリユニオン(同窓会)に参加したあと、3泊を郊外ドライヴに出かける予定でいた。
ところが火曜日、アムトラックのワシントンDCとニューヨークを結ぶラインが、フィラデルフィアで脱線事故を起こしてしまった。8名の死者、200名以上の負傷者が出る惨事となっている。なんということか。
ニューヨークとフィラデルフィア間はまだ路線が復旧しておらず、レンタカーで出かけることにした次第。
3年ぶりの運転だ。
インドに比べれば、マンハッタンの道路さえも楽園。とはいえ、横断歩道にさしかかるたび、信号を無視して歩行者が車に迫って来るのは恐ろしいものである。慎重に、安全運転で、出かけよう。
フィラデルフィアもさることながら、久しぶりの田舎ドライヴ旅がとても楽しみだ。
行ってきます!