先週の水曜日、日本からの大学生インターンを対象に、セミナーを行った。3週間前に実施したのとはまた別の学生たちだ。
午後2時よりスタート。毎度毎度「語るに尽きず」ということを書いているせいか、主催者氏がその後の予定を入れておらず、「坂田さんさえよければ、話したいだけどうぞ」の状態。もちろん、セミナー費は時間や内容を考慮したうえで設定しているのだが、それよりむしろ、伝えられるだけのことを、伝えておきたいという気持ちが先に立つ。
無論、聴衆が眠たそうだったり、関心をもってなさそうだったら、早送りして本来の「2時間程度」ですませるつもりでいた。ところが、予想以上に学生らの反応がよい。みな、もっと聞きたいという雰囲気だったので、テーマによっては、深く語れた。
途中で質疑応答はさみつつ、いつもの手づくりロールケーキお茶休憩も挟みつつ、最後にはまた、パーソナルな事柄も含めた質疑応答で、終了は午後7時半。学生向けのセミナーとしては最長記録。だが、話せた内容は概要部分のみで、やはり衣食住に関しては資料を渡すのみに留まった。
つまり、5時間あってもまだまだ足りないということがよくわかった。若い人たちが、こんなに前のめりに聞いてくれると思うと、インドに限らず海外で暮らすにあたってのあれこれなど、伝えたいと思うことも沸きあがる。自分が知っておきたかったこと、学ぶべきだったが怠ってきたことなども含めて伝えた。
ところで彼ら。わたしのホームページを見てくれているらしいが、どうも、『うさぎのアリスの猫レポート』に関心が集まっている気配。NORA&ROCKY事情に詳しい学生が数名。そこかよ! と突っ込みつつも、猫の力に敬服だ。写真は、庭でケーキを食べる人、NORAの過去の脱出経路を指差して確認する人。
その彼らと、ミューズ・クリエイションのメンバー有志数名と、先週の土曜日、慈善団体を訪問した。
土曜日は、学校関係の施設がお休みのところも多く、訪問先は限られている。どこを訪れるべきか……と思い巡らせている時、わたしがこれまで訪れた場所の中では最もハードルが高め、即ち、衝撃度が高い場所がひらめいた。
NEW ARK MISSION。HOME OF HOPE。希望の家、である。この慈善団体は、オートリクショーの運転手だったラジャという男性によって、1997年に始められた。路上生活をしている貧困層の中でも、健康に支障があり、身寄りがない人々を引き取って収容している。
彼が一人で始めた施設は、現在大人約400名、こども約50名を擁する、大きな施設に成長している。この18年間、ずっと民間からの寄付や募金によって、運営が続けられてきたという。
過去2回、訪問した際の記録は、克明に残している。関心のある方も、関心のあまりない方も、ぜひ過去の記録をご覧いただければと思う。
■希望の家。希望ある死。無口な人々の終の住処。2011年1月(←Click!)
■みなそれぞれに、ハードルを乗り越えて、 希望の家へ。2013年10月 (←Click!)
まずは、女性たちが暮らす棟の中にあるオフィスへ。ちょうど朝ご飯の時間だとのことで、屋外のテーブル、あるいは広場に座り込んで、食事をしている。
こちらを見て、笑顔をくれる人、ただ茫然と座る人……精神を病む人が多数のそこでは、互いに交流を図る人は少なく、関われば、大声を上げての喧嘩になったり、叫びとなったり。
わたしがここを訪れるのは3度目であるが、毎度、心が迫る。
さて、オフィスでは、まずラジャが同団体の活動に関する映像記録を見せてくれる。それらの一部はホームページにも掲載されているもので、参加者の中には見た人もあるだろう。
幸い、コンピュータのモニターの小さな画面を遠くから眺める形であったにせよ、そこに展開されているシーンは衝撃的である。
映画ではない。現実。
学生たちがどのように感じたのか、ということについては、彼らの感想を下部に掲載しているので、見ていただければと思う。
質疑応答の際に、ラジャが繰り返す「神の愛」という言葉。すべての行動の機動力となっているらしき、その愛の所在についてを、思う。
オートリクショーのドライヴァーだった彼が、4人の路上生活者を自宅に連れ帰り、手当をしたところから始まったこの団体。
ラジャは強調して、言う。
18年間、一食たりとも欠かすことなく、みなに食事を与えることができている。
そのことだけで、すでに神に守られている。
すでに彼から聞いていたはずの言葉を、また、初めて聞くような思いで噛み締めながら、途方に暮れるような気持ちになる。泣けてくる。
が、泣いている場合ではない。
ラジャの話しを聞き、質疑応答を終えたあと、子どもの棟へと赴く。子どもたちは、大半が身寄りがない捨てられていた子どもたち。それに加えて、この施設で生まれた子もいる。妊娠して収容された女性が、出産したものの、育児放棄をしているケースもあるという。
彼らの多くは、身体になにかしらの疾患を抱えている。年齢に比して、成長が遅い子が多いように見受けられる。HIV陽性の子どももいる。
2年前は空き地だった場所に、遊具施設のほか、身体障害児童向けの宿泊棟などが新設されている。これらもすべて、民間人、あるいは民間企業からの寄付によるものだ。
わたしたちが訪れたとき、ちょうど礼拝の時間であった。カンナダ語の聖書、である。
礼拝を終えた子どもたちと一緒に遊ぼうにも、実は言葉が通じない。そんな中、手助けしてくれたのは、年長のお姉さん、グレイシーだった。上の写真の左端に立っている少女だ。
彼女が英語でわたしと会話をし、子どもたちに伝えてくれる。実は彼女、2年前に訪れた時には、まだ頼りなげな女の子だったのに、今ではすっかり、小さな子たちの面倒を見る頼もしいお姉さんだ。
ちなみこれは、前回訪問時の写真。この左の少女が2年前のグレイシーだ。2年前は、インド版の着せ替え人形を喜んで作っていた。実は彼女自身も、少し目が悪いようだ。
まずは、子どもたちに持参のお菓子を渡して、食べてもらう。言葉が通じない上に、見慣れぬ顔をした人たちの大挙には、たいてい、怯えるものである。ゆえに、まずはおやつで、お近づき、である。
学生らにも、敢えて一緒に食べてね、と頼む。一緒に食べるほうが、多分、より親密度が増す。
トムズ・ベーカリーのビスケット。小さな子どもたちには、ちょっと大きすぎたものもあり。ゆっくりと、大切そうに食べる子どもら。
その後、いつも慈善団体に持参している遊び道具を広げ、役割分担を決める。一応、学生たちにも「どのような遊びをするか」については考えてもらったが、なにぶん初めてのことだし、言葉でのコミュニケーションが図れないことから、持参の道具を使って遊んでもらうことにしたのだった。
ここの子どもたちは、他の団体の子どもたち以上に、我々に触れて来たがる。こんなに異なる顔をした日本人でさえも、怖がることなく、近寄って来て、手をつないだり、すり寄ったりする。
本能なのだろうな、と思う。
その小さな手に、肩に、触れながら遊ぶ。
子どもたちもさることながら、学生たちは果たして、子どもたちとうまく遊べるだろうかとの思いもあったが、あっというまに打ち解けているのを見て安心した。思えば彼らとて、つい最近まで子どもだったわけだし、童心に戻るのはさほど難しいことではないだろう。
「日射病になるよ。日陰でやったら?!」
と、声をかけるが、
「子どもたちが、こっちがいいって言うんです!」
と学生。そうだな、若者はこれくらいの日差し、大丈夫だな、と思い直しつつも、ちょっと心配。
子どもたちが遊び方を学ぶのは、あっという間。打ち解けるのも、あっという間。
今回、子どもたちと遊んでいて、ひとつ大きな反省点があった。脚の不自由な少年が、おもちゃが広げられた途端に興奮したせいか、遊具につまづいて転んでしまったのだ。その際に、目の上を切り、出血した。
その際には、グレイシーが冷静に、傷口を手のひらで押さえ、少年を抱きかかえるようにして先導してくれた。できればすぐに、消毒液やバンドエイドでも、と思い、居合わせた大人たちに確認したのだが、このような事態に慣れているのか、最初は放置気味だった。
しばらくたって、軟膏のようなものを塗ってもらい、血で汚れた衣服を着替えさせてもらったので、安心したが、前回のドミニカン・シスターズでも、遊具は確かに危険だと思ったことを思い出し、気をつけねばならないと再認識させられた。
子どもの遊びに怪我はつきものとはいえ、当然ながら、怪我をしないに越したことはない。その意味もあって、わたしは常に、あちこちをうろうろしつつ、危険回避を含め、状況を確認してきたつもりであったが、当然、全体に目が行き届くわけではない。
今後は参加するメンバーにも声をかけ、安全第一を心がけねばと思わされた。また、次回からは、怪我に備えて、応急手当用の救急箱も持参して訪問するようにしようと思う。
ところで、こちらは2年前の写真。この赤ちゃんのかわいらしさに惹かれて、ツーショットを撮ってもらっていたのだが、今回、少し大きくなった彼に再会できて、うれしかった。
わずか1時間程度の滞在であったが、学生らにも、大人たちにも、意義深い時間だったと思う。このあと、ランチの際に、学生からの感想を聞き、彼らが純粋に、この経験を意義深いものと捉え、子どもたちと過ごす時間を楽しんでくれていたのことがわかり、母さん(←誰なんだ?)は、感無量だった。
ミューズ・クリエイションのメンバーだけでなく、バンガロールに関わる多くの日本の人たちが、このような機会に立ち会ってもらえたなら、肌身にこの国の、素顔の一面に触れられることだと思う。
これからも、わたし自身、諸々勉強を重ねつつ、精進しながら活動を続けて行こうと改めて思わされた訪問であった。
以下、学生らからの感想を転載する。彼らとともに訪問できてよかったと、切に思う。
【増田】
初のボランティアでしたが、まず感じたのはただただ楽しかったです。ボランティアというとこちらが何かを与えるだけというイメージだったのですが、実際は今回の場合ですと、子供たちに遊んでもらっている感覚で、子供たちからすごいエネルギーをもらいしました!
僕は子供達とボーリングとサッカーをしたのですが、スポーツは世界共通語というのをまざまざと感じました。スポーツを介して、子供達との壁はあっという間に溶けていき、同じ一瞬を喜びあえるのは、素晴らしいと思いました。このような機会を設けていただきありがとうございました。
【石田】
今日は楽しい一日ありがとうございました! 今回二点のことを学ばさせていただきました。一点目は、言語が伝わらない子供とのコミュニケーションの難しさを学びました。理由は、最初声をかけても、子供の反応が薄く、戸惑ったからです。しかし、全員で準備体操を行い、そして子供と一緒にお菓子を食べることで、子供との距離を縮めることが可能であることを体験しました。
二点目は、ダンスが、コミュニケーションの一手段であることを学びました。なぜなら、子供とボール遊びをしている中で、勢いで変なダンスを踊ったところ子供達の受けが良かったからです。以上の二点学び、体験したことを日本でも通用するか実践し、子供と新たな楽しい時間を過ごしていきたいです。
一方で、反省点が一つあります。目の行き届く範囲の中で、足が不自由な子供がこけてしまい、軽い怪我をしました。今後活動の中で目が行き届くよう意識し、安全に活動を終えるように意識していきたいです。
【桑原】
先日は、MUSE CREATIONの活動に参加させて頂き、ありがとうございました。僕は今回が初めての海外ボランティア活動で、施設に行く前までイメージが全くつかず、子ども達にどう対応すれば良いのかわからず心配でした。しかし、実際に行ってみると大人の方はニコニコして歓迎してくれて、かなり安心することができました。
創設者のラジャさんが見せてくれたビデオはかなり衝撃的で目をつぶりたいと思う瞬間が多くありました。しかし、目をつぶるということは世の中の現実から逃避してしまうことだと自分に言い聞かせ最後まで見ました。ラジャさんにこの施設を始めた理由、運営している価値のようなことを聞いたところ、彼は神に助けられたから神に仕えることを誓い、その為に多く愛を持って生活に困っている人達を助けているということを仰っていました。
僕は特に信仰心がないので、神がとか言われても明確にはわからないところがありますが、ラジャさんの信念をもって活動を貫き通す姿勢にとても感銘を受け僕も将来、彼の様な人間になりたいと思いました。子ども達と遊ぶ時に、僕は少しでも子ども達と距離を近づけるために座って目線を同じにするようにしました。子ども達は思った以上にフレンドリーで僕が当初感じていた不安は全く無意味なものでした。
しかし、陽気な子ども達の中にも体が自由に動かせない子、言葉を使えない子が必ずいて、難しい現実があることを理解しました。僕は塗り絵チームでみんなと和気あいあいしていて、みんなが本当に楽しそうにしている姿をみてほっとしました。女の子が毎回何色のクレヨンをちょうだいと言ってくるので、渡していたらその子が書き上げた塗り絵を僕にくれました。その子の優しさを感じ、僕の宝物になりました。
塗り絵の後は紙飛行機をみんなで作りましたが、子ども達は飛ばし方を知らないのでただもっているだけでした。そんな中、僕が飛ばし方を教えるために飛行機をとろうとすると嫌がってなかなか渡してくれませんでした。でも、一度飛ばしてみると面白かったのかどんどん僕に渡してきました。ここの子ども達は相手と共有することが非常に上手いようで付き合いやすい子ども達ばかりでした。
40分だけだったのであっという間に楽しい時間は終ってしまい、別れる時はみんなが次はいつ来てくれるのと聞かれる度にすぐ来られないもどかしさと淋しさがありました。この機会にインドには生活に苦しんでいる人が沢山いてまだまだインド政府も支援に動けていないという現状を知り、僕個人として寄付をしたいなと思いました。
これからも豊かな世界があるのと同時にその反転の世界が地球には広がっているということを意識し、日本人としてできることを協力していきます。
【長濱】
今日の訪問を通じて感じた事としてはボランティアをする理由に理屈なんていらないということです。僕が遊んでいて気になった子の1人に感情の出し方が少し苦手な子がいました。その子は1人であちこちをふらふらしており、僕はその子の存在がどうしても気になり、今日はその子に笑顔になってもらおうと今日の目標を決めました。
実際その子と遊んで感じたことの一つとして、その子は凄く「愛」というか「人のぬくもり」に飢えていると思いました。意味もなく抱き付いてきたりだとか手を握ってきたり表情にはあまり出てないけど確かに僕と遊びたいという意思表示をしてくれました。
トランポリン等の遊びを通じてその子はぎこちない笑顔も僕に見せてくれました。たった30分程の時間でしたが、相手が自分を必要としてくれている、自分と遊ぶことで喜んでくれる、それだけの理由でボランティアやこのような施設訪問をする活力なんてどんどん湧いてくるなと感じました。
【正岡】
今回は貴重なお時間を僕たちにも割いていただいて、まずはお礼を言わせてください。ありがとうございます。アリランでご一緒したときにも、申し上げましたが、僕はもともと子供と遊ぶのがあまり得意ではないです。特に、小学生以下の子と遊ぶのがとても苦手です。何を考えているのかわからないし、意味不明な行動をすることがあったからです。(ぼくの甥がまさしくそうです)
しかし、今回は、素直な気持ちで子供たちこうして欲しいのかな?と考えて、子供達に注意を払ってみました。すると、あれ?もしかして、こういうこと言ってるのかもと、わかるような気がしました。まさに、言葉や年齢の壁を越えた瞬間でした。ボールで遊んで欲しい子供はボールをもって寄ってくるし、追いかけっこがしたい子供は逃げ回るし、という感じです。苦手と思っていたものは、自分が単に嫌がっていただけなのだとわかりました。日本に帰ったら、甥とも仲良く慣れそうですね。
HOME OF HOPEで遊び始めてはじめは、ボーリングで遊んでいましたが、周りをみてみると、一人で居る子供がいたので、できるだけひとりの子供を作らないようにしました。少し寂しそうにしていたからです。ひとりになるというのは、やはり、ぼくらとおなじくつらいことで、子供達の過去を考えたらなおさらです。そばに寄っていくだけで、笑顔になる子もいましたが、残念ながら、ぼくと2人でいても、あまり心を開ききれなかった子がいることも事実です。
もうひとつ、意識していたこととしては、ボデイタッチです。できるだけなにかしたら(ボーリングでピンを倒したり、魚釣りゲームで魚を釣ったり)、頭を撫でてあげたり、ハグしたりしました。子供たちも喜んで笑顔になってもらえたので、ボディタッチも喜んでもらえるんだと、ぼくと2つ目の共通点(1つ目はひとりにしないこと)を見つけることができました。どこの国でも、寂しい気持ちは同じだし、それは表情に表れてくるのだと感じました。
さて、初めに見せていただいたビデオの中の現実(道に死にかけた人が寝ている、顔に穴があいて生きている人、足に大怪我をして足が不自由な人)は、日本の中では見ることのできないものです。日本のように環境が整っていて誰かが医療的な補助や金銭的な援助をしなくても生きてはいける世界にいたのでは、見ることのできないものでした。
ぼくは今まで、ボランティアというものに参加したことがありません。それは、このような現実を知らなかったからか、目を背けていたからなのかもしれません。ですが、今回、医療やボランティアというものは、とても重要なものだと認識させられました。しかし、日本に帰ってから、ボランティア活動に参加します、となるかどうかは自信がもてません。その分、このミューズクリエイションの中で得た、「誰かが助けないといけない人がいる」現実を伝えることはできます。この現実を、バイト先や、研究室のメンバーに知らせていくことが、まず、ぼくにできることではないかとおもいます。
今回は、貴重な体験の場に参加させていただいて、本当にありがとうございました。
【大亀】
施設訪問の機会を与えてくださり、ありがとうございました。今回の施設訪問を通して学んだこと、気づいたことは2つあります。1つは宗教は偉大である、ということを改めて感じました。Home of Hopeの代表のお話から、彼は昔ストリートチルドレンだったが、ある日神を信じるようになり、苦しい生活を切り抜けることができた。それから神を信じ続け、神に身を捧げ苦しんでいる人を助ける今の施設経営に至った。宗教に対する忠誠心に勝るものはないと改めて自分の耳で聞いて理解できました。
2つ目は日本人がいきなり来ても、物怖じしない子どもたちの勢いと可愛さに圧倒されたが、こどもたちに負けないように私は楽しんだ。私はボーリングで10人くらいのこどもと遊んだが、一番年上の12歳くらいの子が小さい子もみんな楽しめるように指揮をとっていました。坂田さんもおっしゃっていましたが、インドには家族で過ごす時間が長く、兄弟の中で年上が年下の子を引っ張っていく文化があるのだと学んびました。サッカーを他の子どもとも楽しんだが、スポーツはやはり言葉なしにお互いに楽しめるものであると思いました。
※ミューズ・クリエイションメンバーの感想も追加します。
本日もとても良い経験ができました! 学生さんたちも非常に喜んでましたね。楽しんでいた様子に心が洗われました。ボウリング場所に足を運ぶのを失念していたので、写真を見てギャラリーがいる様子に微笑みました!
足の悪い少年がけがをしてしまった点、数メートル圏内で魚釣り準備をしていた者として大きな反省点となりました。最初はみんな興奮するのでカオスになりやすいため、場所を確認してからおもちゃ等を広げることや、危ない場所を大人がブロックすることなど、対策を今後肝に銘じます。
通訳もやってくれたGracyの落ち着いた対応には感心しました。彼女ほんとにしっかりしてたね。自分でも魚をちょっと釣ってみていて、かわいいなと思いました。
つくづく、Raja氏やスタッフの皆さんには感銘。大人棟の白髪のご婦人たちも笑顔で手を振ってくれたりして、和みました。決して平たんではなかった18年間だと思います。草の根で活動する人々には、本当に頭が下がり、決して「インド人って・・・」とか「オートのドライバーなんて・・・」とかいう軽はずみなネガティブ発言ができなくなりますね。
子どもたちの気分転換にもなるし、Gracyは立派に役目を果たして美穂さんや参加者に大いに感謝されたことから、彼女の自信にも繋がるのではないかと思います。できればすぐにでもまた行きたいものです!!!