今朝早く、夫が1週間余りのニューヨーク滞在を経て、バンガロールに戻って来た。彼が家に着くであろう6時半には一旦起きて、バスルームのギザ(湯沸かし器)のスイッチを入れ、「二度寝」。夫が玄関のベルを鳴らす直前に、わたしの足下で寝ていたNORAが飛び起きて、階段を駆け下りる。
続いてわたしとROCKYが、出迎える。
わずか1週間の旅だったが、機内預け入れ荷物は100キロほどもあるというので、スーツケースを3つ携え、「おつかい」も果たして来てくれたのだった。いや、すでに5月の渡米で必要な物は買いそろえていたのだが、あっても無駄にはならないものを、ということで、毎度我が家御用達のカリフォルニアの日本米ほか、夫は自分の好きなチョコレート各種、ナパの赤ワインなど、あれこれと。
「余力があれば」ということで頼んでいたBRITAのウォーター・ピッチャーや、期待していなかったルクルーゼの鍋までも買って来てくれて、これは非常にうれしい。
実はわたしがルクルーゼの鍋を使い始めたのは、インドに来てからのこと。一時期、バンガロールに店舗がオープンしていたのだが、数年もしないうちに閉店してしまった。その間に大幅なディスカウントを何度か繰り返していて、その際に購入したのが契機。
日本では見られないような、巨大な鍋を二つと、ご飯を炊くのにも愛用しているやや小ぶりの鍋を1つ。それらが非常に役に立っていて、普段でも、またパーティの際にも便利だったことから、別のタイプも欲しいと思っていたところだった。
今日の夕餉は、これで早速「北インド風チキンカレー」を作り、食卓に供した。夫の好物のラジマ(豆のカレー)も一緒に。それにしてもこの鍋。かなり大きめなので、鶏を丸ごと一羽使ったカレーを作るにもちょうどよい。しかも調理しやすい。とてもうれしい。
ちなみにこれは、braiser と呼ばれるタイプの鍋で、油で炒めた素材を煮込む調理法に適している。
3日に亘る親戚の結婚式イヴェントは、予想通り華やかなものであったらしい。毎日、500名を超えるゲスト。特に2日目の、アメリカ自然史博物館を貸し切ってのイヴェントは、一大エンターテインメントだったようだ。と、すでにTwitterやFacebookには記したので、こちらには軽く触れるに留める。
夫の不在中、羽を伸ばすぞ、と言いながら、一体、どういう状況が羽を伸ばしているのか、普段から伸びてはいまいか、などと自問した日々。単に料理の手抜きをするとか、自由な時間が増え仕事が捗るというだけで、別に羽の伸びっぷりはふだんと変わらなかった。むしろ、業者に依頼しての大掃除をするなど、地味ですら、あった。
普段、手の届かない随所がすっきりときれいになり、またこれを機に、「開かずのクローゼット」状態だった箇所も見直し、いくつか未開封の段ボールを見つけた。
昔の日記帳を詰め込んだ箱だと思い込んで、封印していた箱をあけたところ、米国からインドへ移る際に間違えて記したのだろう、中から古いカメラが出て来た。
これには、驚いた。探せども見つからず、紛失したのだろうと思い込んでいたからだ。
これらのカメラのことについては、また時を改めて記したいと思っている。ゆえに、Facebookに記した文章のみ、転載しておく。
大掃除終了。米国からインドに移住した10年前の引っ越しで紛失したと思っていた大切なものと再会。古い日記帳が入っていると思い込み封印していた箱に、入っていた。
ASAHI PENTAX ES 2(1973年発売)は父方の祖父の形見。
CONTAX RTS(1974年発売)は父の形見。
無論、二人の趣味が写真だったというわけでは、ない。特に父に至っては。当時ヤシカに勤めていた友人に、「いいカメラが出たけん、買っとかんね」と勧められ、購入したと聞いていた。が、父がこのカメラで撮影している姿を見たことはない。
そのカメラの初めての出番は、確かわたしの成人式。1985年だった。そのときも、父はカメラに触れず、母とわたしで、交代で撮影した気がする。以降も眠り続けていたのを、わたしがフリーランスのライター&編集者になった27歳のときに父から譲り受け、旅関係の取材の仕事で使っていた。
たくさんの思い出が、詰まっている。
一方、祖父は家電を含め機械ものマニア、でもあったから、その一環でカメラも購入したものと思われる。残されたレンズや三脚など、どれもしっかりとした作り。祖父が撮影している姿、カメラを手入れしている姿は、今でもよく覚えている。もっとも、撮影の腕に関しては、一般人的であったようだが。
どちらのカメラも、握ればどっしりと手になじみ、美しい。
特に、フィルムを巻き上げたときの、シャッターを押したときの、その音!胸が締め付けられるような思いだ。
先ほど、きれいに磨いた。ASAHI PENTAXの方は壊れているが、CONTAXは、使える気がする。撮ってみたい。ただ、フィルムは売っているのだろうか。そして現像してくれるのだろうか。探してみよう。
◎カシミールの風が吹いた午後。パシュミナ即売会@サロン・ド・ミューズ
先日のミューズ・チャリティバザールに参加してくれた、毎度おなじみのヴェンダー "Shepherd Crafts Kashmir " の主催者でもあり、我が尊敬すべき友人の一人でもあるデヴィカが、今週サロン・ド・ミューズに来てくれた。というのも、先日のバザールに配達が間に合わなかったことから、ミューズ・クリエイションのメンバーに優先販売したいとのことで、限定30枚を持参してくれたのだ。
アーティストでもあるデヴィカは、ビジネスとしてではなく、ヴォランティアかつライフワークとして、インド各地の伝統工芸を支援している。同時に貧困層にある女性たちに技術指導をしつつ、彼女たちの経済的自立を支援。
彼女が主催のツアーで、わたしも数年前にカシミールを訪れ、非常にすばらしい経験をした。あの旅は、本当によかった。
ちなみに彼女はこのような活動を学生時代から四半世紀にも亘って続けている。わたしが個人的にも好きなDASTKARのバザールの、母体となるDASTKAR RANTHAMBHOREもまた、彼女が友人らとともに始めた活動で、今年25周年を迎える。
実は25周年を記念して、来月、拠点であるラジャスターン州のランタンボールで、イヴェントが開催される。ランタンボールはトラなどの動物保護区があることでも有名な場所。ツアーでは、手工芸の工房などを見学するほか、式典などがあるそうだが、あいにく日本への一時帰国と重なり、参加はかなわない。
デヴィカが、デザインなどのアイデアを出し、彼女が支援する工房の職人たちが紡ぎ、染め、織り上げてゆく。そこには必ず、カシミールの自然がモチーフとして反映されている。
夏のカシミールはペヘルガム。右側が、紺碧の青空。下は緑の山々、そしてLidder River。
これは、わたしが訪れたときに撮影したLidder River。
カシミールの空、雲、山、風、緑、光、空気、川、木立、土、雪、草原、花々……。
彼の地のさまざまな自然の情景が、映し出されているのだと思うと、よりいっそう、愛着が沸くというものだ。
これらのパシュミナは、言うまでもなく非常に品質が高く、肌触りもまたすばらしい。軽くて柔らかく、心地よい。普段使ってこその、パシュミナである。
デヴィカはビジネスではなく、低所得層であるところの職人らへの職業支援や文化遺産の継承などが目的でこの活動を行っているから、実費以外、利益を受け取らない。ゆえに卸値同然の、申し訳なく思うほどに廉価で、我々に販売してくれる。
実際に工房を訪れ、制作過程を目の当たりにしているからこそ、その手間を理解できる。デヴィカはミューズ・クリエイションのメンバーでカシミールツアーを企画しないかとさえ、持ちかけてくれた。いつか実現したいと願う。
■カシミール:手工芸品を巡る1週間の旅の記録。 (←Click!)
最初に旅の途中の記録があり、後半[Kashmir 00〜Kashmir 07] は旅から帰った後に記事をまとめている。長大だが、関心のある方には、ぜひ目を通していただければと思う。
実は金曜日の午前中は、『インドのテキスタイルとサリー講座』も実施したのだった。この講座を実施するのは、果たして何度目か。1時間ほどのレクチャーのあと、毎回、みなさんにわたしのサリーを試着してもらう。その時間が最も、楽しそうである。
知ったうえで、触れ、その上で自分に合わせてみる。そうすることで、インドのテキスタイルが、ぐっと身近なものとなるし、作られている工程に思い巡らせさえする。
楽しいことだ。
手工芸が、ガンディーの提唱した独立運動のスローガン「スワデシ・スワラジ」にも結びついているのだということなど、決して「ファッションとしてのサリー」に留まらない、諸々の背景についても説明している。そこが、とても大切だからだ。
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うっかり、長くなってしまった。まだ書いておきたいことは多々あれど、実は明日は、ミューズ・クワイアも出演する「The 音楽会」なるものが開催される。夜更かしは禁物。というわけで、今日のところはこの辺にしておこう。