年の瀬の、いつもにも増して込み合う町へ出た。今日、必ず買うべきは、2006年のジャーナル(スケジュールノート)。
もう遥か以前から、ジャーナルの存在はわたしにとって欠かせない。中身を差し替えるタイプのものではなく、1年で1冊が完結したもの。コンピュータやPalmなどで、今時はスケジュールを管理する人も少なくないのだろうけれど、わたしには、ペラペラと頁をめくり、自由に書き込めるノートが一番だ。
一週間が見開きになっているタイプのもの。一年間が一目で見られる頁、ひと月ごとが一目で見られる頁が付いているのが望ましい。
数年来、デジタル派だった夫にも、今年からアナログ回帰を勧め、ジャーナルをプレゼントした。最初はあまり使われておらず、空欄が目立っていたけれど、徐々にデータを書き写していき、今では常時必携している。
スケジュールを把握するということは、自分の許容量や可能性を把握することにつながる。To Do(やるべきこと)を羅列するだけで、それまで混沌と乱れていた気持ちが整理され、建設的な対応策が浮かぶこともある。
「忙しい」 「やることがいっぱい」 「時間がない」……といった内なる焦燥を、これまで何度となくジャーナルを手に取り、日々を数え、予定を組むことによって、緩和、解消して来たことだろう。特に日本での編集者時代、ニューヨークでのミューズ時代、ジャーナルはわたしにとって、不可欠の存在であった。
予定を立てる、見通しを立てるということは、日々の暮らしを、自分の人生を、豊かにするために大切な行為のひとつとさえ思える。加えて言えば、自分を顧みるときにもまた、役に立つ。(2005年5月19日の「片隅の風景」に)
さて。米国製の文具の類いは、一般に紙の質が悪い。ジャーナルやダイアリーもまた、ざらざらとした手触りで、ペンの滑りが悪く、表紙もペラペラとしてよくないものが多かった。だから米国時代には、マンハッタンにある高級文具店で、フランスや英国から輸入されて来たジャーナルを購入していた。
新しいノートを開き、滑らかな紙面に手のひらをすべらせる。最初の頁 "Personal Information"に、名前や住所を書き込んでいくときの、ていねいな心持ち。
さて、来年のジャーナルはどうしようかと、実は数週間前から気になっていて、それらしい物が売っている店では目を光らせていた。しかしここはインド。なかなか思うようなものが見つからない。1頁に1日、あるいは1頁に2日をさいた分厚い日記帳タイプが主流で、見開き2頁に1週間タイプがないのだ。
いや、あるにはあったのだが、それはわたしにとって実用的ではなかった。象の頭をしたガネイシャ神、あるいは青い肌をしたクリシュナ神などが描かれた表紙の、内部にはインド占星術の一覧表みたいなものが印刷された、それはあまりにもインド的なものだったので。
それはそれで、楽しそうではあるけれど、やはりシンプルに、目的にかなったものがほしい。
「早く来年のジャーナルを買ってよ」
と、夫からもせかされていたので、(わたしが購入担当者と決まっているようだ)、夕べ、バンガロアにある文房具コーナーを併設した大型書店に電話を入れた。
担当者によると、「ナイチンゲール」というブランドのジャーナルがそろっているという。
「それはインド製?」
「そうです。マダム」
「英国製はないの?」
「ありません。でも、ナイチンゲールはとてもいいブランドです。種類も多いですからぜひ一度、お立ち寄りください。」
あらかじめインターネットでリサーチしたところ、目的の品がありそうだ。そんなわけで、今日早速、レジデンシーロード沿いにあるその書店、クロスワードに出かけたのだった。
求めていた1週間見開きタイプは1種類しかなかったけれど、紙の質もレイアウトもよくいい感じ。サイズが希望していたものより二回りは大きし、表紙のデザインも理想的とはいえないが、この際贅沢はいわない。これでもインドにしてみれば、とてもとてもシンプルな類いだ。
夫には濃紺を、自分には赤を買った。それから家政夫モハンとのコニュニケーションに不可欠なヒンディー語の辞書も。やっぱり、お互い、多少は勉強しなくちゃね。
家に帰り、封を開け、最初の頁に文字を入れる。速やかにインクを吸い込み、しかし裏写りすることなく、書き心地もいい。
まだまっさらな紙の重なり。
来年一年のわたしたちが、ここに記されていく。