あなたは、どれくらいの頻度で耳掃除をしますか?
何を使って、掃除をしますか?
バンガロア(バンガロール)に到着してまもない先月のこと、左耳の奥がむずむずしたので、いつもより入念に、綿棒で掃除をした。多分、バンガロアは埃っぽいから、ゴミでもはいったのかしら、と思っていた。
十日ほど前、自宅のお向かいに住んでいる日本人の奥様と立ち話をしているとき、自分の左耳の聞こえ方がおかしいことに気づいた。英語で話しているときにはまったく問題なかったのに、日本語で話しているときだけ、左耳から聞こえる自分の声に「エコー」が効いているのだ。
アパートメントの床が大理石三昧であるため、そもそも音の響き方がすごいのだが、それに加えて耳がおかしくなり、頭蓋骨内部で自分の声がワンワンと反響するのである。こりゃおかしい。と思い、夫に説明しようと英語で話すと、その反響が消える。
ばかにされるのを承知で夫に説明すると、「じゃあ、日本語、話さなきゃいいじゃん!」と、案の定、ぎゃはぎゃは大笑いされる。
日本語を話すときだけ、なにか違う発声レベルとか周波数になるのかしらん。などと思い、試しに日本語で独り言をしゃべり続けてみるも、夫に笑われるばかりで虚し。
耳に何かが入っているのかしら。もっと掃除が必要なのかしら。と更に綿棒でクリーニングしてみる。それからは、母との電話以外は日本語を話す機会もほとんどなく、耳に変調もなかった。ただ、夫がスジャータに念のため、耳鼻科情報を尋ねてくれたところ、ニューデリーに評判のいいドクターがいるとのことで、わたしたちのデリー訪問にあわせ、予約をいれておいてくれた。
グルガオンへのドライヴの帰り。なぜか夜7時以降しか診療しないという不思議な診療所に赴く。薄暗い待合室では、すでに7名ほどの老若男女が静かに腰掛けている。雑誌などを読みながら、順番を待つ。その間にも、受付嬢(婆)の電話には、予約の電話が次々に入ってくる。
ドクターは、恰幅のいい、貫禄のある、初老の男性だった。わたしの事情を聞き、そのあと、双方の耳の穴を診、鼻の穴を診、それから喉を見てくれる。たまたま今朝、喉の調子が悪く、軽い痛みがあったのでその旨告げると、処方箋を書いてくれた。
しかし、耳にはなんら異常は見られないとのこと。さりげなく、ドクターが問う。
「ときにあなたは、耳の掃除はしますか」
「ええ(当たり前じゃん!)。綿棒で」
「耳掃除は不要です」(得意げに)
「えっ?」
「耳は、掃除する必要はないんです。僕は生まれてこのかた、一度も耳掃除をしたことはありません」(自慢げに)
「え〜っ?!!」
「炭坑で働いている人でさえ、耳掃除をする必要は、ないんですよ!」(誇らしげに)
ドクターによると、耳の中の産毛や油分が、ゴミや埃の侵入を防ぐ役割を果たしており、だから掃除をすると、自浄機能を妨げることになるというのだ。たとえば、耳の中に石鹸水が入ってしまったとか、海で泳いでいて砂が入ったとか、明らかに障害物が入ったとき以外には、耳掃除をする必要はない、むしろしてはいけないとのこと。
「でも、耳掃除をしないと、耳垢がたまるんじゃないですか?」
「そのままにしておけばいいんです。自然と出てくるものは出てくる」
「でも、なんだか、気持ち悪いんですけど」
「気にすることは、ありません。神様は、人間の身体を、うまい具合に作られているんですよ」(悠然と)
確かに、肌を洗いすぎたり、髪を洗いすぎたりすることは、むしろ身体の自然のサイクルを壊すことになると、このところ世間でもいわれていることである。耳の中とて、同じことなのだろう。
そんなわけで、本日、耳の処方箋は、耳掃除をするなかれ。
(でも、多くの日本人には無理そうだな)