「明日、10時半に、ヴァスと一緒に朝食を持って伺います。メンテナンスには2時間ほどかかります。それでは、二人で楽しい週末の夜を過ごしてください」
夕べ、大家夫人のチャヤからメールが届いていた。南インドでは、約束の時間に遅れることは珍しいことではないということを、すでに学んではいたものの、彼女が時間通りに来るはずはないとわかってはいたものの、10時半には来客を迎える準備をしてしまう我。
時計は11時を過ぎ、「やっぱり、来ないよね」と夫に声をかけた瞬間に、玄関のベルが鳴った。40分の遅れだなんて、早いじゃん。と思いつつドアを開ければ、つぶらな瞳のキュートな少年が、紙袋を差し出して立っている。チャヤの次男らしい。彼女が遅れるので、朝食を届けてくれたのだとか。
紙袋をのぞくと、そこにはバラの花一輪と、ステンレス製のランチボックス。中にはマサラドサがたっぷりと入っている。
今日は急ぎの用事もないし、まあ、気長に待ちましょうと、朝食をすでにすませていたにも関わらず、1ついただく。本来なら、ドサは焼きたてで、ぱりぱりとしてるのがおいしいけれど、このしっとりタイプもまた、クレープみたいでおいしい。
夫の家族や親戚に比べると、大家夫人は「こてこて」かつ「べたべた」な付き合い方の女性。自分も仕事を持っていて忙しいはずなのに、わたしにあれこれと手助けをしてくれようとする。けれどわたしは、なるたけ「巻き込まれすぎない」よう、自分の意見を率直に述べるようつとめている。
とはいえ、あれこれと、店の情報を教えてくれたり、ちょっとした生活のアドヴァイスをしてくれたり、まだキッチンが整っていないだろうからと、こうして朝食などを届けてくれるのは(午後は遅めのランチを届けてくれた)、非常にありがたいことだ。
使用人の手は惜しみなく貸してくれるし、アパートメントの不具合はたとえ対応が遅れるとはいえ、善処しようという姿勢を見せてくれる。
親切なのは、彼女だけではない。お隣のご夫人も、だ。お隣は3人の子供がいるせいか、使用人がやたらにたくさんいて(5人はくだらないと思う)、人手過剰である。もちろんそれが理由だからではないけれど、「何か必要なものはない?」と、会うたびに声をかけてくれる。
昨日、夫の秘書となる女性が来訪した折、たまたま彼女と玄関先で遭遇した。彼女曰く、「コーヒーを用意して、持たせるから」と申し出てくれ(もう、我が家にもコーヒーメーカーはあるのだが、ミルクはない)、まるで喫茶店みたいにビスケットとコーヒーを届けてくれた。
しかもそれは、おしゃれなカップに入った「カフェラテ」で、シナモンまでまぶしてあった。粋である。
実に久しく、近所の人や他人との関わりが、限りなく希薄な世界で暮らして来た挙げ句、遠い日の日本にもあった、懐かしい感じの人との関わり方を、今になって体験している。ノスタルジア。
こういう経験ができることを、あれこれと牽制することばかり考えず、素直に、謙虚にありがたく、受け止めることのほうが、実は大切なことなのかもしれない。