時間より大幅に遅れて到着したチャヤとその子分、いや使用人ヴァス。いくつかの修繕はまたしても「先送り」となったが、予期していたことである。家賃の支払いなどをし、少々の世間話。
「今日、専属のマッサージ師が来るのだけれど、あなたがたも試してみる?」
急に目を輝かせる夫。
「ぜひ、紹介してください。今日、マッサージしてほしかったんですよ!」
チャヤはさっそく携帯から電話。アーユルヴェーダの本場ケララ州出身の夫妻が、カップルで「訪問マッサージ」をしているという。あいにく男性担当の夫の方が多忙で、妻だけが来られるとのこと。がっかりする夫。一方、わたしはマッサージには関心はあるけれど、今日は他に雑務をすませたいし、リラックスする気分ではなかった。
ところが、夫とチャヤが二人して、
「試してみたら?」
「ミホ、あなたは働き過ぎでストレスがたまっているはず! スーパーウーマンだもの」
と、しきりにマッサージを勧める。
彼女は引っ越しから移転にまつわるわたしの働きぶりをして、「スーパーウーマン」と形容するのである。
スーパーウーマンは、自分の好きに働く分にはちっともストレスは溜まらないの。むしろ、約束の時間を大幅に遅れられて、予定を狂わせられる方がよっぽどストレスなの。と言いたかったが、もちろん言わんよ。わたしが「また別の日にするわ」と言っているのにそこは押しの強いチャヤ。とっととマッサージ師に予約を入れていたようで、ほどなくして彼女、エリス(仮名)がやってきた。
エリスは医療従事者の資格を持っているベテランである。30代とおぼしき小柄な女性だ。
チャヤの長男は数年前、大きな交通事故に遭い(車がくるくると数回転したらしい)、ひん死の状態に陥ったという。約3カ月間入院したが、回復の見込みなく、医師からは半身不随になることはおろか、体重が38キロを切ったら命の保証はないとまで言われたとか。
身体を動かせず、筋肉はどんどん衰え、彼の体重は42キロまで落ちた。そのとき、西洋医学ではなく、インド古来の自然療法のドクターに出会った。彼曰く、ともかく息子をベッドから出して歩かせろ、とのこと。二人のドクターの意見はわかれ、混乱する家族。その折、治療の一環としてアーユルヴェーダのマッサージを、彼の身体に日々施したのがエリスだった。
とくに、写真の中央にあるオイルがたいそうな力を発揮するとかで、チャヤ曰く、
「このオイルが息子を助けてくれたのよ」
とのこと。引っ越しの儀式の日、彼の息子に出会ったけれど、背が高くてハンサムな、とても感じのいい高校生だった。あの彼がそんなたいへんな経験をしていたとは。
「一度は息子を失いかけた経験をして、だから、わたしたちは、家族が健康で仲良くしていることが、ともかくは大切だと思ってるの」というチャヤの言葉には説得力があった。
ともあれ、その「すごいオイル」を中心に、いくつかのオイルを調合したものと、ヘッドマッサージ用のココナツオイルを器に入れ、電子レンジで温める。
まず、椅子に腰掛けてヘッドマッサージと肩や首のマッサージ。それから、あらかじめマットを敷いておいたベッドの上に、素っ裸で横たわる。アーユルヴェーダはオイルを全身に塗ってもらうから、恥じらってなどいられないのだ。
まずは顔面マッサージ。フェイシャル、というよりは、顔面マッサージ。それから身体の裏面、表面をマッサージ。またしても、『注文の多い料理店』の客みたいな状況となる。全身、オイルを刷り込まれたあと、しばし放置され、その後シャワーを浴びる。
「今日はマッサージの気分じゃない」
などと言っていたものの、もう極楽気分である。1時間半ほどのトリートメントが終わった頃には、チャヤたちも引き上げていた。ほどなくして、ヴァスからランチが届けられる。インド的四段重ねのステンレス製弁当箱に、白飯と豆のカレー、ヨーグルトが入っている。なんだか、とても幸せ。
ところで気になるマッサージのお値段は、300ルピーである。播磨のランチと同じく、300ルピーである。つまり7ドル程度である。早速、毎週日曜日、来てもらうことにした。
天国地獄が共存するインド世界。これはまぎれもなく「天国」部分である。