我が家はアルヴィンドとわたし二人で構成された小さなホームである。結婚して以来の4年余り、基本的には二人だけの暮らしを続けて来た。ところがインド移住に伴い、その状況に変化が起きた。そう。我が家に「住み込みのサーヴァント(使用人)」がやってきたのだ。
インドでは、ある程度の経済力がある家庭ならば、サーヴァントを雇うのは一般的である。なにしろ人口の多いインド。多くの人々に雇用機会を与えるためにも、サーヴァントを雇うことは好ましいことであろう。
たとえばデリーにある夫の実家の場合。ロメイシュとウマ、そしてダディマ(祖母)の3人暮らしであるが、何人かのサーヴァントを抱えている。まず筆頭は、マルハン家に20年以上仕えているドライヴァー兼マネージャーのティージヴィール。
彼のことは、最早、使用人と呼ぶよりは「執事」とでも呼んだ方がいいだろう。そもそもはマルハン家の使用人部屋に一家五人で暮らしていたが、子供が大きくなったこともあり(50歳前後の彼には、小学生の子供が3人いる)、ロメイシュが近所にアパートメントを借りてやっているとのこと。
ティージヴィールは、ともかく信頼の於ける男性で、さまざまな仕事を的確にこなし、しかもやさしげでにこやかな、本当に感じのいい人だ。彼の故郷はデリーから、バスだか電車かで1日かけて北へ行ったところにある、小さな村だという。
マルハン家は彼のつてをたより、その村から彼の親戚を呼び寄せ、サーヴァントにしている。その一人が料理人のケサールである。まるでネズミ男のような風貌の、細くて神経質そうな顔をした老齢のケサールは、しかしこまやかでやさしげな味の料理を作ってくれる。
無論、ロメイシュが「スパイシーな料理」が食べられないため、味がマイルドなのだとも思うが、いずれにせよ、すばらしい家庭料理を作ってくれる。でもやはり常時シリアスな顔をしており、ときに他のサーヴァントを怒鳴りつけたりしている。
この二人のほかに、ダディマの世話をする女性、掃除洗濯の女性、その他、門番が表と裏に1人ずつ。合計6人は常駐していて、あとは庭先に、見慣れない人が立っていたりもするから正確な人数はわからない。
さて、わたしたちのインド移住が決まって矢先、ロメイシュが気遣ってくれたのはサーヴァントのことだった。昨今は、信頼のおけるサーヴァントを見つけるのは、非常に難しいとの噂を聞いていたこともあり、わたし自身は当面は,サーヴァントなしでやっていこうと思っていた。
ところが幸運にも、デリーで働いていたティージヴィールの近い従兄弟、モハンが転職先を探している最中だという。ロメイシュはデリーの実家にモハンを招き、数週間「試用期間」と称して彼の働きぶりを確認してくれた。
そもそもは「料理人」であるモハン。ロメイシュ、ウマ曰く、彼はいつも笑顔で感じがいいし、料理も非常にうまいという。わたしは、自分で料理をするのはやぶさかではなく、むしろ掃除や洗濯、アイロン掛けなどの家事を手伝ってくれる女性を望んでいた。
しかし、モハンは料理以外の家事もできるとのこと。いろいろと贅沢を言っている場合でもないので、ありがたく、モハンを雇うことにした。わたしはヒンディー語がしゃべれず、彼は英語がしゃべれない。どうやってコミュニケーションをとるんだ、という懸念はあれど、まあどうにかなるだろう。
我が家は子供がいないからベビーシッターは不要だし、まだバンガロア(バンガロール)にどれほどの期間、暮らすかわからないため、当面は車を買う予定はない。必要なときにカーサーヴィスを使うことにしているので、ドライヴァーを雇う必要はない。従ってしばらくは、我が家の使用人はモハン一人で十分かと思われる。
さて、わたしたちが米国からインドに移ったのは2005年の11月中旬。幸運にも直後に住まいが見つかり11月末には引っ越しを終えたものの、夫の出張が連発し、デリー、ムンバイ、バンガロア三都市を飛び回る日々が続いており、なかなかモハンを招ける状況に至らなかった。
12月中旬になってようやく、自宅で3、4日過ごせる目処がついたので、それに併せてモハンにも来てもらうことにした。わたしたちは20日、デリーから飛行機でバンガロアに飛び、昼過ぎ、自宅に到着。
すでに二日前の18日、デリーから列車で南下していたモハンもまた、2泊3日の列車の旅を経て、バンガロアにやってきた。彼が我が家のドアを叩いたのは、ちょうどわたしたちが家に到着した直後のことだった。
モハンは長旅の疲れも見せず、スポーツバッグ一つを右手に携えて、笑顔で立っていた。身軽だ。
すでにデリーで彼と会ったときに見ていたのだが、彼は胸元に「高木」という刺繍がほどこされた、どこぞの日本の会社の作業員が来ていたとおぼしき、青いジャージを着ていた。従って、モハンは別名「高木君」でもある。
我がアパートメントの使用人部屋は、我が家の玄関口脇にある。入り口のドアが別々になっているのがいい。
部屋は4畳程度と狭く、バスルームもシャワーとトイレが一体化しているもので、湯も出ない。アパートメントそのものは比較的グレードが高いのだから、使用人部屋ももうちょと、なんとかした作りにすればいいのにと思うのは、使用人を使い慣れない日本人的感覚か。
ともかくは、あらかじめ、ベッドにテーブル、椅子、小さな棚、ランプ、リネン類などをそろえておいたので、寝泊まりするに差し支えはないはずだ。何か不都合があればのちのち申し出てほしいと伝え、まずは長旅をいやすために、少し休憩することを勧める。
しかしもう、モハンは直後から、床を掃いたり台所を片付けたりと、動き始めるのである。
その日は、夫を含め3人で、買い出しに出かけた。こうやって、我が家の二人暮らしプラス一人の生活は始まったのだった。