●百年前の、日本の掛け時計を買った。
数日前より、我が家にドライヴァーが来た。結局、車を買うのは先延ばしにして、多少不経済な気もするが、月契約でカーサーヴィスを頼むことにしたのだ。車は常時、我が家のガレージに停めてあり、ドライヴァーが指定された時間にやってくるというもの。
我々のドライヴァーは、クマール。彼は英語にヒンディー語、それからローカルの言葉を3種類ほど話せる。のんびりとした人のよいおじさんだ。
さて、今日は日曜日。夫はまたしても、クリケットの試合を見ている。「今日は大事な試合だから」と、毎回毎回、大事な試合ばかりが行われているらしき、クリケットの試合。誘うのを諦めて、モハンとともに買い物&町探検に出かけることにする。
今日の目的は、コマーシャルストリートで掛け時計を買うこと。わたしたちにはスイスで買ったキュートな鳩時計があるのだが、ワシントンDCから発送した荷物はまだ、太平洋上だか大西洋上だかを渡っている最中で、あと1カ月は届かないだろう。
鳩時計はともかく、コマーシャルストリートを通るたびに、アンティークショップともガラクタショップともつかない、小汚い店の入り口あたりにかけられている古時計が気になっていた。
店の主人曰く、「三世代、百年前の時計」らしい。大きな文字盤にはSEIKOSHAと書かれており、下の方にMade in Japanとある。マホガニー製だと言うその木枠は、エレガントな彫刻が施されていて品がいい。
もともとは、所持者の要望で15000ルピーだったらしいが、なかなか売れないことから、今は6000ルピーだという。
それでも、まともに動くかわからないし、すぐ壊れてもいやだから、躊躇しながらも買わずにいた。ところが昨日、スジャータにその話をしたら、彼女の住むIISのキャンパスに、古時計の修理工がいるらしい。古い時計を修理してくれたり、なくなった鍵の複製を作ってくれたりするそうで、ラグヴァンも、「もしも問題があっても、ちゃんと直してくれるから大丈夫」と言ってくれる。
それを聞いた途端、いてもたってもいられなくなり、今日、買いに出かけることにした次第。
わたしが店の階段を上ると、店主は「また来たね」という顔をして迎えてくれる。交渉の末、5000ルピー(110ドル程度)まで値切って購入を決定。それにしても、埃っぽい店で、当然ながら時計をいれる箱などなく、大きなビニル袋にいれて、モハンに持ってもらう。
店主が、「ほかの時計も見てみるかい。買うことはないんだから、見せてあげるよ」という。彼に導かれて、店の奥に入る。
「これは、ドイツの時計。これも百年くらい前の時計だよ。このチャイムの音がすばらしいんだ。聞かせてあげよう。これは、英国のウエストミンスターの鐘のメロディーと同じなんだ」
そう言いながら、長針をゆっくりと回す。……そう。日本人のわたしたちにも耳慣れた、学校のチャイムに使われる「キーンコーンカーンコーン」の旋律だ。
それにしても、なんて、美しい音! 文字と写真では、音を伝えられないのが実に残念だ。澄み柔らかい、やさしいやさしいチャイムの音に感激し、その時計さえも欲しくなるが、見た目はやはり、SEIKOSHAの時計の方が素敵なので思いとどまる。
「これはフランス製の時計。やはり、チャイムがきれいなんだ」
と、また、音を聞かせてくれる。これもまた、すばらしい音!
どうして今、こういう時計が作られないのだろう。確かに時間に誤差がうまれる可能性も高いし、いちいち鍵でねじを巻くのは面倒かもしれない。内部の構造は別としても、外観はクラシックの時計の方が、よほどエレガントなのにと思う。
無論、これは好みの問題だとしても、クラシックなものが好きな人もまた、圧倒的に多いと思うのだ。
さて、わたしがどのような時計を買ったかは、後日、家の壁にかけたあと、写真撮影をしてここに紹介したいと思う。
●サリー工場で、サリーを見る。一枚買う。
数年前、バンガロア(バンガロール)を訪れた際、オートリクショーのドライヴァー、ラルに連れられて、いくつかのサリーショップへ行き、リーズナブルでしかも質のいいサリーを手に入れることができた。あのときに7枚ほどのサリーを買って以来、まだ新調していない。
ちょっとしたパーティーや集まりのときに、今後はサリーをしばしば着たいと思っており、新しいものを買いたいとも思っている。ついてはクマールに、どこかいい店を知らないか尋ねてみる。すると、工場を併設した卸売り価格のサリー店を知っているという。
無論、卸売り価格は大げさだとしても、工場を見てみたい。それにMGロードあたりの広告をじゃんじゃん出している派手な店に比べれば、安いに違いない。今日の外出の大目的は「シティーマーケット探検」であるが、その前に、そのサリー屋に連れて行ってもらうことにした。
木綿のプリント柄サリー、金糸が施された滑らかなマイソールシルク、柔らかなクレープシルク、ざらりとした触感のピュアシルクなど、さまざまな種類のサリーが陳列されている。わたしはサリーを、普段着としてではなく、外出時やパーティー時に着用するので、シルク製の、質のいい物を買いたいと思っている。
サリーの値段はぴんからきりで、日常着なら数十ドル程度の安い物も手に入るが、わたしが今まで買った物は5000ルピー(約110ドル)から10000ルピー(約220ドル)あたりのもの。
しかしこの店では3800ルピーで本日、結構、気に入った柄を見つけることができたので、買うことにした。すぐにテイラーを呼んでくれて、ブラウスの採寸をしてくれる。数日後にはブラウスも仕上がるというので、改めて取りにくることにした。
ちなみにサリー着用の際には、サリーの布の端にあらかじめ施されている「ブラウスのための布地」でもって、自分の身体にぴったり合ったブラウスを作ってもらう必要がある。それに加え、サリーの色ににたペチコートも必要だ。
ブラウスは、みな、「太ったの?」と問いたくなるほどに、ぴちぴちと窮屈そうなのを着ている。実際、太った人も少なくなかろうが、「ぴちぴちしているのがいいらしい」ということに、最近気づいた。
テイラーから「ぴちぴちにする?」と尋ねられたが、「ゆったりとしている方がいい」と頼んだ。血行が悪くなりそうだし。
サリーについては、まだあれこれと語りたいことがあるので、これもまた、後日改めて。
この店は小さな工場を併設しているが、これはカスタマーへのデモンストレーションを兼ねているとかで、実際には郊外にいくつもの工場があるのだという。この自動織機でサリー一着を織り上げるのに7時間から9時間かかるとか。それにしても、色とりどりの絹糸の美しいこと。
いつか、その郊外にあるというサリー工場を見学してみたいものである。
●大喧噪の大卸売り市場、シティマーケット探検
シティマーケットは、バンガロア最大の、卸売り市場である。そもそもは花市場だったというこの市場の噂は聞いていたが、近場のラッセルマーケットへ足を運ぶばかりで、ここへは訪れたことがなかった。
市場好きのわたしとしてはしかし、見逃してはいられない場所である。暮らしも落ち着きはじめた昨今、そろそろ探検に出かけてみようと思う。
市街の西、マイソールロードに面したその市場。日曜日で今日は渋滞が少ないはずなのに、しかし市場の周辺ばかりはバスのターミナルが近いこともあり、大渋滞の混沌である。
人やら牛やら、なんやらかんやらの障害物をかきわけるように、車は駐車場へと向かう。それにしたって、ものすごい人出だ。車を降りる前からもう、心がはやる。
すでに何度も来ているはずのクマールも、そして初めて来るモハンも、その人ごみとエネルギーに気圧されている様子で、意味なく感嘆の声をあげている。
まずは、花市場のあるという、建物の中に入った。それは、わたしが想像していた花市場とはかけはなれた場所だった。そこにあるのは、花瓶に生けるための花ではなく、ほとんどが宗教儀礼や、女性の髪飾りなどに用いるための花々だった。マリーゴールドや菊などの、花の部分だけが山と積まれている。
これらの花は、それぞれ買い求めた花屋が糸でつないで、商品にするのである。
その、花の量がもう、半端ではない。我が家のマリーゴールドはいったいなんなのだ、というくらいに、猛烈な量の花である。カメラのシャッターを切りながらも、なんだか頭がくらくらして、白日夢を見ているようだ。
ラッセルマーケットが「洗練されたマーケット」だと思えるほど、このシティマーケットは激しい。貧しかろうが、汚かろうが、そんなことは構わない。ただ、生命力ばかりがほとばしっている。
花々の威力、人々の威力、音、匂い、雑踏にまるで「捏ねられる」ようにしながら、歩きながら、カメラを構えながら、しかし心は上の空で、なんなんだいったい、この漲りすぎているさまは!
花を見て、野菜や果物を買って、帰った。写真はまだまだたくさんあるので、後日まとめて、別の場所にアップロードしようと思う。今日はひとまず、このへんで。