俺の城。それは、モハンにとっての我が家のキッチンである。
インドでも昨今では、もちろん富裕層の間でのことではあるが、先進国的システムキッチンというのが普及し始めている。薄汚い街の一画に、ステンレスがきらびやかに輝くショールームを目にすることもある。
一方、我が家のキッチンは、アパートメントそのものが海外からの駐在員向けである割に、やや時代がかったインド的キッチンである。尤も、これは大家の選択によるものだ。先日、我が家のお隣さんを「お宅拝見」させてもらったのだが、彼女のキッチンはモダンであった。
わたしはそもそも、料理をするのが嫌いではない。いや、多分結構好きな方だ。
東京、ニューヨーク時代は一人暮らしだったこともあり、まともに料理をする機会は少なかったものの(そもそもマンハッタンのキッチンは狭く、たとえそこが高級アパートメントであれ、換気扇すらついてない場合が多い。不動産業者の友人曰く「なぜならニューヨーカーは料理をしないから」)、結婚してワシントンDCに移ってからは、ほとんど毎日、料理をするようになった。
料理をしている間は、頭の中が比較的空白になり、ただ作業に没頭している場合が多い。そんな時間は、決して無駄ではなかった。無論、時間に追われているときなどは、面倒に思うこともあったが、それでもたいした問題ではなかった。
だからロメイシュに「料理人の使用人を手配している」と言われたときには、少々躊躇した。キッチンという我が城を、他者に明け渡すことに対する懸念があった。
「毎日、スパイス風味のインド料理はいやだぞ」
「たまには醤油みりん酒風味が必要だ」
「パスタなんかも作りたいし」
「オーヴンを買って、ときには菓子なども焼きたいゆえ……」
使用人には、アパートメントに隣接して小さな使用人部屋があるものの、日中の彼らの拠点は「キッチン」である。彼らは朝昼晩の食事をキッチンの一隅でとる。洗濯機があるのもキッチンのバルコニー。ぼ〜っとまどろむのもキッチンである。キッチンが使用人に占拠されてしまうのは必至だ。
さて、我が家の家政夫モハンが到着してのち、一緒に調理器具などを購入に出かけたことは、過去、記した通りだ。わたし自身、マルハン実家とヴァラダラジャン家(スジャータんち)のキッチン以外、じっくりと観察したことはなく、インド料理にどのようなものが必要なのか、まだ精通していない。
モハンは遠慮がちな人物である故、必要最低限の材料しか求めようとしない。ともかくは、徐々に様子を見て、必要なものを補充していくことにした。加えて言えば、米国から配送中の荷物の中にも、台所用品は少なからず含まれている。今、多めに買うことは不経済だ。
そんなわけで、当面はモハンの料理を堪能させていただくとして、わたしは「マダム業」に専心することにしたのだった。
が、これがまた、意外に戸惑うものなのね。
モハンが来て以来、まだ実質10日ほどしか過ごしていないのだが、まずなにが違うかっていえば、爪が痛まない。マニキュアが長持ちするする。だって、洗い物をさせてくれないんですもの。
この間も書いたが、コーヒーでも飲んでそのコップをちょっとすすごうものなら、別室にいたはずのモハンが背後からスササササッとやってきて、「それはなりませぬ! マダム!」と、自ら洗浄を申し出るのである。
だいたい、洗いもの云々の問題ではないね。もう、すでに我が家の「食のルール」を彼は把握していて、朝からもう、上げ膳据え膳なのだ。
古くからの読者はご存知の通り、我が家の朝は、ヘルシーを極めていた。手間がかかるのを承知で、朝はまず水を1杯飲んだあと、ハチミツ生姜ティーを。それからオーガニックのニンジン、リンゴ、オレンジをブレンダーにかけたものに、ホウレンソウとバナナ、豆乳のジュース、それにミルク粥やシリアル、あるいはトーストなど。
特に「ニンジン、リンゴ、オレンジをブレンダーにかけたもの」は、お腹に快適、我々のお気に入りだったので、わざわざインドで玩具もどきのブレンダーを購入し、近い将来の使用を誓っていたのだ。
しかし、そんな熱意も、消えたね。
朝、目を覚ます。歯を磨き、ヨガをして、シャワーを浴びる。そうして、すでにキッチンで準備を始めているモハンに「おはよう」と挨拶。と同時に彼はトレーにグラス1杯の水を用意してくれている。飲み干したらすかさず、「チャイ?」と尋ねられる。「イエス」と答えれば、速やかにチャイが出る。
それはわたしが伝授した通りの、ハチミツ生姜ティーである。
で、朝食は、ダリア(ミルク粥。これはとてもおいしくて、しかも健康によい)、リンゴやバナナ、パパイヤなどのフルーツ、たまに目玉焼きとトーストなどが出てくる。ダリアの味加減、目玉焼の塩こしょう加減に焼き加減がまた絶妙。モハンは実に料理上手だ。もう、なにも、わたしがすることはないのである。
食事を終えて、わたしがうっかり茶碗を下げようものなら、「なりませぬ! マダム!」とモハンが下げてくれる。そうして引き換えに、コーヒーを入れたカップを供されるのである。
もうね、たまらんよ。楽ちんすぎて。
こんな生活をあと1カ月も続けたら、わたしは家事力を喪失するね。というか、家事意欲さえも失せるね。家事復帰できなくなること間違いなし。最初は、「やっぱりちょっとくらい家事をやりたいものよね〜」なんて思ってけど、はっきりいって、やらなくっても平気! って感じ。
でも、やっぱりキッチンは気になる存在。
モハンのいないすきを狙って、たまに冷蔵庫をのぞいたりしに出かける。みかんの皮くらいは自分でむくわよ。とむいて実を皿にのせ、皮を集めてゴミ箱に捨てようとしたりなんかすると、またしてもモハンが背後から、「それはわたくしの仕事ゆえ! どうかそのゴミ箱には触れてくださるな!」とばかりに、ゴミ箱の蓋を開けようとするわたしを制する。
わたしって……姫?
ていうか、なぜに時代劇調?
ああもう、また前置きが長くなってしまった。これでもかなり要点をまとめて書いているつもりなのだ。今日の主旨はタイトルにもあるように、「俺の城」への潜入レポートなのである。取材日は年の瀬も迫った12月30日の深夜。夫が体調を崩して寝込んだため、わたしはこの夜、モハンに「自分で作るから」と宣言し、初めて自分で料理をして簡単に夕食をすませたのだった。
ちなみにメニューは(ああまた横道)、日伊フュージョン料理。オリーブオイルと少量のバターでガーリックと鷹の爪を炒め、続いてタマネギのスライスを炒める。それに、ニルギリで買っておいた冷凍エビ、それからエリンギ風マッシュルームを加えて炒める。味付けは塩こしょう、プラス白ワイン、それに醤油を少々。
我ながら、わけわからん料理だが、わけわからんなりに、白ワインによく合い、おいしかった。ちなみにわたしの調理する様子を、モハンは真剣に眺めており、ちょっと緊張した。
その夜はそんなわけで、後片付けも早く終わり、ついてはモハンに「もう、部屋に戻っていいよ」と促し、一人静かな時間を得たのであった。これで思う存分、キッチンを見られるというものだ。
いったい、我が家のキッチンは、どのようになっているのか。きっと読者の皆さんも、興味津々であることだろう。まあ、津々でない方も、軽く読んでいただければと思う。
●まず、上の写真は、キッチンの全容である。米国の流し台は、一般に高いので、ちょうどよかったが、インドの流し台は、166センチのわたしにはかなり低い。日本より低いと思われる。ちなみにモハンはわたしよりも背が低いので、これでいいのかもしれない。右端のトレーは、体調が悪くて休んでいる夫が起きて来たときのため、夕食のセットが準備されている。冷蔵庫にはインド的おかゆ「キチリ」が入っているのだ。
●これはオーヴントースター(インド製)。上にナプキンをかけているところが、なんだか昭和の日本的。左はチェコ製ティーポット(茶葉が流出して質悪し)、浄水器の水をいれたフランス製耐熱ガラスポット(デザインもよく、良質)。その左はインド製湯沸かしポット(今のところ快調)。
●これが浄水器。EUREKAとかV-GUARDとかいったブランドが主流らしく、わたしはV-GUARDものを購入。わたしがいない間、業者が来て設置してくれたんだけど、場所が高くてね〜。モハンはポットを捧げ持つようにして、水をくんでいる。専用のホースでもあればいいのに(ないらしい)。
●ううむ。この流しは小さい! しかも薄汚れている! クレンザーでごしごしと磨きたいところだが、マダムがそんなことをしちゃあ、ならない。しばらくは、辛抱だ。ちなみに青いラインが入った皿は、モハン用に買って来たもの。彼は、わたしたちの使う食器は使わず、ステンレスの小さな皿に料理を盛って食べていたので、せめて大きめの皿をと思って大小2種類買ったのだ。あと、専用のマグも。どちらも電子レンジOKね。
●こちらのグリル(もちろんインド製)はピカピカに掃除されてますね。まあ、買ったばかりのせいもあるけれど。プロパンガス使用。着火にはライターやマッチが必要。ちなみに右端に見える調理器具スタンドは、マダムが買って来たもの。埃まみれの例の食器店の「掘り出し物」コーナー(かどうかは知らない)で見つけた。最初からうっすらひびが入っていたので、大いに値切って70ルピー。2ドル弱ね。
●この棚にはマダム購入のステンレス容器と調味料、お茶などが並んでいる。ん? TEA と書かれた容器には何が入っているのだろう。どれどれ……。わ! オイルだ! ぬるぬるだ! ちょっとこぼれた! 早く拭いて拭いて! ああ、びっくりしたもう。
●これらの容器もマダムご購入。これはフレンチ的でお気に入り。ターメリックにコリアンダー、キュミンとおぼしきインド料理に必須の三大スパイスが入っている。この容器はかわいらしいから、また調達しにでかけようかな。
●こちら、やや小さめのやはりフレンチ的容器。左から多分、レッドペッパー、フェンネルシード、そしてクローブに……ん? カルダモンも一緒に入ってますね。やっぱりもう一つ二つ、買った方がいいかな。それにしても、モハン、スパイス最低限ね。これであんなにおいしい料理ができるとは。敬服。
●どれどれ、流し台の下には何が……。おう。ここはまた、インド的ステンレス三昧ですね。すりおろし器も入ってます。
●次の引き出しには……。おっと、これらはチャパティ作り三点セットだな。小麦粉をふるう網、チャパティ伸ばし、そしてチャパティ焼きのフライパン。このタッパーには何が? ……うわっ! 粉が飛び散った! 早く拭いて拭いて! これはどうやら、「打ち粉」らしいな。ああもう、びっくりした。
何だかものすごく長くなったので、今日はこの辺で。続きはまた後日。乞うご期待!