日が翳り始める時刻。カメラを携えて、外へ出る。あてもなく、ただ歩きたいので出てはみるけれど、散歩をするにはあまりにも不似合いなご近所。車で公園まで行き、その公園の中を歩いたりするのならいいだろう。夫の言う通り、ここは歩くところではない。
あんなにきれいな場所に住んでいながら、わたしはいつも、物足りなかった。壮麗なカテドラル、花々が咲き乱れるビショップスガーデン、きれいな声をした小鳥の住む森……。あの場所にいた自分が、まるで前世の記憶のように、果てしなく遠い。
汚くて、臭くて、やってられないご近所を、しかし、なぜ歩くのが楽しいのだろう。ここが自分のご近所だ、と思うと、なんだかひどく、愉快なのだ。
尤もそれは、自分の住まいが、塀で囲まれた平穏のなかに在るからこそ言えること。そぞろ歩いていた途中、突然、町が暗転した。いつもの停電だ。我が家にいれば、アパートメントビルディングの自家発電装置が速やかに作動し、電力は復旧する。
しかし、豊かではない人たちのための、豊かではない店が連なる、地元の商店街は違う。自家発電装置のある店だけが、煌々と光を放ち、そうでない店は、蝋燭に灯をともし、車のヘッドライトを頼りに、商いを続ける。
5分たっても、10分たっても、光は戻らない。あたりの家々の窓も、闇色をしている。外の世界は、こういう不具合が、日常なのだ。それでも、だれも、困った様子は見せず、八百屋は野菜を売り、花屋は花を売り、薬屋は薬を売る。
寝転ぶ野良犬を踏まないように、牛の大きな糞を踏みつけないように、ひときわ足下に注意しながら、歩く。
それはそうと、その揚げたてのポテトチップスは、おいしそうだね。