「ミホが最近、インドの家庭料理に飽き足って気持ち、わかるよ。僕も十年間、我慢したからね」
先日の夕食時のことだ。インド三大スパイス風味を受け付けられなくなった妻に向かって、夫はつぶやいた。
「ちょっと待ってよ。意味わからん。十年間、我慢したって、何をよ」
「インドに来る前の十年間、ミホの作る醤油風味の料理に我慢したってことだよ」
こ、この男は……。
わたしは思わず、夕餉のちゃぶ台をひっくり返したくなる衝動にかられた。
夫と出会って10年。出会った当初、マンハッタンで1年半程同棲したのち、夫はフィラデルフィアのMBAに進んだため「遠距離交際」、その後、ワシントンDCに就職し、2001年に結婚するまでも、やはり、「遠距離交際」。その後、わたしがDCに引っ越して、2002年より一緒に暮らすことになった。
マンハッタン時代は、外食が多かった。そもそもわたしは仕事で忙しく料理をする余裕がなかった。一方、近所にレストランが多く、日々、バラエティに富んだ料理を口にすることができた。
加えて言えば、そもそもマンハッタンのアパートメントのキッチンは狭いところが多く、料理をしたくなる環境ではない。
それがたとえ高級アパートメントでさえ、マンハッタンのキッチンには換気扇がついていなかったりするのだ。不動産業者の友人曰く、「ニューヨーカーは、あんまり料理、しないからね」とのこと。
それでも、同棲時代(あやしい響き)、週に2回は料理を作っていた。彼がフィラデルフィアに行ってからは、月に一度ほど出かけるたびに、大量の料理を作り、ジプロックなどにつめて「電子レンジでチンするばかり」の状況に整えてやったものだ。
何しろ、彼は料理が一切できないのでね。教えるより、作ってやる方が早いのだ。
無論、わたしが準備する料理は、簡単なものばかりであり、「日本人の前では、自慢できるしろものではなかった」が、それなりに栄養のバランスを考え、少なくとも「醤油味ばかりではなく」、そこそこ、バラエティに富んだものであり、「アメリカ人の前では、自慢できる」ものばかりだった。
アメリカ人は、缶を開けて鍋で温めただけでも「料理した」と言い切るからね。
夫は幸いにも好き嫌いがなく、日本料理も好きだったから、わたしの作る料理は喜んで食べていた。
ワシントンDCに移ってからは、キッチンが広くなり、換気扇も完備、更にはオーガニックの食材がそろうWhole Foods Marketが近所にあったこともあり、外食は激減、週末をのぞいては毎晩、家庭料理を供していた。
ワシントンDC時代やカリフォルニア時代の「片隅の風景」を見ていただければ見当がつくかと思うが、わたしの料理は「素材の持ち味をいかした」ものが多く、つまりは「シンプル」かつ「ワイルド」な料理が多かったが、それなりに、旨かったのである。
と、自画自賛、させてほしいのである。させて。
ところが、インドに移り、モハンの料理を食べはじめてから、夫の様子がかわった。
「ああ、これこそが、僕の身体に合った、僕のための料理だ! うれしい!」
などと言い出したのだ。
インド移住を、あれだけ嫌がってた癖に。
インドは第四世界だと、泣きを入れていた癖に。
無論、わたしも一緒になって、「モハンの料理はうまいねえ」と喜び、自らの料理で合いの手をいれることなく、彼にキッチンを任せっきりだったことも災いした。
夫は、わたしがこつこつと作り続けて来た料理のことを、あっさり忘却してしまったのである。「三つ子の魂、百まで」、なのである。
危機感を覚えたわたしは、この数カ月のうちに何度か、夫に問うた。なにしろわたしには、恩着せがましいところもあるのでね。自己主張しておきたいわけだ。
「わたしが作った料理の中で、何が一番好きだった?」
「う〜ん」
考えること数秒。
「チキンのフライ」
「豚肉の、塩竈焼き」
それだけかい?!
そうして、最近ではもう、
「おいしい料理……。なにがあったっけ? もういいよ、その話題は」
などと言い出す始末。
いやなことをあっさり忘れてくれるのはよい性格だわと思っていたが……いいことまで忘れ去るとはこれいかに。
”美穂さん、そんなにムキにならなくっても。御主人、冗談でおっしゃっているだけで、ちゃんと覚えていらっしゃいますよ”
と思ったあなた。それはインド人を、いやアルヴィンドを伴侶に持ったことがないから、そう思えるのだ。
インド人としての彼は、日本的な一般常識では考えられない思考回路(嗜好回路)、習性を持ち合わせている。決して脚色をしているわけでも、誇張しているわけでもない。無論、そういう部分においては、「飽きさせない男」であるといえよう。
ところで、わたしは、たとえば日本の奥方が、「これが今日のお小遣い」などと、夫に500円玉を渡し、夫にはマクドナルドやら牛丼やらと安いランチをしか食べさせず、自分は友人らと、高くておいしいランチを食べに行く、などという話を聞くにつけ、呆れる思いでいた。今でも呆れている。
わたしは、自分だけおいしいものを食べたいなどと思ったことは、ない。あんまりない。
健全な精神は健全な肉体から、と言うではないか。そもそも、夫が体調を壊して働けなくなったら、困るのは自分ではないのか。
夫には、身体にいいものを口にしてほしいと、わたしは純粋にそう願う。アルヴィンドがボーイフレンドでいたときでさえ、そういう思いがあったから、典型的アメリカンなピザやらパスタやらハンバーガー食に陥らないよう、それなりに気を遣ってきたのだ。
まだ結婚前で、自分が会社の運営で相当に忙しく、時間さえないときでさえ、その気持ちはあった。
だから、週末ニューヨークを訪れて、週明け早朝に列車でフィラデルフィアに戻る彼のために、食堂車のホットドッグやピザは身体に悪いからと、おむすび(おかかやシソ風味、たまにちらし寿司太郎などの貴重品にての海苔むすび)や卵焼き、サラダなどを持たせたものだ。
そんな様子を見て、日本から遊びに来ていた妹は、「美穂ねーちゃん、そこまでするの?!」と呆れていたものだ。
日本父が危篤で日本に急遽帰国する時でさえ、わたしは夫のために、不在時の料理を大急ぎで「作りためて」いたのだ。
もう、自画自賛、し放題だな。
させて。
説明が長くなったが、そんな果てに、「十年間、我慢した」らしい。
わたしがちゃぶ台をひっくり返したくなる気持ちが、お分かりいただけよう。
「十年間、我慢した」らしい。
ところで、上の写真である。今日、OWCの会合の帰り、例のマンゴー卸屋まで行くのが面倒で、ドライヴァーのラヴィ(新しいドライヴァーなの)が勧める店で3種類のマンゴーを買った。試しにね。
そうしたら、どれも「いまいち」なのである。
夜、マンゴーを楽しみにしていた夫。先ほど、一口食べるなり、むくれる。
「これは、僕が食べたいマンゴーじゃない! どうして、スジャータの勧めた店にいかなかったの?!」
「ちょっと、違うマンゴーも試してみたかっただけだよ。わかったよ。明日、モハンに行ってもらうから、今日のところは我慢しなよ」
「いやだ。僕は、今夜マンゴーが食べられるのを楽しみにしていたのに!」
(しょっちゅう食べてるじゃないか)
「僕は、マンゴーマニアなんだよ!」
(マンゴーマニアというタイトルの新聞記事が今日、出ていた)
心底、哀しげな顔で訴える。
なんかもう……、どうしようもないね。