本日木曜日はOWCの会合だった。会合そのものは、短時間ですませて、今日はどうしても「インド料理以外」のランチが食べたく、Leela Palaceのレストランでブッフェランチを食べようと思っていた。
さて、今日は知人の米国生まれインド人女性、それから彼女の友人の、やはり米国生まれのインド人女性としばらく話した。
彼女らに、今度デリーに引っ越す旨を伝えたら、一人が尋ねる。
「デリーには、ご家族か親戚がいるの?」
「ええ。このバンガロアには義姉夫婦が住んでるけれど、向こうは義理の両親と、祖母がいるの」
二人は眉間に皺を寄せ、顔を見合わせる。
「あら〜。それは、たいへんかもね。余計なお世話かもしれないけれど……できるだけ、離れて住んだ方がいいわよ。いろいろあるだろうし……」
「他に、デリーには親戚はいるの? いるんだ。それじゃあ、一層たいへんねえ」
「ええっ! パンチシールとヴァサントヴィハールは近過ぎるわよ! もっと離れた方がいいんじゃない?」
わたしの話を一通り聞いて、同情の言葉をくれたあと、彼女たちは、自分たちの身の回りに起きた、義理家族との確執、軋轢について、かいつまんで、的確にさっぱりと、語り始める。
「うちはまだ、ずっといい方なの。それでも、ストレスがたまるのよ。近くに住んでると、必ず週に一度は一緒に食事をしなきゃならないし」
「友達のところは、奥さんがノイローゼ気味になってね。あなたは国際結婚だから、インド文化を受け入れるのに、たいへんじゃない?」
ともあれ、彼女らは、とても親身に察してくれる。しかし、彼女たちが懸念するほど、移住後のわたしは心配していないのだ。その旨、やんわりと、彼女らに説明する。
「でもね、うちはどうも例外らしいの。というのが、夫の実母はもう、十年以上前になくなってて、義母は義父の二度目の妻なのよ。だから……」
そこまで言ったところでで、二人は眼を丸くして「信じられない!!」と声を上げる。
「それは、ミホ。普通じゃないわ。ちょっと待って、お父様、その時点でおいくつだったの? 60歳くらい? 有り得ない有り得ない! インドじゃ普通、独身を貫くわよ。いろいろあるのよ。噂とかなんだとか。
で、奥さんの方は? え? 離婚してたの? シングルマザー? えええ〜っ? 再婚する前から同居してた? 有り得ない!! それは、ドラマの脚本作れるわ。インドじゃ、普通じゃないもの!」
二人して、たいそう興奮している。
「うちの父親も、妻、つまりわたしの母を早くになくして、ずっと独身なの。ときどき、再婚でもできたらいいのに、かわいそうだな、と思うけど、でも、そういうことって、普通、インドじゃ考えられないのよ。わたしは諦めてるし。もちろん父本人もね」
いつだったか、デリーのマルハン実家に泊まったときのことだ。朝食のあと、ロメイシュと二人きりになったことがあった。そのときに、わたしはウマとのなれそめを聞いたことがあった。
「最初に出会ったのは、デリーにある***クラブのパーティーでね。そのとき言葉を交わしたのがきっかけだったんだよ」
ロメイシュはアルヴィンドと同じで、女性には、積極的に声をかけるのだ。しかも満面の笑顔で。
「僕は妻を亡くして数年がたっていて、とても寂しかった。ウマもね、もう何年も前に離婚して、自分で働いて、娘を育てていたんだ。以前の夫は、悪い男だったんだよ。それで彼女はずっと苦労しててね。ず〜っと娘を育てるのに、一生懸命だったんだよ」
ロメイシュは、右手の人差し指、左手の人差し指を、一つずつ、ゆっくりと立てて、言った。
「ロンリーハートと、ロンリーハートが、出会って(二つの人差し指を近づけながら)、引かれあったんだ」
ロ、ロンリーハート……。
アルヴィンドもかわいいが、親父ロメイシュも、負けずとかわいいのである。
かわいいけれど、この性格がふとしたことで、猛烈に憎らしいとか、猛烈に煩わしいとか、猛烈に鬱陶しいに代わるところも、似ている。
話は戻るが、しかしインド人女性二人のアドヴァイスは、とても親身なもので、ありがたかった。
わたしだって、今だからこそ、義理家族に対してとても歩み寄った心を持っているが、以前は戸惑った。それは、過去の「インド彷徨シリーズ」を読んでいただければ、おわかりいただけよう。実際にどれだけ、鬱陶しいと思ったかありゃしない。
けれど、インドに移住する直前から、少しずつ、何かが変わって行った。彼らは変わらず、多分、わたしが変わったのだ。
子供のいないわたしたちは、二人で完結する最小家族。それはそれで楽しい日々だが、何か喧嘩をしたりトラブルが起こったりしたときに、煮詰まる。客観的な意見が入ってこない。無論、子供がいても、それは同じことかもしれないが。
「この男、わたし一人の手に負えん。負いたくない」
「わたしも、もっと自分のことに専念したいのだ、この男のマネージャーで一生を終えるつもりはさらさらない」
そんな出来事が連発したことも、家族の重要性を認識した理由だろう。
毎度なんだかわたしは、夫に対する敬意のない書き方をしているが、念のため、たまに書いておこう。しかも色付きで。わたしは夫であるところのアルヴィンドをとても尊敬しています。
彼の優れた学問的頭脳。努力や根気。いい意味でのプライドの高さ。学歴職歴キャリア一切。わたしには、到底及びもしない。でも、その社会に於ける彼のエリートなスタンスと、家庭での万年幼児的有様がもう、猛烈に、ちぐはぐなのね。
その分、あれこれとあるのだ。あれこれと。
そんなわけで、インドに来れば、アルヴィンドを家族に託せると思ったのだ。ほら、子供はいつか、親の手を離れるけれど、夫は放っておくと、一生手を離れないかもしれない。余計深みにはまるかもしれない。それは非常にデインジャラスなことである。
いかん、何だか今日のわたしは、いつもに増して、書き放題だ。
さて現に、それは事実だった。わたし以外の、親身になってくれる人間と交流することによって、彼も、わたしも、随分と救われた。特に、渡印当初、ウマはわたしの愚痴も聞いてくれた。ウマとアルヴィンドが親子だったら決して言えないけれど、継母だから言えることである。
まして、彼女も「似たような夫」を持っているから、詳細を説明せずとも理解してくれる。楽だった。助かった。
かように、マルハン家、ヴァラダラジャン家(スジャータの婚家)は確かに特殊である。その理由はいろいろとある。
一つ共通して言えるのは、一人一人が非常に独立した考え方の持ち主であり、まずは自分(あるいは自分たち夫婦)を重んじていることである。
みなそれぞれに辛い思いもしてきた上で、思いやりがある。先日「インドの持参金」について触れたが、悪習慣の連鎖は、「自分がされたから、嫁にはしたくない」と思うのではなく、「自分も苦労したから、嫁にも苦労させたれ!」という哀しい性がある故である。
悲劇が一向減らないのは、誰かに苦しみを引き継ぐからである。それも、積極的に。
我がインド家族には、そういう人間としての「小ささ」がない。「意地悪な人」が、一人もいないことが、わたしには、本当に、ありがたい。
また根源的な部分で、それぞれ夫婦が自分たちの楽しみを持っており、他者に干渉されるのが好きではなく、無駄にしゃべりすぎず、好きなようにしている。だから、些細なトラブルはあっても、なんとか折り合いがつけられるのかもしれない。
ま、デリーに引っ越したら、そうは言っていられない、なにかが勃発するのかもしれないが、ま、それはそのときだ。
いざとなったら、ネパールやらブータンやらヒマラヤ旅に出たり、あるいは欧州へでもひとっ飛びだ。
香港に点心、食べに行ってもいいし。実家のある福岡まで「里へ帰らせていただきます!」でもいいし。そーりゃもう、ここぞとばかりに、寿司、刺身ば食べないかん。
話は大きく変わるが、デリーと福岡を結ぶ直行便、全日空あたりが就航してくれることを、わたしは切に望む。日本とインドを結ぶ仕事をすることになったら、わたしは東京よりも、福岡を中心とした西日本地区で、なにかをしたいと思うのだ。なにをするのかは、まだわからん。考え中だが。
それに、もしも直行便があったら、母も一人で遊びにこられるし。便利に違いない。なにも、我が家族周辺だけじゃなく、福岡にはインド人、結構多いみたいだからね。とにかく、福岡・デリーの直行便が出たら、劇的に、日印関係が変わると思うのだ。その件については、また回を改めたい。
そんなわけで、ロメイシュたちは来月早々、ヨーロッパ一周旅行に出かける。
ライチーは間もなく届くだろう。
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ところで、上の写真は、本日のブッフェランチのデザート。ここのブレッドプディングが大好きで、今日もそれを最後に食べるのを楽しみに、料理は控えていたのだが、銀色の丸い蓋をカパッと開けたら、違う!
今日は、マンゴーコブラーだった。蛇じゃないわよ。コブラーというのは、フルーツの上にタルト生地のようなものを載せて焼いたもの。確か米国の菓子だと思う。写真の手前がそれだ。
ブレッドプディングがないのは残念だけれど、これもとても、おいしかった。食べ尽くせないのはわかっていたけれど、後ろのチョコレートムースは名前に引かれて取ってしまった。その名も「マウントフジ」。ホワイトチョコレートが、富士なのか。微妙だ。