インドに移住する前の、昨年6月、ワシントンDCを離れて一時カリフォルニアに移転した。その際、書籍や資料類は段ボールに詰めてストレージルームに預けておいた。それらがバンガロアに到着したのは今年に入ってのことだ。
そのころすでに、「ひょっとすると近々、別の土地へ移転?」という気配があったので、大半の段ボールを未開封のまま、使用しないバスルームを物置代わりに詰め込んでいたのだった。
さて、先日のこと。とある日本の人々に、またしても我々夫婦の「なれそめ」を尋ねられた。彼女らは、「スターバックスカフェで相席した」情報だけでは飽き足らぬ様子で、その先の経緯にも関心を示した。
ついては、我々が初めて二人で見に行った映画の話をした。それは、一度見たら決して忘れられない類いの映画だった。更には、その映画のヴィデオを、我々は記念に購入したのだとの旨をも告白した。
そうしたらまあ、一同(いや、約一名か)、大興奮の渦!
「それ、見たい!!」
と、激しく懇願された。懇願されて、「いいわよ! 貸してあげる」と即答できなかったのには理由があった。前述の通り、ヴィデオやDVD類は書籍とともに、段ボールの中で眠っているからである。
わざわざ段ボールを一つ一つ開封して探し出し、お貸しするなどと手のかかることをやるつもりはなかったが、昨日、どうしても必要な過去の書類を発掘せねばならぬ事態になり、家政夫モハンの力を借りて、本日午後、発掘作業を行ったのであった。
その過程において、果たして、そのヴィデオは見つかった。必要な書類も見つかった。
さて、それがいかなる映画であるのか。
実は昨年、誕生日を迎えるにあたり、わたしはそれまでの40年間を大ざっぱに振り返る「手記」のような長編エッセイを書いた。400字詰め原稿用紙にして500枚を超えているかと思う。それは、今のところ、誰の目にも触れることなく、我がコンピュータのハードディスクの中で眠っている。
せっかく書いたのだから、それらをホームページに少しずつ載せようかと思ったりもしている。
さて、その手記の中で、我が夫、アルヴィンドとの出会いについても言及している。その映画を見に行った経緯も記している。ちょっと長いが、その部分を抜粋して、件の映画の説明とさせていただきたい。
ちなみに、そのヴィデオは「ノーカット/ 無修正版」である。ふふふ。
そんなわけで、心当たりのあるあなた! ヴィデオ、お貸しできますよ!
……落ち着いて!
【以下、『スパイス』(長編エッセイ:坂田マルハン美穂著)より抜粋】
……だから彼、アルヴィンド・マルハンから食事に誘われたときも、一度くらいならといいだろうと、ごく軽い気持ちで承諾した。
アッパーウエストサイドにあるミャンマー料理の店で、前回よりは少し打ち解けた感じで、わたしたちはおしゃべりをした。わたしの英語力を察して、彼の方も簡単な表現で話すよう努めてくれているようだった。その日は食事のあと、近くのカフェでコーヒーを飲んで別れた。
すると、また翌週末にも、彼から電話があった。
「今夜、もし時間があったら、映画を見に行かない?」
二度目の誘いに、わたしは少々戸惑った。立て続けに何度も二人きりで会うことに、少々抵抗を覚えたのだ。確かに感じのいい男性だが、頻繁に会うことで誤解をされても困る。
「ごめんなさい。今日はちょっと体調が悪くて、家でゆっくりしたいの」
そう言って電話を切った。これでしばらく連絡は来ないだろうと思った。ところが、その翌週にもまた電話がかかってきた。一瞬、「またか」と思ったが、わたしの体調を察する優しい言葉に、自分が嘘をついたことへの少々罪悪感を覚えた。
「それで、この間の映画の話だけど……。ダウンタウンで日本の映画を上映しているんだよ。ミホは日本人だし、興味があるんじゃないかなと思って……」
余り自意識過剰になって断るのも妙だなと思い、もう一度くらいならばと、その週末、一緒に映画を見に行くことを約束した。
リンカーンセンターの噴水前で待ち合わせたわたしたちは、地下鉄に乗り、その映画館があるダウンタウンに向かった。地下鉄の中で、アルヴィンドは映画の説明を始めた。
「これはね、古い日本の映画で、世界中で賞賛されたラブストーリーの名作なんだって。特にパリで人気を博したらしいよ。監督の名前はね……」
そう言いながら彼は雑誌の切り抜きをポケットから出す。
「ナギサ・オゥシマ」
(大島渚……? ま、まさか!)
彼の手から切り抜きを奪い取り、わたしは記事を凝視する。タイトルは『In the realm of the senses』とある。過激な性描写のため大幅にカットされ、日本での初公開時には修正だらけで上映されたという、この映画は紛れもなく『愛のコリーダ』だ!
この映画が話題になった当時、わたしはまだ小学生だったが、一連の裁判沙汰は記憶に残っている。米国で上映されると言うことは、無修正の完全版に違いない。このインド人、屈託なくニコニコ笑ってるけど、わかっているのか?
「あのね、アルヴィンド。この映画はね、ラブストーリーには違いなんだけど、かなり濃厚でセクシャルなの。ほら、ここに実話に基づいたストーリーって書いてあるでしょ。この実話って言うのはね。主人公の女性が最後にね……愛人の身体の大事な部分を、ナイフで切り落とすのよ」
「オー・マイ・グッドネス! ミホ、冗談でしょ? そんなこと、どこにも書いてないよ。ペニスをナイフでカットするだって? オゥ……。そりゃひどい! どうしよう、ほかの映画にする?」
「わたしは別に構わないわよ。観たことないから興味あるし。でも、あなたは大丈夫?」
「僕? 僕はもちろん大丈夫。ミホが大丈夫ならOKだよ。取りあえず、見に行こうか」
ウエストヴィレッジにあるその小さな映画館は、込み合うはずの土曜日にもかかわらず、席は半分ほども埋まっていなかった。わたしたちは、少々緊張しながらシートに腰掛けた。
これまで何本もの映画を観てきたが、この映画を観たときほど、わたしは時間の流れが遅く感じられたことはなかった。
大きなスクリーンに、これでもか、これでもかというくらい、常時大きく映し出される主演男優の局部。アダルトヴィデオを凌ぐ臨場感。最初はいちいち、
「オゥ、ジーザス!」「オゥ、ノー!」
と小声でリアクション入れていたアルヴィンドも、いつしか黙りこくってしまった。途中で
「大丈夫? 出ようか?」
とわたしに耳打ちする。
「せっかくだから最後まで観ましょう」
とわたしは返す。
映画が中盤にさしかかった頃、日本人の若いカップルが、たまりかねたように席を立った。男性の方が日本語で、
「なんなんだ! この映画は!」
と悪態をつきながら、わたしたちの傍らの通路を早足で過ぎていった。その後を追うように、泣きそうな顔をした女性が通り過ぎた。彼らはきっと『愛のコリーダ』たる映画が、いかなる映画かを知らず「日本のラブストーリー」を見に来たのに違いない。気の毒なことだ。
映画館を出たあとのアルヴィンドは、自分がとんでもない映画に誘ってしまった罪悪感と、露骨な映像による衝撃とで、照れ隠しもあったのだろう、かつてないほど饒舌だった。
ほとぼりを冷まそうと入った近くのカフェでカプチーノを飲みながら、ミルクの泡が口に付いているのも気付かずに、アルヴィンドはしゃべる続ける。
「ねえミホ、日本って、あんな国なの? ああいう世界が普通なの? 僕のイメージしている日本と全然違う!」
あからさまに動揺している彼の様子がおかしい。自分と同じくらいの年齢かと思っていたけれど、ひょっとして彼はわたしよりも年下かもしれない。
そう思うと、興奮しながら、どうでもいいことをしゃべり続ける彼が妙にかわいく思えた。