「最初の半年はお試し期間」
夫アルヴィンドはこの言葉を胸に、支えに、インドへ移住した。何かとお気軽に事を運びたがる妻が、「行こうよ! 何とかなるよ!」と押せたのは、実際、固執する、或いは守るべき対象が少ないからだ。
一方、高校を卒業して渡米し、米国の学校で学び、懸命にキャリアを築いてきた夫にとって、いくら世界中からインド経済が注目視されているからとはいえ、この故国に戻る意味合いは、非常に大きかったに違いない。あらゆる意味において。
などと、今更になって、夫の苦悩をしみじみと慮っている昨今の妻。なにせ、渦中にあるときには、何もかもが夢中で慌ただしく、呑気に心情を配慮する気分的に余裕がなかったものでね。
あれから半年が過ぎた。お試し期間中に懸案だった転職を果たし、渡印時よりも諸々の条件において好転した。ついては当面、この地に留まる決意である。
さて、わたし自身は、インド移住から半年が過ぎ、移住初期の混沌から、家族の来訪、米国1カ月旅などを経てようやく日常生活に落ち着きを取り戻し、冷静な視点でこの国に在る我々自身のことについて、思いが及ぶようになってきた。
毎日の、人との出会い、関わり、街との触れ合いにおいて、この半年間には気づかなかった事柄に、少しずつ、敏感になりはじめている。
世界の中のインド。米国から見たインド。日本から見たインド。
「インド人の夫を持つ」という一つの現象が、しかし、それが米国においてなのか、インドにおいてなのか、日本においてなのか、によって、世間の対応がかなり異なるのではなかろうかとの印象を、夫と出会って十年目、結婚して五年目にして初めて、持つようになった。詳しいことは、また改めて。
このごろ、舌足らずな文章が多く、自分でも鬱陶しいが、今、あれこれと物事を判断する過程にあるので、ともかくはこのブログという比較的気軽な場所に、中途半端ながらも思いの断片を、残しておこうと思う。
さて、今夜はムンバイに来るたびに、必ず一度は訪れるレストラン、Indigoへ出かけた。Taj Mahal Hotelの裏手にある、雰囲気のよいイタリアンレストランだ。
大粒のオリーヴの実が入ったクラシックマティーニで乾杯し(夫の好きなライチーマティーニは残念ながらなかった)、豆腐のサラダ、シーフードのパスタ、ノルウェー産サーモンのグリルを注文する。
米国時代は、魚と言えばサーモンで、もう食べ飽きるくらいに食べていたなじみの魚だったが、インド移住以来、すっかりご無沙汰していて、急に食べたくなったのだ。
さて、いい気分でマティーニを飲み、パンを食べていたところが、隣席からのタバコの煙が、わたしの顔面に迫ってくる。インドはまだ、(多分)日本と同様、レストランでの禁煙が徹底しておらず、一応「禁煙席」はあるものの、そちらの方が環境(雰囲気)がよくないのだ。
日本時代はじゃんじゃか吸っていた身の上として、タバコはいやだと騒ぎ立てるのもなんだが、米国で十年間、タバコと縁のない生活をしてきて、レストランはもちろん、紫煙が立ちこめることなどありえぬ快適空間であったから、直撃する煙は辛い。
食事の途中ではあったが、敢えて席を変わってもらい、薄暗いが、まあそれなりに雰囲気のいい別のエリアに移動した。
隣のテーブルには、インド人のカップルが2組、4人で食事をしている。男性の一人がアルヴィンドに気づいて、声をあげた。
「アルヴィンド・マルハンじゃないか!! こんなところで、何してるんだ?!」
するともう一人の男性も顔を上げ、アルヴィンドと三人、満面の笑顔で再会を喜び、握手を交わしている。彼らはボストンのMIT(大学)時代のクラスメートなのだという。アルヴィンドに最初に気づいた男性が言う。
「僕たち、去年までボストンに住んでたんだけど、半年前にムンバイに帰って来たんだよ」
「ええっ? そうなの? 僕たちも、ニューヨーク、ワシントンDCに住んだあと、ちょっとだけシリコンヴァレーに移って、半年前にバンガロールに移住したんだよ!」
彼らは卒業して5年後の2000年に行われたMITのアラムナイ(同窓会)で顔を会わせたのを最後に、6年ぶりの再会らしい。ひとりはアルヴィンドから3年遅れてWharton(MBA)に進んでいたらしく、実は1月にムンバイで行われていた同窓会にも参加していたとのこと。
ひとしきり、近況報告をしあったあと、再会を約束し合っていた。
学生時代の知り合いと、例えばニューヨークでも、ワシントンDCでも、偶然に会うことは少なくなかった。しかし、インドで再会することは、彼らにとって別の意味合いを持つ。この半年間の間に、デリーで、ムンバイで、夫は多くの旧友と再会している。
バンガロールは、本来、「田舎」の「のんびりとした」街であった。そこにIT企業が次々と「乱入」し、ここ十年のうちに急激に変化を遂げた。それまでは、気候のよい穏やかだった街に、外国人、あるいは外国帰りのインド人たちが大挙して押し寄せ、我が物顔ではびこり、混沌を育んでいる。
「バンガロールの憂鬱」に関しては、後日、スジャータのコメントを紹介したい。
話を戻す。インドには、膨大な数の人間が住んでいるにも関わらず、インドの社交界、ビジネス界は、非常にその世界が狭く、かつて夫がインド移住に先駆けて渡印した際、知り合いのヘッドハンターと夕食をともにした際にも、「転職の話などを内密にしようと思っていても、インドでは、不可能に近い」と言われていた。
「ここだけの話だけど」を枕詞に、噂は瞬時に広まるらしい。
特に、夫が属しているヴェンチャーキャピタルやプライヴェートエクイティといった投資関係の会社は、数が少ない分、顔見知りだらけで、だから夫が転職活動中も、いかに外部に情報が漏れることなく異なる会社にポジションを得るか、その「戦略」に苦心したのだった。
「タージ(マハルホテル)かオベロイ(ホテル)を舞台に、ムンバイの経済が動いている」と言われていたこともある。最近では空港近くにも高級ホテルが続々と誕生し、市街へ入らず、空港付近に滞在し、打ち合わせをすませる人も多いようだが、未だ、これらのホテルとその界隈は、ビジネス上、不可欠な社交場なのである。
だからちょっと洒落たレストランなどで、夫が米国時代の旧友と偶然再会することは、別段、珍しいことでも不思議なことでも、ないといえば、ないのだ。
ただ、バンガロールで、そのような機会が少ない分(外食も少ないしね)、夫は、「こんな偶然、ないよね〜。席、変わって、よかったね〜」と大喜びである。
ムンバイ出張二日目にして、いくつかの企業を訪ね、人々と会い、ビジネス面でのムンバイの重要性を改めて痛感している様子。無論、今後はデリーに引っ越す予定ではあるが、
「ムンバイにはこれから1カ月に1週間は、来ようと思う」
と、夫は張り切りを見せていた。
バンガロールに比べると格段に快適なオフィスで仕事ができるのも、非常にうれしいようだ。彼の会社としては、我々をしてムンバイ、デリーのいずれかに移転すべしと要請しているようで、ビジネス面においては、デリーよりもムンバイが有利であるのは既知の事実なのであるが、どうしても、ここに長らく住むのはいやなのだ。わたしが、ね。いや、夫も、ね。
そんなわけで、たまに出張で来ればいいのである。
気分がいいのを口実に、調子に乗ってデザートを2種、注文する夫。普段はデブ防止のため、二人で一つを分けるのだけどね。マンゴー&アイスクリームとパンナコッタのストロベリーソース。どちらも比較的軽めのデザートで、上品な味わい。おいしい。
「ちょっとミホ! デザートは一つでいいって言いながら、どうしてどっちも、きっちり半分、食べたがるわけ?!」
「それはね、あなた一人をブーにさせちゃ、まずいからよ!」
パンナコッタの中央にスプーンで線を引いて、几帳面に二等分するわたしも、わたしではある。
そうだ。ムンバイの賃貸アパートメントの実情について、ウォールストリートジャーナルに興味深い記事があった。そのことは、また改めて書くとする。
最近は、書きたいことが、より、全然、追いつかない。
ちなみに、週末の出来事を遡って記録しているので、よろしければ、するする〜っと下がって、見てください。