昨今の、この地は涼しい。朝晩は冷え込むほどで、ジャイプールで買って来たカシミア入りのブランケットをかけて寝たりしている。インドとはいえ、高原なのだここは。と、実感させられる。
このごろは、ヨガ道場へもまめに通い、週に一度はアーユルヴェーダマッサージにも来てもらい、ボリウッドダンスも続けようかという勢いで、健康管理(と呼べるのか?)に努めている。米国時代に比べると、圧倒的に歩く量が減っているのが問題だ。
デリーに引っ越す際には、「ウォーキングが出来るご近所」を狙おうと思う。
さて、来週の火曜から土曜まではムンバイ(ボンベイ)。ムンバイはモンスーンシーズンであり蒸し暑い季節である。移住当初は何度か足を運んだが、今回は久しぶりである。ゆっくりと街を探訪しようかと思う。
ところで、今日のランチは、日本人のマダム(仮にA子さん)と、Taj West EndのBlue Gingerで。心地のよい風が吹き込んでくるオープンエアのダイニングで、白ワインで乾杯をして、久々に東南アジアの味覚を楽しむ。
旅行が好きで、写真を撮ることも好きだというA子さんと、旅の話で盛り上がる。食後は我が家にお招きして、旅のノートや写真をお見せした。先日、例のヴィデオを発掘した折、旅のノートも引っ張りだしておいたのだ。
旅行誌の取材で旅を重ねていた頃、紙面に載らない、載せられない、しかし愉しき旅のエピソードの、あまりの多さを持て余していた。仕事の合間を縫って旅をする折には、だから主観的な旅の記録を、ノートに記した。
一番分厚いノートは、3カ月の欧州旅行のときのもの。毎日、ノートを綴り、それから家族に絵はがきを送った。当時、父は単身赴任状態だったので、両親には別々に、ほぼ毎日、送った。一人旅は時間が潤沢にあるから、それができた。
アルヴィンドと出会ってからも、半年おきに旅行に出かけた。欧州を旅する際のルートは、主にわたしが決めた。彼と旅したときも、旅のノートを作り、カフェ休憩の折には交代で書いた。
ローマからバルセロナまで、地中海沿いを列車で走ったこと、ベルギーを一周、ドライヴしたこと、スペインのアンダルシアからコスタデルソルを経てポルトガルを南から北へ走ったこと……。
必ず地図が添えられた、何冊もの旅のノート。めくれば瞬時に、その日が蘇る。
雑誌やガイドブックの、自分の名前が印刷された記事を見るよりも、今となっては、公の目に触れることのなかった旅のノートの方が遥かに、懐かしく、愛着があり、そして大切なものに見える。
膨大な過去の写真や記録は、ずっとずっと眠り続けて、これからも眠り続けるのだろうけれど、折に触れてひっぱりだし、眺めるのは楽しい。
A子さんが、写真やノートを見ている傍らで、時に説明をはさみながら、話す。たとえば彼女もまた、バルセロナの北、フィゲラスやカダケスを訪れたことがあると知り、驚くとともにうれしい。
フィゲラスはサルヴァドール・ダリの故郷であり、彼のミュージアムがある街。そこからバスで山道を走った先にあるカダケスは、彼が妻のガラと暮らした家があり、作品に描いた光景がある港町だ。
白い家並みと青い空。坂を上った果てに見晴るかす海辺の景色。あの海と風の匂い、太陽の光の温かさが蘇って来て、またぞろ、旅情がこみ上げてくる。
ヴィエナの昼下がりのカフェのエスプレッソと新聞、ブルージュの運河の鐘ムール貝チョコレート、シエナのドゥオモの満月にパンナコッタ、プラハの尖塔の夕映えスメタナのモルダウ、バルセロナのサグラダファミリアの眺望ゴシック地区のカテドラル、フィレンツェのオリーヴのピッツア安ホテルの山吹色の壁、アッシジの丘の風サンフランチェスコは小鳥とも話す、リスボンのカステラの起源パオンデローとポートワイン甘く、トスカーナのひまわり畑オリーヴ畑と糸杉の木々ワイナリー、バーデンバーデンの男女混浴サウナの衝撃、ワイマールのポーセリンの金色クレジットカード使えぬベルリン壁崩壊直後、ドレスデンの労働者ホテルのマッシュドポテトとタバコの煙、エクサンプロヴァンスの音楽学校のピアノ雨水の流れ噴水、アントワープのルーベンスの絵画群ゲントの羊、ノイシュヴァンシュタインのルードヴィヒの白鳥、誰もいない海へ行こうコミーリャスの天使見下ろす5月の海辺……。
キーボードを打つ手が間に合わないほどに、まるで懐かしい旋律が流れ出すように、次から次へと浮かび上がってくる記憶の底の光景。
久しくわたしの文章に接している向きには、なにかと旅情をもちだす人だと思われようが、旅することはわたしの人生において、不可欠の基本的要素ゆえ、定期的に感情を表出せずにはいられないのだということを、お察しいただければと思う。
ワシントンDC時代、過去の記録をホームページに残そうと思い立ち、「さすらいの途中」というコーナーを設けた。そこに「一日、一過去」という項目を作り、過去の写真を少しずつ転載し始めたが、過去より現在が手一杯で、やめてしまった。
やはりDC時代に書き始めた「片隅の風景」もまた、住んでいた場所から発信していたとはいえ、それは旅の記録のようなものでもある。なにゆえに、書き残したいのか、自分でもよくわからない。
なんのためなのか、よくわからないけれど、よくわかるときが来るかもしれないから、そのときが来るまではともかく、これからも、書いたり、描いたり、撮ったりし続けるのだろう。脳裏に刻み続けるだろう。
かような次第で、A子さんとは、旅の話にとどまらぬあれこれを話すことが出来、とても楽しい午後だった。