【新旧混在の街。上下左右に視線を走らせ歩く】 今日もまた地下鉄に乗る。隣の駅、セントラルで降り、今日は骨董街や薬草街を散策してみようと思う。地下から地上に上り出れば、青空に白い雲、そびえ立つ高層ビルの群れ、鏡面に反射する太陽の光、高級ブランドの名を掲げた看板……。
車の音や、横断歩道の信号音や、蒸し暑さや、人の多さや、諸々の喧噪に包まれて、視線は上下左右で前後不覚、どっと飛び込んでくる情報量の多さに、ほんの少し歩いただけで、疲弊するようだ。
読めなければ、絵画を見るがごとく表面をなぞるだけで過ぎて行く看板も、それらが漢字であるばかりに、一つ一つを無意識に読み取って行こうとするから、余計にたいへんだ。それでも、今日は、歩くのだ。
【ランチはSohoでチャイニーズ】 それにしても、この界隈は坂道が多い。レストラン街だというSohoというエリアへ行こうと思うが、延々と、連なる階段。皆、元気よく上り下りしている姿に、わたしも紛れてゆく。
Soho地区には、欧米人の姿が多く見られる。中国料理の店よりも、イタリアン、メキシカン、アイリッシュ、フレンチ、コンチネンタルといった異国籍のレストランが多く、飲食店の合間合間に、お洒落なファッションブティックや小物を扱う店が点在している。
かと思えば、次の路地には線香の煙がたなびく小さな廟があり、あるいは、生鮮食品を売る老婆たちの露店があり。新旧が平然と同居して、そぞろ歩くに退屈しない場所である。
さて、今日のランチはどうしよう。カラフルな店先、食欲をそそるメニュー、一つ一つをのぞきながら、選択肢が多いのもまた困りもの。結局は、やはりチャイニーズ系の、しかし茶餐廰の煩雑なそれとは異なる、「若い世代に好まれそうなムード」の、カフェ的食堂を選んだ。
本日のお勧めランチは、チキンとポークのライス添え。スープとドリンクが付いている。トウモロコシや生姜、いくつかの薬草が入ったスープは、茶餐廰で出されるものにも似た「身体によさそうな味」をしている。
鶏肉も豚肉も、やはり薬草風味がほんのりとあり、味が素材によくしみ込んで、予想以上においしい。ごはんもしっかり平らげて、アイスミルクティーもすっかり飲み干して、心地のよい昼餉であった。
【骨董品店が立ち並ぶあたりを歩く】 ランチを終えたら、界隈のブティックなどをのぞきながら歩く。そうして、ハリウッドロード(荷季活道)と呼ばれるアンティークショップ街へ。
石仏や唐三彩の焼き物や、漆黒の家具、書画などが軒先を飾る店を眺めつつ、ゆく。
香港に来ると、「書」を目にすることが多い。さまざまな文字を見るに付け、自分もまた再び、筆を持ち、書道をしたくなる。最近では、書道どころか、キーボードを通して文字を入力するばかりで、手書きの文字を記す機会が激減した。
中学時代から書いていた手書きの日記も、最近では数カ月に一度、何か心に強く響いた出来事があったときなどにだけ、書き残すばかりだ。文字を綴るのが好きだったはずなのに、こんなことでは、少々寂しい。と言い続けてかれこれ十年……。
【文武廟。また、線香の煙の中にたたずむ】 やがて、香港最古の道教寺院、「文武廟」へたどりついた。三国志の英雄「関羽」と紀元前の政治家「文昌帝」の二神が祀られている。つまりは、武道、学問の神である。
ここもまた、昨日の天后廟と同じ、線香の煙が立ちこめ、独特の香りを放ちながらある。差し込む光が、煙を照らすさまの、その美しさ。
しばらくの間、廟の中で過ごす。人々の「願い」が吊るされた、ぐるぐると、渦巻く大きな線香の下で。
廟を出てまた、ハリウッドロードを歩く。やがてクイーンロード(皇后街)を過ぎたところから、漢方薬の匂いが漂い始めた。この界隈は、薬草や朝鮮人参、燕の巣、フカヒレなどを売る店がぎっしりと立ち並んでいるのだ。
【薬草センチメンタル】 薬草街の、無数の漢方薬が入り交じった匂いは、懐かしい。社会人になって初めての海外取材で、台湾を訪れたときのことを思い出す。1988年、まだ23歳になったばかりの、駆け出しの、旅行ガイドブックの編集者だった。
とてつもなく、多忙な日々で、考えられないほど過密スケジュールの取材で、3週間の取材期間、毎日数時間しか眠られず、ただもう、若いがゆえの体力と気力で、無茶をやった。本当に、ひどい取材だった。
そんな日々を、懐かしがっているのではない。その取材のときに訪れた、今ではもう変わってしまったであろう台湾の街の随所に見られる、日本統治時代の面影。
夕暮れの西門市場。裸電球が下がるその市場は、やはり日本統治時代に作られた市場で、幼い頃、夏休みのたびに訪れた、祖母の暮らす炭坑の町を彷彿とさせた。
どこからともなく香る練炭の匂い。薬草の匂い。線香の煙の匂い。屋台の匂い。
今、この薬草の匂いは、それらの記憶を全部ひとまとめにして連れて来る。だから、懐かしい。
あのときのあの場所から、わたしは本当に、いろんな土地を踏み、いろんな道を歩き、いろんな場所を見て、しかしいつでもぐるぐると、巡り戻り、辿り着き反芻しながら、生きていると思う。
この反芻せねばならない衝動というのは、いったい何なのだろう? そうして、書き留めずにはいられない衝動もまた。まるで渦巻く線香の如く。
キノコ類、朝鮮人参、亀の甲羅、鹿の角スライス、干しクラゲに乾燥エビ、乾燥貝柱、無数の植物、は虫類の干物……。この膨大な薬草の種類、量。
これらが溶け込んだ「薬膳」を、この国の人たちは日々口にして、身体の中に取り込んでいく。中国の人々がタフであるのはまた、いにしえの智恵を生かした食生活を、今でも続けている故か。
薬効を尋ねて、何かわたしも買いたいと思う。しかしこのあたりの店の人らは、英語を話せない人ばかり。無難なところで、「お肌にいい」というバラの花、「目にいい」というクコの実、それからジャスミンの花を買った。
インドに住んではいるけれど、高原の都市、バンガロールは涼しく心地よく、久方ぶりの暑い町は、歩くだけで汚れてしまう気分で、今日もまた、ホテルに戻り、プールでひと泳ぎ。
スチームサウナとジャクージーですっきりと、生まれ変わったような気分で夕方からの時間を過ごした。