日曜の午後。今日は映画でも観に行こう。ぜひともジョニー・デップを見たい。などと話していたのだが、明日から出張を控えて、なにかと夫は多忙である。従っては妻も、自分の部屋で好きなことをしている。
ふと、気づくと、夫がベッドルームですやすやと寝ている。忙しいのではなかったか。窓の向こうでは、午後の日差しを受けた緑の木々が、風にゆらゆら揺れている。いかにも、寝心地の良さそうな昼寝である。
日曜日は、普段に比べると交通量が少ないから、散歩に不適なご近所ではあるけれど、歩こうと思う。夫は交通量が多かろうが少なかろうが、インドの汚い市井を歩くのは嫌いなので、もちろん起こしたりせず、そのままにしておく。
いつもなら、バスやオートリクショーやバイクや車や牛が間断なく行き交う通りに、今日は時折、静寂が訪れる。まるで、別の街のような静けさだ。
無論、数秒もすれば、信号が変わった瞬間に疾駆する車両に埋め尽くされるのだけれど。
路上に横たわる犬たち。裸足で駆ける少年少女。路傍の用水で洗濯をする女たち。商店の軒先で、ぼんやりとタバコをふかす男たち。
トウモロコシの屋台の、鮮やかな黄色が目に刺さる。
いつもは喧噪の陰に埋もれている人々のようすが、くっきりと浮かび上がっている。木々の緑の生い茂る様や、スモッグの向こうの青空と雲。ときおり舞い上がる埃にハンカチで顔を覆いつつ、入ったことのない路地をゆく。
そうして、「オアシス」を求めるみたいに、ショッピングモールに入って深呼吸。ご近所のシグマモールには、訪れるたびに変化がある。新しい店が増えている。店の品揃えが増えている。
新しい店といえば、URBAN YOGAもその一つ。ここでは、Tシャツやパンツなどに「インド的モチーフ」をちりばめた、ちょっとお洒落なヨガファッションが売られているのだ。それに、ヨガマットも。
数年前のインドでは、ヨガマットを入手することさえ困難で、スジャータとラグヴァンに米国から買って来てと何度か頼まれたものだ。ヨガは近年のインドに住むインド人にとって、さほどポピュラーなエクササイズではなかったのである。
ところが、欧米先進国でのブームにより、インド国内でも「温故知新」の風が吹き、ヨガが流行って来た。
ヨガ用のスウェットパンツとスパッツを2枚買う。店のマネージャーだという若い女性と話しをする。実はこのURBAN YOGA。バンガロールが拠点で、オフィスはこのカニンガムロード沿いなのだとか。創業は数年前で、インディラナガールという外国人居住者が多いエリアにヨガクラスを開いている。
ヨガのクラスとヨガ用品のショップを抱き合わせた展開である。今の時勢において、かなりヒットするビジネスだと思われる。現にムンバイやチェンナイなど他都市にも続々と支店を開店、もしくは計画中なのだとか。
「失礼だけれど、CEOは、お若い方?」と問えば、
「ええ、そうよ。役員はみな、30代前半なの。今、バンガロールは外国人が多いでしょ? インドの若い世代や外国人向けに、このビジネスはどうだろうかって、立ち上げたばかりなのです。今のところ、とても評判がいいんですよ」とのこと。
商品によってクオリティにばらつきはあるものの、シャツもパンツもデザインに工夫が見られ、着心地もなかなかによい。何より先進諸国に比べれば安価だから、気軽に買える。
そのCEOに話を聞いてみたい。できれば「十億分の一のインド」でインタヴューをしてみたい。しかし、忙しそうではあるな。と、思いつつも、一応彼女に取材を打診する。
「CEOは出張が多いから、なかなか時間を取りにくいとは思いますが、ブランドマネージャーでしたら大丈夫だと思います」
と、コンタクト先を教えてくれた。好奇心が先走る前に、さて、前の記事も書き上げねばならないし、ぼちぼち、確実に仕上げて行かなければ、と思いつつも、次々と新芽が芽生えるように「新しき」が誕生するこの国が、おもしろい。
さて、帰宅すれば、静寂の家。ベッドルームに入れば、ちょっと、あなたまだ寝てるの?! 早く起きなさい、もう夕方よ、夜、寝られなくなるよ! と夫を起こす。
無論このごろは、夫の方が早起きで、妻はちょっとさぼりがちなのに、彼は一人でも毎朝ヨガ道場に通っているから、妻はあまり偉そうなことを言えないのである。彼がここまでヨガに打ち込むとは、予想外のことだった。非常にいい心がけだ。
でも、1キロたりとも痩せないのは、なぜ?
夕食後、「ミホ、香港の買い物リストを作った? 忘れないでよね。ジャムも、書いててよ。僕、わからないから商品の写真とか、撮ってプリントアウトしてよね」
なんだか面倒臭いリスト作りである。だいたい、インドにだって輸入物のジャムはある。しかし、彼は以前記した通り、「お買い物を頼まれたい」のである。お買い物が好きだというわけでもないのに。
夫の母方の祖父(他界)は、砂糖会社と鉄鋼会社を経営するビジネスマンであったと同時に、政界にも身を置いていた時期がある。非常に「知的」かつ「やり手」で「カリスマ性のある」人物だったらしい。写真を見る限りでも、厳格そうな鋭い目が、その人柄を物語っている。
祖父は、夫が身内のなかで、最も尊敬している人物なのだ。
その祖父が、欧米へ出張に出るたびに、周囲から「お土産リスト」を託され、買い物をしてきていたのだとか。幼心にそれが「かっこいいこと」に見えていたのだろうか。このたびの夫は、なにかと、買い物リストを要求するのである。今時のインドでは、たいていのものが揃うのに。
おじいちゃんの、もっと別のいいところを、模倣すればいいのに。
まあ、せっかくだから、まだ在庫はあるけれど、日本の米やらマヨネーズやら、それからこの間買って気に入ったECCOサンダルの色違いやらを頼むことにした。写真を撮ってプリントアウトは面倒なので、簡易イラスト付き。これで間違えることもないだろう。
「あなたの好きなムースを滑らかに仕上げるには、この日本製のゼラチンが必要だからね。ほら、現物をちゃんと、覚えておいてよ」
と念を押したら、
「それは、必ず、買わなければ!」
とパッケージを凝視していた。
健闘を祈る。