休日の午後の、ほどよく冷えた白ワインと、温かく香ばしいパンと、黄金色のオリーヴ油のある食卓の情景は、とてもいい。無論、今日の店はバターを出してくれたので、あとからオリーヴ油を催促したのだけれど。
シーザーサラダと、パスタと、魚のグリルを食べる。子供連れの2家族に、テーブルを挟まれた状態で、店内を走り回る子供たちが、うるさい。
だいたい、レストランで走り回るのは、他人の迷惑になる上に、危ない。
わたしも夫も、しつけの厳しい(正常な)家庭に育ったので、幼少期から、場所をわきまえた行動をとっていた。だから、インド富裕層の子供たちの、行儀の悪さを見るに見かねる。
こういうことを言うと、「子供がいないから、子供のことはわからない」と、言われることもあるけれど、そんなことはない。わたしは自分が子供のときのことをよく覚えているので、子供の気持ちはよくわかる。かなり強引な言い分ではある。
わたしは、2、3歳のころからの記憶をはっきりと覚えているし、友人らとの感情の交流、親とかけひきなど、4歳を過ぎたあたりからは、明確に覚えている。
どんな子供でも、子供は、子供だが、よくわかっているのだ。ということを、よく覚えている。だから、というわけではないが、しつけがいかに大切か、ということを、殊更に力説するのである。
しかし、この国の富裕層の子らは、ベビーシッターらに甘やかされ、彼らに「命令」し、親は親で、マナーを教えない人が多い。「自由にのびのびと育てる」の意味を取り違えている。
だから、空港でもホテルでも、レストランでも、どこででも、駆け回り、叫び、騒ぐ子供が多い。
貧民の子らの方が、よほど賢く、自立している。
耐えかねたアルヴィンドが、走る子供を注意するが、無視された。よくあることである。そんな彼が、どうしてもチーズケーキが食べたいというので、ひとつ頼んだ。味見をしたら思ったよりもおいしかったので、わたしも半分食べて、遅いランチを終える。
食後、CROSSWORDという、バンガロールで最も大きい書店へ行く。行くたびに、書籍の数が増えている。お客の数も、そして座って読むためのスツールの数も増えている。
米国時代の休日を思い出す。よく、マンハッタンや、ジョージタウンのBARNES & NOBLE で、週末、本や雑誌を開いて、長いこと過ごしたものだ。あの書店の、スターバックスコーヒーと、本の匂いが入り交じった、独特の香りが懐かしい。
CROSSWORDで、今、受けている仕事に役立ちそうな書籍を探す。このごろは、少しずつ仕事を始めているので、少しずつ、気分がいい。いや、今までも、気分が悪かったわけではないのだが、それとこれとは、別である。
2階の文房具店で、夫が仕事のためのファイルやノートを買う。わたしも一緒に買う。やっぱりデリーに行くのを待たずに、本棚をいくつか買って、書類棚も整えて、書斎をもっと書斎らしく整理しようと思う。しかし、気に入るサイズの機能的な書棚が見つからないのが、難である。
以前、手作り家具屋に予算を見積もってもらったら、愕然とするほど高い値段をふっかけられ、最早笑いがこみ上げるほどで、交渉する熱意を失った経緯がある。今度、ラグヴァンの知り合いに、いい家具屋がいるらしいから、気を取り直して、見積もりを取ろうかと思う。
帰宅して、米国から持って来ていたDVDを、ようやくTVにつなぐ作業をする。変圧器を買って、一応はつないでみたのだが、音がでないままだった。
説明書がないので(あるにはあるが、未開封の段ボール箱に埋もれている)、夫と二人で、プラグをあちこちにさしてみて、実験し、ようやく音が出た。しかし、画面が全体に、黄色と青みが強く、赤に欠けている。なぜか、わからない。
DVDで、実験に使った「ワーキング・ガール」を、何となく見はじめる。我がニューヨーク時代のテーマソング "Let the river run" が流れてくる。もうそれだけで、ぐっときて、目頭が熱くなる。
それを、見るつもりじゃなかったのに、夫と二人、見始めて、結局、最後まで、見た。
ああ、マンハッタン!