インドでは、先日よりコカコーラ、ペプシコが槍玉に挙げられている。というのも、両社が製造する飲料から、高濃度の残留農薬が検出されたためだ。各社が使用している水に問題があるなど、さまざまな噂を耳にするが、ともあれ、この事態を受け、各地で工場が閉鎖される事態が発生しているようだ。
そんな折、ペプシコの文字が、インドのメディアを賑やかに飾っている。そこには、インド人女性の笑顔がある。インドのメディアだけではない。米国のメディアでも同様の扱いだ。
インド人女性であるインドラ・ヌーイが、ペプシコのCEOに昇格するのである。CFO、プレジデントを経て、ついにはトップの座に上り詰めたインドラ。
彼女はアルヴィンドの遠い親戚で、わたし自身もニューヨーク時代、サンクスギヴィングデーの折、何度か会ったことがある。
インドの中流家庭で生まれ育った彼女が、渡米し、50歳の若さで、ビジネス界に於ける「世界一の女」に上り詰めたことは、インド人にとって、うれしいニュースであろう。インド人でないわたしでさえも、うれしい。
以下、過去、彼女と出会ったときのことを、メールマガジンに書いておいたものを加筆修正したうえで転載した。当時のわたしは、ニューヨークで、ほんの豆粒、いやケシ粒のような会社「ミューズ・パブリッシング」を維持して行くのに四苦八苦していた。
木枯らしが吹く、サンクスギヴィングデーの午後。インドラと、その姉チャンドリカの様子を見て、強く深く、感嘆させられた。大いに励まされた。
二人の耳には、大粒のダイヤモンドがきらきらと輝いていた。わたしには、それらが「贈られたもの」ではなく、「自らの手で勝ち取った輝き」のように見えた。
自らの手で勝ち取った輝き。
あの、マンハッタンの日々を思い出し、今の自分を省みて、なぜだか胸が締め付けられるような思いだ。
[WOMEN AT THE TOP OF MAJOR U.S. COMPANIES]
Name/ Company/ Market Capitalization
Indra Nooyi/ PepsiCo/ $104.41 billion
Irene B. Rosenfeld/ Kraft Foods/ $55.73 billion
Meg Whitman/ eBay/ $34.25 billion
Anne Mulcahy/ Xerox/ $13.01 billion
Brenda Barnes/ Sara Lee/ $12.76 billion
Andrea Jung/ Avon Products/ $12.38 billion
(THE WALL STREET JOURNAL/ ONLINE)
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●インド人ファミリーと過ごすサンクスギヴィングデー (24, Nov. 2000)
今年もまた、アルヴィンドの叔父、ランジャンとその妻、チャンドリカの邸宅に招かれた。軽くシリアルで朝食をすませ、昼頃、家を出る。目指すは、アッパーイーストサイド。タクシーはセントラルパークを横切って東へ走る。
80丁目にある高級住宅街の一画に、彼らの住むアパートメントビルディングがある。1フロアすべてが彼らの家だ。アルヴィンドはランジャンを自分の従兄弟だというが、聞けば、アルヴィンドの母方の祖母の妹の息子らしいから、日本で定義するところの従兄弟ではない。
しかし彼らは兄弟や親戚が少ないので、全部まとめて従兄弟と呼んでいる。大ざっぱだ。
さて、ランジャンとチャンドリカ、その娘リタの3人しか住んでいないそのアパートメントは、部屋が10以上あり、メイドが常時2、3人いる。4年前、アルヴィンドと出会って直後のサンクスギヴィングデーに招かれたときには、そのゴージャスな暮らしぶりに驚いたものだ。
4年前は、夫妻の仕事関係者もたくさん招かれていたので、どこぞのレストランの料理がケータリングされ、蝶ネクタイをしたウエイターが飲み物やつまみなどをサーブしてくれた。ちょっと肩の凝る雰囲気だった。
しかし、今年はチャンドリカの妹であるインドラとその夫、親戚のおばあさん、それにチャンドリカの部下たちなど、気心の知れた人ばかりを招いていたせいか、とてもリラックスした雰囲気だった。料理も、インド人メイドたちによる「サンクスギビングディナー、インドヴァージョン」が用意されていた。
チャンドリカは、十数年前にマンハッタンでコンサルティング会社を興し、「アメリカでもっとも成功した女性」として、しばしばメディアに取り上げられている。おしゃべりでにぎやかで、アグレッシブ(攻撃的)な雰囲気。一方、ランジャンも、有名企業の重役なのだが、終始、妻に押され気味で、頼りないけれどやさしい夫、という雰囲気である。
インドラは、4年前のサンクスギヴィングデーの際、ペプシコーラのトレーナーを着てパーティーに来ていた。「パーティーにトレーナー姿とは……野暮ったい」と思っていたのだが、彼女はペプシコの重役で、愛社精神ばりばりの人だったのだ。
毎年、ペプシコーラはもちろん、ペプシコが販売しているトロピカーナジュースや野菜ジュース、スナック菓子などを大量に差し入れている。
彼女は、今年、フォーチュンという経済誌で「最もパワフルな女性」に選ばれていた。姉と同様、おしゃべりで、にぎやかで、丸顔で、アグレッシブである。彼女の夫もまた、コンサルティング会社を経営しているやり手なのだが、ランジャン同様、おとなしくて影が薄い。私は名前すら覚えていない有様だ。
なんの話からか「骨折」の話題になる。チャンドリカが「私はスポーツをしていて足の骨を折ったことがある」といえば、インドラは、「私は小学生の時、マンゴーの実を取ろうとして木から落ちて、肘の骨を折った」という。
ランジャンは、「ミホはどうなの?」と聞くから、「私は骨折したことはないけど、子供の頃遊んでいて、鉄の門に指を挟まれて親指がちぎれてブラブラとぶらさがったことがある。ちゃんとくっついたからよかったけど」なんて話をする。
ところが、その場にいた男たちは、全員、けがらしいけがをしたことがない。アルヴィンドにいたっては「僕は本を読むのは好きだったけど、スポーツは苦手だったから、けがをしたことがないんだ」とニコニコしながら言う始末。
だいたい、アルヴィンドときたら、クリケット(だらだらと長時間かけて行うスポーツ)が好きだといいながら、実はゲームに出たことはほとんどないらしい。
「僕、クリケットの本なら、書けるよ。攻略法はすごくたくさん頭に入ってるけど、実技はだめなんだよ」などと、屈託なく言う人なのだ。
幼少時代の行動からも察せられるとおり、アクティブな女性とおっとりとした男性というカップルの図式が、その場での共通項だった。
2時を過ぎた頃、いよいよサンクスギヴィングディナー(昼の食事でも「正餐」なのでディナーと呼ぶ)の始まりである。20人は座れそうな、大きな円卓が置かれたダイニングルームへ。
ランジャンが、こんがりと焼き上がったターキー(七面鳥)の丸焼きを、大きなナイフで切り分ける。鶏肉に比べるとパサパサしていて淡泊なターキーは、私もアルヴィンドも好きではなく、普段、食べることはないけれど、この日ばかりは特別である。
なにより、10種類以上も作られた、さまざまなカレーがおいしいのである。日本では、カレーといえば、いわゆる、茶色いカレーを指すが、本来、インドでは汁気のある煮込み料理の総称をカレーという。ラム肉の煮込み、トマトソースで煮込んだチキン、ホウレンソウとカッテージチーズの煮込み、野菜や豆の煮込みなど、さまざまな「カレー」が用意されていて、ゲストは自ら大皿を持って、好みの物を皿によそう。
レストランでは食べられない、「家庭の味」のカレーはどれもおいしい。インドのカレーは決して辛くなく、マイルドなのが多いのも特徴だ。「スパイシー=辛い」という風に解釈されがちだが、スパイスというのは、もちろん、辛さだけを強調するものではない。「香り」がポイントなのだ。
おいしい料理を3回ほどおかわりして、もう著しく満腹になったところで、デザートが登場。パンプキンパイ、アップルパイ、そしてスイートポテトパイ。全部を少しずつ切り分けて、お皿に載せる。どれもおいしい。毎年のことながら、この日は食べ過ぎてしまう。
食後は皆で、暖炉の前のソファーに座り、しばしマサラティー(インドのスパイス入りミルクティー)などを飲みながらくつろぐ。部屋にはグランドピアノがある。もう15年、いや、20年近く、真剣にピアノを弾いていないので、鍵盤を叩いても、重くて重くて、指が動かない。それでも、なんとか、曲らしい物を弾き始めたところ、チャンドリカが「ミホ、何か日本の曲を歌って」という。
弾き語りをリクエストされても、ろくに指が動かないのだが、こんなとき、もじもじするのもいやなので、私の好きな曲の一つ「おぼろ月夜」を歌う。「菜の花畑に入り日うすれ〜」で始まるあの曲だ。好きだというわりに、歌詞を全部覚えていないのだが、間違っても誰もわからないから、適当にそれらしく歌う。
もう一曲、とリクエストがかかり、今度は「ふるさと」を歌う。はっきりいって、伴奏は乱れまくっていたが、この際、上手い下手は関係ない。歌うことに意義がある。しかし、こんなときのために、2、3曲、完璧に弾き語れる曲をマスターしたいものだと痛感した。
みな、満腹で、日が暮れて、インド人以外のゲストは私を除いて、みな帰っていったところで、インド映画を観ることになった。全員、オーディオルームに移動する。
数年前、日本で「踊るマハラジャ」という映画がはやったので知っている方も多いと思うが、とにかくインドは映画王国。だたしその大半は、なんともくだらないストーリーの物ばかり。男女の求愛をダンスと歌で表現するミュージカル仕立てのものばかりで、どの映画も私の目からは同じとしか思えない。もちろん、なかにはいいものもあるのだろうが……。
私にはヒンディーは理解できないが、歌って踊るばかりだからストーリーはよくわかる。アグレッシブなチャンドリカもインドラも、やさしい夫に寄り添って、楽しそうに観ている。ランジャンはチャンドリカの頭をやさしく撫でたりしている。なんだか微笑ましい。
たとえアメリカであれ、男性が、ビジネスの上で成功を遂げるよりも、女性が同じことを成し遂げる方が、はるかに大変で、パートナーの理解が重要な鍵となる。独身女性は別として、既婚者の場合、伴侶の理解なくして女性の成功は困難だと思われる。
かつて、鉄の女と呼ばれたサッチャー元英国首相が引退した際、夫の手記が新聞に掲載されていた。詳細は覚えていないが、夫のコメントを読んで、その寛大な精神と包容力、妻を信じる真摯な姿勢に、たいへん心を打たれた。サッチャー氏が自らの力を存分に発揮できたのも、いい伴侶を得たからだったのだということを知った機会でもあった。
チャンドリカもインドラも、いい男性に出会い、自分の実力を余すところなく発揮でき、楽しく暮らしている様子を見て、とてもいいことだなと感じた。
映画を観て、そのあと暖炉の前で再び語り合い、夜8時を過ぎて帰路についた。
●インドラ、ペプシコのプレジデントに。(5, Dec. 2000)
今朝、アルヴィンドから電話があり、ウォールストリート・ジャーナルに、ペプシコのインドラが載っているという電話があった。うちはニューヨークタイムズしかとってないので、外出の途中、ニューススタンドで購入。それは、インドラが指揮をとっていた企業獲得(買収)が成功をおさめ、来春、彼女がペプシコ(PepsiCo Inc.)の社長に昇格するという記事だった。
記事はこのような書き出しでで始まっている。
「日曜、朝6時15分。ペプシコがクエーカー・オーツ(Quaker Oats:オートミールやシリアルを販売する大手企業)を138億ドル(約1.5兆円)で獲得することになった事実を受け、ペプシコのチーフファイナンシャルオフィサー(CFO)であるインドラ・ノーイ氏は、ピッツバーグに向かう飛行機に乗り込んだ。ピッツバーグにある南インドの伝統的なヒンドゥー寺院に行くためだ。彼女の家族は、人生において重大な出来事が起こると、家族そろって寺院に出かけ、祈るのである……」
ちょうど、サンクスギヴィングデーの前後、彼女が進めていたクエーカー社の獲得交渉は山場にさしかかっていた。直前になり、コカコーラが名乗りを上げ、際どい局面を迎えたものの、最終的にペプシコが獲得に成功したとのこと。過去5年間のペプシコにおける主要な動き<ジュースのトロピカーナやスナックのフリトレー獲得>は彼女の尽力によるところが大きいという。
来春、交渉のすべてが締結した段階で、彼女はCEOに次ぐ第二のポスト、社長(President)に就任するという。
インドラはインドの中流家庭に生まれた。現在45歳。1978年に渡米し、ボストンのイエール大学を卒業後、コンサルティング会社やモトローラ社などを経て、1994年よりペプシコで働き始めた。記事は、アメリカで最も成功したインド出身の女性として、インドラの業績をたたえている。
自称「ワーカホリック」のインドラは、一方で、明るいムードを絶やさない人物でもあるという。オフィスでよく歌っていることは有名で、自宅にはカラオケセットまであるとか。また、深くヒンドゥー教に帰依しており、折に触れての祈りを欠かさず、大きな出来事があると、夫と娘を伴い、ピッツバーグのヒンドゥー寺院にお参りに行く。
オレンジジュースが大好きなインドラは、トロピカーナのオレンジジュースに出会うまで、自分でオレンジを絞って飲んでいたという。
サンクスギヴィングデーの日、彼女は話していた。
「このあいだ、娘がまちがって、ほかの会社のオレンジジュースを買ってきて冷蔵庫に入れてたのよ。捨てちゃったわ」
また、インドラの姉、チャンドリカが、テーブルに運んできたトルティーヤチップスを見るなり声を荒げる。
「姉さん、私が持ってきたフリトレーのチップスをどうして出さないのよ! 味が全然違うんだから!」
「だって、パッケージが似てるから、わからないわよ。どっちでもいいじゃない」
「だめよ、食べ比べて御覧なさい、フリトレーの方がおいしいんだから」
そんな彼女の様子を見ていて、つくづく愛社精神が強い人だと感じていたのだが、それくらい極端で情熱的で一生懸命だからこそ、移民女性として例を見ない昇進を果たしたのだろうなとも思う。
いくらアメリカが男女平等だといっても、ビジネスにおいては、まだまだ男性の力が強い社会である。日本に比べれば、断然アメリカの方が女性の地位は確立されているが、それでも上を目指す人たちは、ただならぬ努力をしているのだ。
以前、ニューヨークタイムズにこんな記事があった。モーガンスタンレーという証券会社の女性が、自分が進めていたプロジェクトを、同僚と上司が休日のゴルフ接待でまとめてしまい、最終的に自分抜きでプロジェクトが進められたとして「会社を訴訟」した。
彼女は裁判で勝利したものの、女性が不利な立場に追い込まれることは、アメリカでも決して少なくないのだ。
以前、美容室の女性が言っていたことを思い出す。カリフォルニアなど西海岸では、金髪ブロンドの髪は人気があるらしいのだが、ニューヨークではさにあらず。ブロンドの髪を持つビジネスウーマンたちは、あえて髪を染めに来るのだとか。
なぜなら「ブロンドの髪は、頭が悪そうに見えるから」らしい。彼女らの嗜好はブラウン系の髪に黒のメッシュをいれたようなスタイルだという。
外見などに拘らず、自信満々でがんばっているように見えるアメリカ人女性でも、ビジネスシーンではいろいろと神経を使っているのだ。知的に見せるために髪を染め、だて眼鏡をかけ、ブルーのシャツに黒いスーツで自分をシャープに見せる。
みなそれぞれに努力しているのだ。
そんななかで、「移民」そして「女性」という壁を乗り越えた、インドラの仕事ぶりはひときわ輝いていると感嘆した。