毎日毎日、綴れど綴れど、綴りきれない。著わしたいことが尽きぬのは、やはりインドのせいだろう。移住前、予想はしていた、その通りだ。
●今日は、家具が届いた。先日、とんでもない場所にある「物置小屋」で見つけた、あの書棚と書類棚が生まれ変わって届いたのだ。とても素敵に仕上がって、うれしい。ランジット伯父も、わたしが「古い家具」を好むことを喜んでいるようだ。ともあれ、近々、書棚や書斎の大掃除だ。やれやれだ。
●インドは停電が多い。一日に何度も、電気が落ちる。アパートメントには自家発電機があるので、数秒の無電状態はさほど不便ではないが、家電に負担がかかる。机が届いたのを機に、デスクトップのiMacを使おうと思い、UPSと呼ばれる装置を買った。電力のバックアップ装置だ。停電でも30分ほど電力を供給してくれるので、その間にコンピュータの電源を落とすなど対処ができる。アメリカ製だというそれ。買って来て、開封して、プラグを差し込んで……作動しない。いきなり、不良品。交換に来てもらうまでの電話5回。超強引に交渉。その成果あり、翌朝、取り替えに来てくれたのは、非常に幸運だった。米国時代以来、「文句&強引な要求」を言い慣れている自分に乾杯。
●デリー移住無期延期となり、仕事を始めようと思うと書いた矢先に、いくつかの仕事が舞い込んで来て、とてもうれしい。なぜか飲食に関するリサーチや取材ばかりだが、それは同時に好きなことでもあるので、楽しくもある。『muse new york』や『muse washington DC』のような紙媒体を作りたい……と思いはじめていたが、しばらく様子を見ようと思う。
●明日から夫はまたまたムンバイ出張。ランジット伯父もデリーへ戻る。ちなみに伯父は、先日家族旅行で南アフリカ(!)から戻って来たばかりだというのに、土曜から米国出張でニューヨークやDCへ行くそうだ。その妻ニナは、タイへ。義継母ウマは、ドバイからシンガポールへ移住した娘のもとへ今週から1カ月。ラグヴァンの母はリサーチのためポルトガルへ。我がインド家族・親戚の身軽なことといったら。わたしはこの人たちと縁を得るべくして得たのだな、とつくづく思うこのごろ。みながてんでにばらばらと、している感じがたまらない。けれど、繋がっている。
●ラグヴァンの同僚の娘が結婚すると言う。インドは現在、星回りの具合から言うと婚姻に適した時期らしい。そんなわけで、結婚式。南インドの結婚式に、連れて行ってあげる、バナナリーフのランチが食べられるよ、とラグヴァンに誘われて、呼ばれてもいないのに、参加させていただくことにした。呼ばれてもいなくても、呼ばれた人の身内なら、参加OKらしい。
●早朝から行われていた式典は、我々が結婚式場に到着した昼頃には、すでに終わっていた。で、会場はがらんとしていて、新郎新婦も平服に着替えていて、取りあえずは挨拶。式がたとえ終わっていても、祝いの客はだらだらと訪れ、式場の2階にある食堂で、昼ご飯を食べている。
●じゃ、わたしたちも、ランチをいただきましょうか。ということで、一列ずつにずらりと並んだテーブルの一画に座る。まずはバナナの葉を軽く水で濡らして、表面を洗って、水を切って……
●準備ができたところで、「料理つぎ隊」の登場。みんな一列に並んで、さあ、一斉に、おかずをつぎますつぎます。
●料理はヴェジタリアン。南インドらしく、ココナツを用いた料理、米飯が目立つ。食前に甘くてミルキーなドリンクを飲むのも南インドならでは。
●笑いがこみ上げるほどにてきぱきと、目にも留まらぬ速さでつぎますつぎます。もちろん、おかわり自由です。ちなみに料理は、日本でいうところの「精進料理」。寺院の僧らが作るらしい。世間のレストランや食堂では食べられない繊細な味、らしい。
●もちろん、料理は手で食べる。手で食べるのは結構うまいのよ。なにしろ「インド人の妻」だしね。とはいえ、南インドの「手での食べ方」は北とは違うかもしれぬと、周辺の人々の様子を見る。
●お向かいの一家。老婆、娘夫婦とその子供たち、といった構成。みなの食べ方のダイナミックさに目を見張る。手のひら全体をつかってカレーの水分をかき集めて米飯と練り合わせ、もう、どろどろ。この一家、間違ってる? と気になってスジャータにこっそり耳打ちしたら、南インドはこれが普通らしい。「インド人は指先だけを使って器用に食べる」というステロタイプが嘘だということは、アルヴィンドの下手な食べっぷりですでに知っていたが、南インド、上をいく。
●指先の、擦り傷に、スパイスがしみて、痛い。でも、すべておいしくて、最後に出されたおやつ以外は全て平らげた。半分は残していたスジャータに、驚かれた。旺盛な食欲と好奇心、そしてたくましい胃袋に感謝。
●挨拶を交わした、ラグヴァンの同僚の一人は、1980年代前半、日本に留学していたという。20年ぶりに、と言いながら、しかしその日本語は流暢で、とても聞き取りやすい。聞けば留学先は、九大(九州大学)。我が実家の、目と鼻の先。
●食べるだけ食べて、さっさと立ち去る。いいんだろうか。いいらしい。引き出物まで、いただいたぞ! 袋を開いて、目を見張る。ココナッツ……。名も知らぬ〜遠き島より〜と、口ずさみたくなる椰子の実一つ(by: 島崎藤村)。
●帰宅したら、ちょうどランジットも打ち合わせを終えて帰宅。夕方の外出まで時間があると言う。お茶を飲みながら、二人でしばし、語り合う。
●彼の子供の頃のインド、のことなど。インドにおける「お茶」の歴史が浅いことは、以前も記した。そのかわり、彼らの子供時代は、ミルクやバターミルクを毎日必ず飲んでいた、という。インドの食生活に、バター(ギー)、ミルク、ヨーグルト、といった乳製品は不可欠で、非常に尊いものであったということ。
●彼の両親、祖父母の話。彼の生き方。物に対する考え方。ポンディチェリでの瞑想の話。友人のヨギの話。
●息子夫妻のこと、マクドナルドやコークが大好きで、でも母親に「月に一度よ」と、制限されている孫たちのこと。新しい世代と、古い世代と。
●自分たちが結婚したときの、ダウリ(結納金)のこと。ナンセンスなインドの伝統的風習のこと。
●わずかの時間にあれこれと、知らない尽きないインドの話が、ぽろぽろと、こぼれ落ちてくる。彼が親戚である、などということを超越したところで、話が興味深い。彼が夕方の打ち合わせに出かけるまで、ひたすらに、話を聞く。
●そして夜。再び3人が集まって、今日は家で夕食。最初はランジットの仕事の話をしていた。彼の会社は、彼の父親、つまりアルヴィンドの祖父から引き継いだもので、今はランジットと息子のアディテャが運営している。砂糖と鉄鋼の会社だ。世界各地にクライアントを持っている。
●いつも工場見学においでと言われているのだが、行く機会がない。今度デリーを訪れる折には、ぜひとも訪問したいと思う。
●彼の会社の話の後は、アルヴィンドの仕事の話を。二人とも、明日は早起きで各々、出かけるのだが、しかし夜更けまで、語り合っている。ランジットは、毎晩、手書きの日記を記している。
全く異なる場所で生まれ育った人間同士であるが、アルヴィンドのその向こうにある人々と、自分自身との間に、確かなつながりがあることを、確認する思いだ。
人生は、不思議で、おもしろい。結婚することで生まれた、かつて想像し得なかった世界。
結婚とは、国際結婚とは、なんと意義のある生き方だろう。たとえ、厄介が尽きないとしても。