このごろは、実にまじめにヨガに通っている。6時15分起床、30分に家を出て、道場には7時頃到着する。ヨガは1時間ほどやり、帰りは45分ほどかけて自宅へ戻る。スジャータは毎日、6時から約3時間(!)もやっている。すごすぎる。「為すべきこと」の優先順位を考慮するに、わたしはそこまで、できない。
さて、これまでも数年間、ほぼ自己流でやってきたが、やはり正しい師匠のもとで学ぶことが、いかに大切かを知った。同じようなポーズをやっていても、彼がちょっと矯正することで、まったく異なる箇所の筋肉が使われ、身体が正しい形に導かれるのがわかるのだ。
一朝一夕に、長年の腰痛が治るはずもないが、それでも柔軟性はかなり増して来た。加えて師匠が、わたしのヨガの様子を見ていて、腰のどのあたりに問題があるかを指摘してくれ、それに沿ったリフレクソロジーのやり方を教えてくれた。足にオイルを塗って、指示された箇所を毎日、ぐいぐいとマッサージする。痛いが、効いている。
そんなわけで、日々、快調である。
さて、ヨガ道場で、毎日「横たわるポーズ」をするころ、時折、近所から規則正しい機械音が聞こえてくる。ガッチャン、ガッチャンと繰り返す音は、印刷所の輪転機を思わせる。
こんなところに、印刷所? それとも、インドの街角でよく見かける、製粉所の機械の音だろうか……。
その音を聞きながら、ニューヨーク時代、クイーンズの中国系印刷所に通い詰めていた日々を思い出す。ミューズパブリッシングでは、取材やコーディネーション、執筆の仕事の他に、広告や印刷物の企画、制作、印刷なども請け負っていた。やれることは、なんでもやっていた。
米国に移った当初は、印刷会社のいい加減さに、幾度か痛い目にあった。いくつかの印刷所を巡り、ようやく低予算かつ、そこそこのクオリティで仕上げてくれる、印刷所を見つけたのだった。
これが日本なら、印刷用のフィルムと色見本を添えて、印刷所に送れば、現場に立ち会わずとも色校正をして、仕上がりを待つところだ。しかし、日本での「恐ろしく神経質なまでの」丁寧な印刷物を仕上げて来たわたしにとって、それはあまりに恐ろしい賭けだった。
だから、納品される印刷物が作業されるときには、必ず現場に向かい、機械の傍らに立ち、作業を見守った。営業のマイケルは、マイケルという名ではあるがこてこての中国人で、しかし英語は流暢だ。
スケジュールに厳密で、あれこれと注文の多いわたしに、彼は最初、非常に無愛想であった。しかし、支払いを遅れる人が多いらしい業界にあって、わたしが「絶対に支払いを遅れない」ということを守り、必ず現場に立ち会うという「しつこさ」を見せた頃から、彼もわたしの仕事を優先して印刷してくれるようになり、徐々にいい関係を保てるようになっていった。
さて、現場では、カラー印刷のおじさんと、モノクロ印刷のお兄さんがいる。二人とも中国系の移民で、英語がほとんど話せない。すべてがゼスチャーと雰囲気で進められた。
カラー印刷のおじさんは、火気厳禁の印刷所で、しかしいつもタバコをくゆらせながら作業をしていた。輪転機の裏側には、中国女優のヌード写真が貼られていた。
最初は、細かなゴミや版ずれをいちいち指摘するわたしにげんなりしていたようだったが、半年、一年とたつうちに、何も言わなくても、おじさん自ら問題の箇所を見つけて改善してくれるようになった。故郷に帰った折、お土産を買って来てくれたりもした。
『muse new york』を社費出版するようになってからは、モノクロ印刷兄さんとの付き合いが増えた。彼は面倒くさがりやで、毎度わたしの指摘に「こんな小さな汚れまで、直すのか?!」という大げさな表情をしてみせたあと、しぶしぶ輪転機の掃除を始めるのだった。
彼は、最後の最後まで、「汚れが見つかりませんように!」と祈る態度の、やる気のない兄さんだった。けれど、わたし自身が、印刷の最中で誤植を見つけたときなど、即座に輪転機をとめ、製版部屋に駆け込んで、フィルムの修正を手配してくれた。
ヨガをしている最中は無心で、とは思うのだが、機械音に導かれ、そんな日々のことが、走馬灯のように脳裏を巡る。
あるとき、音を聞きながら、また出版の仕事をしたいと思った。インドで、なにか紙媒体を作りたい。けれど、今は、今やっていること、やろうとしていることで、なかなかに手一杯だ。やはり少し、様子を見よう。あれこれと、浮かぶアイデアを打ち消しながら、雑念を打ち消す。
さて、今朝のこと。夫は出張中だから、わたし一人でヨガ道場へ行った。
帰りに近所を歩いてみた。音の在処を確認したかったのだ。
音が聞こえてくる建物の、ドアから中をのぞくと……。自動織機があった。
つやつやとした白い絹糸が、ドア越しに朝日を受けながら、一枚の布に織り上げられている。
輪転機の音では、なかった。