検索エンジンのGoogleを開き、「三角地菜場」と入力して検索する。一番最初に出て来た検索結果をクリックすると、わたしのホームページの「一日一過去」にたどりつく。「55」に、三角地菜場の文字が現れる。
1992年。上海が今のような「近代都市」になる以前。上海中心部の一画に、三角地菜場と呼ばれる大きな生鮮市場があった。わたしは、到着した翌日、まずその市場を訪れ、活気に満ちあふれた路地を歩き、そこで朝食を食べたのだった。
当時、小さな広告代理店で情報誌の編集をしていたわたしは、海外出張が多かったにも関わらず、休暇のときもまた、一人で旅をしていた。未知の世界を見たくてならず、貯金の大半は旅費に費やした。ノートとペンと、カメラとフィルム。それらが旅の必需品だった。
インターネット以前のことだ。当時、撮りためた写真の多くは、ネガフィルムもポジフィルムも、あまり人目に触れる機会のないまま、何年もクローゼットの中で眠り続けている。
それらの写真と、その背後に広がるストーリーが、ただ葬り去られるのは惜しく、だからワシントンDC時代、「一日一過去」を作ってみたのだった。その試みは、現在を追うことを優先したことで頓挫してしまい、インドまで連れてきた写真は再び、クローゼットの奥で眠ることとなった。
さて、先日、見覚えのない差出人の電子メールが届いた。「七尾和晃」とある。
フリーランスでルポライターをしているとの自己紹介の後、上海の三角地菜場を検索していてわたしのサイトにたどりついたとの旨、記されていた。
現在彼は、とある人物のことを調査しており、その人物と三角地菜場に、少々縁があるらしい。現在は、市場の面影はまったく消えてしまっているので、過去の市場の様子を見たことのある人に話を聞かせていただきたい、といった内容だった。
非常に丁寧な内容の文章であることが、まず印象的だった。どういう方なのだろうと気になり、今度はわたしが、彼の名前を検索エンジンにかけてみた。すると、ベストセラーになった本を発行されている、しかも、かなりお若い方だということがわかった。
昨今のわたしは、こうしてインターネットを通し、最早節操がないほどに文章を無料放出しているが、「職業としてのライター」を考えるとき、無闇に情報を流すことに対する、当然ながら抵抗感がある。くだらないこともたくさん書いているが、くだらなくないこともたくさん書いているわけで、それは同じ文筆業を営む人なら、理解できる感覚だろう。
基本的に、情報は無料ではない。
そういう思いの延長線上に、多分あえてわたしは、「有料のブログ」を使用しているのだと思う。月々わずかな額であれ、ホームページ運営にも、ブログ運営にも、お金を使ってる。
この件については、また時を改めて書きたいが、だから普段は、当然のようにメールで情報提供を依頼してくる人に対し、距離を置いている。メディア関係者ですら、ただであれこれ聞きたがる人がいるのには、米国時代から辟易していた。当たり前のことだが、自分自身が納得のいく情報を準備するには、然るべき時間や労力が発生するのだ。
さておき、しかし、わたしは彼からのメールを見たとき、なぜか「仕事」とか「報酬」とかいうことを超えて、「お手伝いがしたい」と感じた。それは彼のメールの内容が、琴線に触れたからかもしれない。それに彼は、自分自身が何かを著わそうとしているわけで、ジャンルは違えど、わたしとは同じ立場である。
とはいえ、長々と文章で当時の様子を伝えることは憚られたので、まずは電話を欲しいとのメールを送った。電話をしてくれれば、その場で当時の上海のことをお話しできます、と。
最近では、電話でよりも、メールでのやりとりが重視されているが、わたしは日本から受ける仕事も、こちらからお願いする仕事も、特にお会いしたことのない人には、一度は電話で話をさせてもらいたいと思っている。顔が見えないのだから、せめて声だけでも聞いて、実態を確認したいと思うのだ。と同時に、メールでは、さまざまに、誤解を招く。やきもきして、無駄な時間を費やすこともある。
さて、数日後、大まかに指定していた時間帯に、彼は電話をかけてきてくれた。すでにわたしは、クローゼットの中から旅のネガフィルムを取り出し(プリントしたものは紛失していた)、市場のあたりを見直し、また旅日記を読み直しもしていたので、当時のことが明らかに蘇っており、かなり饒舌に語った。
初めて話すのにも関わらず、仕事に対する考え方、姿勢などに共感する部分が強く感じられ、やはり、何か協力させていただきたいと感じさせられた。
幾度かメールのやりとりをし、先日、現像し直した上海の写真と、旅日記のコピー、そして『街の灯』を彼に送った。そうして彼からは、彼の著書2冊、そしてたくさんの本、気を遣わないで、と頼んでおいたのだが、謝礼が届いたのだった。
先日、郵便局へ受け取りに行ったのは、彼からの本だったのである。
早速、彼の著書『堤義明 闇の帝国』を読ませていただいた。
この事件を追うがために、それまで勤務していた出版社を離れ独立し、更に数年の歳月を費やして真相解明のために東奔西走したこと、そして集め、積み重ねた膨大な情報を、この一冊に集約し、まとめあげたこと。その事実にまた、感嘆した。
わたしは自分が27歳でフリーランスとして独立したとき、無論不安は尽きなかったが、「一通りの(編集や執筆の)仕事を、わたしは、できる」という自負があった。だから、「若いのに」とか、ましてや「女性だから」と言われることに、抵抗があった。
もちろん、人は、そうあろうとすれば、日々、成長する訳だから、今のわたしから見れば、当時のわたしは未熟ではあったけれど、しかし「仕事として通用する仕事」をしているつもりだった。
若かろうが、年だろうが、やれる人はやれるし、やれない人はやれない。
だから現在31歳だと言う彼の仕事に対して、「若いのに」という枕詞をつけて語りたくはないのだが、しかし、20代のうちにこれだけの仕事を成し遂げたのか、と思うと、感嘆せずにはいられない。
それにつけてもうれしかったのは、彼が送ってくれた数々の本! 硬軟入り交じりった日本の新刊だ。その選択がまた、妙に我がツボをついていて、驚かされた。
届いた日から、ゆっくりと大切に読もうと思いつつも、仕事の合間に、食後に、就寝前にと、あれを読み、これを読み、本当にうれしい。
このごろは、インターネットでの出会いが少しも珍しいことではなくなっている。しかし、強く心に残る出会いというのは、そうそうあるものではない。
たった一枚の写真、たった一言の言葉。それによって生まれた出会いの面白さ。ときに抵抗を覚えながらも、このインターネットという空間に、書きたいことを書き、残したいことを残すということは、意義があるのだということを再認識させられる出会いだった。
(※当記録は、ご本人の了承を得て、書かせていただいています)