デリー3泊4日、ムンバイ4泊5日。知っている場所を訪れてさえ、日々変貌する街の様子に驚かされる。新しい店、新しい道、新しいモール……。
行政の中心地である首都デリー、経済の中心地であるムンバイ。この両都市を巡ることで、バンガロールにいる以上に、この国の激変ぶりを目の当たりにできた。
デリーでは、マルハン実家に泊まった。義継母ウマはドバイからシンガポールに転勤した実の娘の引っ越し手伝いのため、未だシンガポールに滞在中。したがっては、ダディマ(祖母)と義父ロメイシュが迎えてくれた。
いつものように、にこやかに歓待してくれる二人。初日はクライアント氏が日本から到着するまでに時間があったので、しばらく二人と話をしたのだった。今回は、ロメイシュの亡父、つまりダディマの夫が作ったという「家族の写真」を見せてくれた。上の写真がそれだ。
初めて見る、夫の父方の親戚の人々。夫の母方であるプリ家の人々との関わりは少なくないのだが、マルハン家の方は他界した人々がほとんど。ロメイシュはひとりっ子とあって、親戚が少ないのである。
今度、新しく、写真入りのファミリーツリーを作ろう、ということになった。わたしがコンピュータに写真を取り込み、レイアウトして、プリントする。小さな家族だから、そんなに時間はかからないだろう。
夕飯は、我が家の家政夫モハンの遠縁のケサールが作ってくれる。ケサールの料理は彼の几帳面さがにじみでた、しっかりとした味付けの、しかしモハンと同様、油脂や辛みを控えたマイルドな料理だ。
猛暑は一段落したとのことだが、しかしバンガロールに比べると、デリーはいかにも蒸し暑い。初日は寝苦しく、かといって冷房を入れたまま眠るのは身体によくないしで、なかなか寝付けなかった。やはりバンガロールの気候は最高である。
さてデリー滞在中の某日、所用にて、知り合いのお宅にも訪問したのだった。知り合い、といっても、わたしの知り合いではなく、ロメイシュの30年来の友人、シン氏のお宅である。グルガオンと呼ばれるデリー郊外の新興都市に、彼らは暮らしている。
彼らがここに越して来たのは、グルガオンがまだ拓かれていなかったころのこと。彼らのアパートメントコンプレックスは、グルガオンで最も古く、十年以上前に立てられたものらしい。
シン氏の義娘、ニナ曰く、
「ここは昔、ジャングルだったの。でも今はコンクリートジャングルよ!」
と笑いながら言う。
ユーモアのある朗らかなシン氏は、饒舌で会話が楽しい。一方のニナは、四六時中、天井のファンにあおられて飛ばされるサリーを頭にかぶせる動作を繰り返している。
ニナ曰く、彼女は毎日サリーを着て、義父の前では髪をサリー(スカーフ)で隠すことで、敬意を表しているのだと言う。何をするにも、義父にお伺いをたて、あくまでも従順な様子の彼女。
皆の料理をつぎわけ、もちろん義父への気遣いを怠りなく、こんなことを毎日やっているのかと思うと、人ごとながら息が詰まる日々ではある。
結婚にあたっては、当然ながら「お見合い」で、式の前、夫には二度しか会ったことがなかったという。しかも、会ったときにはプライヴェートな会話をするには及ばず、あとは電話で連絡を取り合った程度だとか。
「リスキーでしょ!」
と、言いながら笑う彼女の瞳は、いかにも現代的なお茶目さをたたえていて、しかしながら、その装いも生活ぶりも、極めて伝統的、古典的である。
それに引きかえ、同じ嫁にも関わらず、このわたしだ。
わたしがロメイシュのことを「ロメイシュ!」と呼んでいるのを聞いたシン氏。こっそりとわたしを呼びつけて、
「義父のことは、インドではパパ、と呼ばなきゃだめだよ」
と注意される。アメリカンではいけないらしい。ついでにロメイシュからもこっそりと、
「ミホ、ここでは僕のことをパパ、と呼んだ方がいいよ」
と耳打ちされる。義父の呼び方、だけではなく、彼らとランチタイムを過ごす間、わたしがいかに、自由奔放な嫁かが痛感させられる。
二言目には、
「夫の家族がややこしいことを要求するような人たちだったら、最初っから結婚してないもん!」
と豪語する我ではあるが、今回は、ちょっとだけ、反省させられた。たまにはロメイシュのことを、パパと呼ぼうと思う。少なくとも彼の友達の前では。
ところで、これはシン家のプジャー(お祈り)の祭壇である。初代サイババの写真が掲げられている。祭壇に飾り付けられたマリーゴールドは、毎朝花屋が、宅配してくれるのだという。
シン氏の出自はジャイプールの藩主、つまりマハラジャである。
アルヴィンドが子供の頃、彼らの邸宅を訪れたときには、いかにもロイヤルファミリーらしい豪華さと、威風があったという。シン氏はハンティングを好んでいたのか、家の壁には、いくつもの、鹿などの剥製が飾られていたらしい。
翻って現在の住まい。その生活ぶりに華美なところはまったくなく、ただ、壁にかけられた古い写真や、アンティークのランプ、絵画などの調度品に、過去の面影がしのばれる程度である。
シン一家になにがあったのかしらないが、その地味さのなかに、インドの伝統を、ひっそりと、しかし頑に守る様子が伺い知れた。
日本の伝統の、何をも守らず、そしてインドの伝統の、何を守るべきをもしれず、ただ楽しいからと、しかしそれは少々、無責任ではあるまいか我よ。
とはいえ、我々には子供もおらず、引き継ぐ対象もなく、従っては、心の赴くがままに赴いていればいいのか。
新しさの、いかにも「アメリカン」な、その存在感の、耐えられない軽さに、瞬間的ながら胸が痛む。
我もまた、怒濤のように林立する近代的ビルディングの一群の、一部か。